話の通じない奴ら
ジルと呼ばれた男性は顎をあげて、侯爵を見下ろしながら語る。
「侯爵閣下にはわからないでしょうけれどね、私が魔法を展開するために秘して放った魔素弾を視線で追っていたんですよ、あそこの獣人の少年が。おそらくなんらかの方法で、魔素の動きを察知しています。これは戦いにくくて仕方がない。それだけではありません。そこのノクト殿が明らかに人外の領域に足を踏み入れているのはわかるでしょう? 獣人の平均年齢くらい、侯爵閣下でもご存知でしょうに。そしてもう一人、妙な圧迫感を放つダークエルフの娘まで連れていると来た。私は、得体が知れない相手とは戦わないことにしているんです。素直に武力による威圧は諦めるんですな。普段世話になってる手前、そのくらいのアドバイスはしてあげますよ」
「……お前交渉の基本も知らんのか? 不利になるようなことばかり宣いおって。学者肌の人間はこれだから嫌だ。正しいことを言えばそれでいいと思っているところがある」
「嫌なら同席させるべきではなかったですな」
最後まで強い態度を崩さなかったジルは、口をへの字に結んでそれきり喋らなくなった。
デルマン侯爵は、ひじ掛けを一度拳で殴ってから大きく息を吐いて、ハルカ達に向き直った。
「せめて黙っていられんのか、こいつは……。……ところで、つい昨日、辺境伯領から手配書が一枚まわってきた。なんでも、夜になると目が赤く輝く、破壊者と思われる黒髪の男を取り逃がした、とか」
「僕はこの冒険者たちとたまたま一緒にいるだけで……」
「イース、余計なこと言うなよ。何が言いてぇんだよ、おっさん」
肉を食んでたくせに、誰よりも早く話に割って入ったのはアルベルトだった。ここに来てからずっと不機嫌そうだった顔を、更に顰めてデルマン侯爵のことを睨みつける。
「……なんで冒険者というのは、こう血の気が多いのだ。交渉することもできないのか? おい、どうなんだジル」
「黙ってろとおっしゃいませんでしたか?」
「……冒険者のことがもっと嫌いになりそうな返答だ、石頭が。私はその手配書を、この街で握りつぶすことができる。辺境伯領から全土へ情報を渡すには、基本的に私の領土を通るしかないからな。これで言いたいことがわかったか、野蛮人が」
「だったら最初からそう言え」
「おい、ジル、あいつだけぶっ殺せないのか?」
「自殺されたいならお一人でどうぞ」
「お前の研究所燃やしてやろうか?」
「一応確認しておきますが、自殺されたいということですね?」
二人は睨み合うが、先に目をそらしたのはデルマン侯爵だった。
椅子からずり落ちるのではないかと言うほど、身体をだらりとさせ、天井を見上げながら覇気のない声でしゃべる。
「やってられん。おい、ノクト殿、要求を言え。これ以上喋るだけ無駄だ」
「あぁー……、その件ですがぁ、僕からは本当に特に要求とかないんですよねぇ。はっきり言って今代の王は優秀ですし、時間さえかければ手を貸す必要もないと思っているんです」
「……まさか本当にただ旅行しているだけ、などと言いだすまいな?」
「いやぁ、そのまさかなんですよねぇ。ほら、弟子ができたので、諸国漫遊の旅もいいかなぁと。ついでに世直しでもしようかと思いましてぇ」
「薬の一件も、その世直しだと?」
「ええ、スコット一家の先々代とは友人でしたからね」
「あの糞爺か……。一つ聞く。今代の王はそれほど優秀か?」
「はい、それはもう。あなたが成り代わる隙はありませんよ。あったとしてもそんなものは潰します」
デルマン侯爵は頬杖をついてしばらく黙りこみ、それから姿勢を正してゆっくりと告げた。
「西の若造が、国外の何者かと手を組み、周囲の取り込みをはかっている。今回の薬の件もその延長上だ。このまま王都へ向かう用事があるのなら、陛下にその件を伝えよ。こちらからも使者を出すが、懇意にしているノクト殿から話をしたほうが、信憑性があるだろう。デルマン侯爵家に翻意はない。少なくとも優秀な王が頂にいる間はな」
その視線は鋭く、どこまでも相手を値踏みするようなものではあったが、言葉には確かな重みがあった。
椅子に深く腰掛け、視線をノクトからハルカ達の方へ移す。
「此度の【獅子噛み】討伐の手腕、見事であった。本来我が領の兵がなさねばならぬことであった。先を越されたことは遺憾であるが、その行動には敬意を表する。相応の礼金を渡すことを約束しよう。それとは別に、何か希望があるのであらば、ここで申してみよ」
アルベルトは突然の豹変ぶりに困惑しながら口を開く。
「んじゃあ、手配書は握りつぶしてくれるってことだな」
「約束する。他に何かあるか?」
コリンが礼金という言葉にワクワクしている中、ハルカはずっと引っかかっていたことについて考えていた。
それは、侯爵の隣に立っているジルという人物についてである。
どこかで聞いたことがある、どこだっただろうかと、しばらく悩んでようやく思い出したのだ。その件の確認がしたかった。
「その……、そちらの隣にいらっしゃる方のお名前を伺ってもいいですか?」
侯爵が視線を向けると、ジルが姿勢を正してハルカに頭を下げる。
「ジル=スプリングと申します。特級冒険者です。巷では【三連魔導】などと呼ばれていますね。お見知りおきを」
思ったとおりの返答にハルカは少し興奮する。
この世界に来て魔法を学ぶときに読んだ本の作者だ。出会った時はきっとお礼を言おうと思っていた相手だった。