気持ちの整理
「今から追ってもどうせ追いつかねーか、ったくこのジジイ」
アルベルトはノクトを叩くのをやめて、焚火のあった場所へ何本かの枝を放り込む。気づけばコリンもその辺の小枝を拾い集め始めていた。モンタナはユーリの横でその顔を覗き込みながら、たまに周りを見回して警戒をしている。
ハルカは仲間たちのいつもと変わらぬ動きを見て、日常に戻ってきたような気持になる。今の女性のことや、先ほどの戦闘について、心の中に澱が残っているような状態ではあったが、自分も火を焚く準備を始めた。
今日のところはゆっくりと過ごして、明日以降に男爵領へ入るという話になっていたので、ハルカも自分の心を休めることにした。この休息時間が自分のために設けられたことは分かっていたので、せめて今日一日で気持ちの整理をつけておきたかった。
竈と焚火に火をつけて、ハルカはユーリの横に腰を下ろす。
「もう周りに人はいなさそうです」
「そうですか、モンタナは頼りになりますね」
自分以外の三人はこの世界で育っているから、しっかりとこの世界に馴染んでいる。今まで乗り越えてきたことも、ハルカがいなくたってなんとかなっていたことばかりのような気もしてきた。そう思うとどんどん気が急いて、どうにかしてこの世界の感覚を身につけなければと焦りが出てくる。
「ハルカも頼りになるですよ」
モンタナはまっすぐハルカのことを見て言った。
「僕は、ハルカと一緒に冒険していることを後悔したことはないです。これからもしないです。多分みんなだってそうです。今日の魔法、かっこよかったですよ」
自分は信頼されている。ハルカはぐっと胸がいっぱいになって、言葉を咄嗟に返せなかった。期待に応えたい、失望されたくない。
モンタナは返事をしないハルカを置いて、歩き出す。
「僕はお肉探してくるですから、ハルカはユーリのこと見ててあげてほしいです」
ハルカは下を向いて、手をぎゅっと握った。
こんなにも仲間の期待に応えたいと思っているのに、また次に人の命を奪う必要が出たときには、同じように躊躇してしまうであろう自分の姿が容易に想像できる。
「……情けないですね」
自分を見上げているユーリを見て、苦笑して弱音を吐いた。ユーリがその短い腕を目いっぱい伸ばしてきたので、顔を近づけると、小さな手が頬を撫でた。こんなに小さな子に慰められているのだろうかと思うと、本当に情けなくて涙が出そうだった。
ユーリをはさんで前に誰かが座る。視線だけをちらりと向けてみて、それがノクトであることが分かった。
「師匠。私は人の命を奪うのが怖いんです。今も先ほどの人たちを殺してしまったことを後悔しています。でも他にどうするのがよかったかと考えても何も思い浮かびません。殺しても殺さなくても後悔するとしたら、いったいどうするのが正解だったんでしょう」
「ハルカさん、冷たいことを言うように聞こえるかもしれませんが、現実に正解というのはないんですよ。ただ、自分がどちらがいいのかを選択して、それに身を殉じることしかできません。そしてその判断は早いほうがいい。時間をかければかけるほど、失敗した時のリスクが上がり、成功した時のリターンが少なくなります。だから刹那を生きる僕たちは常に備えなければいけません。自分にとって何が一番大切なのか、その順番はどうなっているのか」
曖昧に人生を過ごしてきたハルカにとって、自分以外の事柄を意識的に順位付けするというのは難しいことだった。他人に対してそういう感情を抱くことが、失礼に当たるように思っていたのだ。
「あなたにとって大切なものはなんですか? 自分の生、仲間の命、尊厳、任務の遂行、それ以外の善人の命、悪人の命。あなたにとって罪が重いものは何ですか? 助けるべき対象は? 何が許せて何を許せませんか? あなたは、人を襲い、奪い、殺す者を、それをしない者達より優先するんですか?」
「しません」
「ではあなたの判断は、あなたにとって間違っていませんでした。でもあなたは人の命を奪ったことを後悔しています。では、もし彼らをリスクなく生かすにはどうしたらよかったでしょう?」
「……わかりません」
「間違ってもいいので答えてください」
今日のノクトはいつもに増して、多弁で厳しい。ノクトもこの場所がハルカのターニングポイントだと思っている様子がある。その真剣な様子を見て、ハルカも時間をかけて考えをめぐらす。
少し時間を空けてから、ハルカが自信なさげに答えた。
「……強くなっていることです。強ければ、反撃されることなく制圧ができます」
「なるほど、確かにそれは正解です。でも足りません。もしそこで殺さずに制圧したとして、そのあとあなたはどうしますか?」
「そ、そのあと……は、しかるべき機関に出頭していただき罪を償っていただきます」
「つまり結局殺すということですね」
「い、いえ、そうではなくて!」
「いいえ、多くの場所において、自分の勝手な都合のために人を殺したものは、絞首刑、あるいは死ぬ可能性が高い場所での労働を科せられます。であればそれは、結局死ぬ瞬間を先延ばしにしただけでしかありません。あなたが殺したくないから、人に裁きを任せたにすぎません」
ハルカが黙り込むと、ノクトはゆっくりと立ち上がる。頭の上からノクトの声が降ってくる。
「ハルカさん。二つ目の話はともかく、戦う時の心がけについてまず考えてみましょう。あなたは何を大事にしたいか、何を優先したいかです。戦う時の躊躇いを、まずはなくす必要があります。……その後のことは、急がずにのんびり考えていきましょうか」
足音が少しずつ遠ざかる。
ハルカはへにょりと眉尻を垂らして、気落ちしながら考える。
何が大切で、何を優先したいのか。ノクトの言ったとおり、そのことから考えることにしてみたが、どうにも気持ちはあがってこない。
ユーリはそんなハルカの顔を心配そうにじっと見つめていた。
焚火周りに戻ったノクトが、アルベルトとコリンにはさまれる。
「ちょっとノクトさん、ハルカのこといじめないでください」
「え、いじめてないですよぉ?」
「おい、お前と違ってハルカは繊細なんだからな。見ろよ、あんなに小さくなってるじゃねーか、かわいそうだと思わねえのかよ」
「えぇ……、あなた達ちょっと過保護じゃないですかぁ……?」
まじめに師匠として働いたのに、理不尽に怒られるノクトの姿がそこにあった。