留守番の申し出
「私はそろそろ行くから」
ユエルが唐突にそう切り出したのは翌日の朝だった。
本人の目的はノーレンに会うことで、その目的はすでに達せられた。
となれば改めて旅立つのは当たり前のことだろう。
「あの、すみません、次はどちらへ……?」
「気の向くまま」
しかし、なぜかユエルが南や北や西ではなく、東の方に向けて旅立とうとしているのを見て、ハルカは思わず尋ねた。
返答は曖昧であったが、その足の向く先はどう考えても〈混沌領〉へ向かうコースを選択している。
本人の言う通り、気が向いたのだろう。
「すみません、せめてこれを、あの、分かりやすいように荷物の先に付けておいていただけませんか?」
「何かしら?」
「一応、〈混沌領〉の私の知人たちはこれを見れば、私の知り合いだ、と認識して襲ってこなくなるはずです。いえ、基本的に襲わないでほしいとお願いはしているのですが……」
「ふぅん」
ユエルは受け取ったスカーフを広げてしばらく眺めていたが、やがてこくりと頷いて枝に括りつけて荷物に突き刺し、目立つ小さな旗のようにしてくれた。
「いい意匠ね」
「ありがとうございます」
気に入ってもらえたようでハルカはほっとする。
気に入ってもらえなかったらつけてもらえなかったのではと思うとぞっとするが。
「〈混沌領〉にいる間だけで構いませんから。あと、何かあったとしても、できるだけ穏便な話し合いをお願いします」
「……そうね、覚えておくわ」
それだけ会話を交わすと、ユエルはふらりと東へ向けて旅立っていった。
できれば先回りして皆に触れを出したいくらいだが、後はもう、ユエルの良心と、〈混沌領〉の住人の忠実さに頼るしかない。
なんだかんだここ数日で、ユエルが思っていたよりは話が通じる相手だというのは分かってきた。
あくまで、思っていたより、程度であるが。
後で状況を知ったクダンによれば、「ま、大丈夫だろ」とのことだった。
話によれば、ユエルは破壊者相手よりも、人相手と問題を起こすことが圧倒的に多いのだとか。
ごちゃごちゃと策略を以って騙そうとしてくる相手などと特に相性が悪いらしく、クダンたちがまだ話を聞いている途中に魔法をぶっ放すこともしばしばだったとか。
ハルカはクダンの話を聞いてもさっぱり安心できなかったが、一応その言葉は信じてみることにした。そうでないと不安で仕方がなかったので。
「んで、お前らいつ【朧】に行くんだよ?」
その日の夕食時、クダンがハルカたちに尋ねる。
こちらも別に何をするか決まっていないらしく、特にすぐに出発する予定などはないようだ。
「そろそろ、と思っていたんですが」
「なんか問題でもあるのか?」
「ええと……、まあ、そんなにないです。あまり長い期間空けることになると、こっちで何かあった時に心配なのと、年が明けたばかりなので、〈北禅国〉に押しかけて情報を貰いに行くには迷惑かなと思いまして」
「なんだそれ」
たき火で魔物の肉をあぶりながら、クダンが変な顔をする。
「あれだろ? 〈神龍島〉に乗り込むんだろ? どうせ無理やり乗り込んで、エニシの味方の巫女を連れて帰ってくんだから、忙しい時期に奇襲した方がいいだろ」
「あ、そうですかね……?」
「変な奴だな……、さっさと行ってさっさと帰ってくりゃいいんじゃねぇの?」
「一応、この時期は〈神龍島〉に挨拶を来る者も多い。警備が厳重になっているのだ」
エニシが一応〈神龍島〉の事情を説明してみるが、クダンはひるまなかった。
「じゃあ余計紛れこみやすいだろ」
「い、いや、しかし、そこで問題を起こすと、他家との関係も悪化する可能性があって……」
「お前の味方助けたら、その後の話なんか知らねぇしどうとだってなんじゃねぇのか? 別に力ずくで【朧】の全国統一する気じゃねぇんだろ?」
エニシとハルカが首を縦に振ると、クダンはそのまま続ける。
「だったら、神龍の爺が『戦やめろ』って全国に言わねぇ限り、巫女集めて撤退するしかねぇじゃん。そうなったら〈神龍島〉に残るのってお前らの敵だけだろ? どうせ悪口ばっか広げられんだから、後は一緒だろ」
身もふたもない話をするとそうだ。
悪評が広まるのが早いか遅いかの違いで、結局ハルカたちはよそ者の敵だ。
「あいつらだってわざわざ大船団で大陸まで攻めてこねぇよ。そんなことしてたら、自分の領土かすめ取られちまうからな。だからさっさと行って帰ってこいよ」
「やっぱり、急いだほうがいいの、だろうか……」
「逆になんで急がねぇんだよ」
エニシが呟くと、クダンが首を捻りながら返す。
「その後の戦乱の広がり方を考えると……」
「そんなことよりお前の大事なやつのことを一番に考えろ。知らねぇ奴の命とどっちが大事なんだよ。そもそもあの国はほっといても殺し合いばっかしてんだから、そんなの気にすんじゃねぇよ。お前が守りたいものを一番に守りに行け。後悔すんぞ」
その言葉にエニシが唇をかんだのを横目で見てハルカは決める。
「分かりました、明日には出ましょう」
「そうか、そりゃいい」
「すみません、お構いもできずに」
「いや、気にすんな。ノーレンも世話になったらしいし、俺はその礼を言いに来ただけだしな」
「ありがとうございます。ちょっと、仲間たちに事情を伝えてきます」
ハルカが立ち上がって動き出そうとすると、その背中にクダンが声をかける。
「おい、頼み事なんだけどよ」
「……なんでしょうか?」
クダンから頼み事なんて、どんな難題が出てくるのかとハルカは恐る恐る振り返る。
「そんなにビビんなよ。ここは露天風呂があんだろ。お前らが出かけてる間、何日か泊まってあの風呂使ってもいいか? 薪使っちまうことになるけど」
それはつまり、留守の間拠点を見ていてやろうか、という提案であると受け取ることもできた。
「クダンさんが作って下さったものですから。是非、ゆっくりしていってください」
ハルカは振り返って頭を下げたが、クダンは枝に挿した魔物の肉の焼き加減を見ながら、ハルカの方を向かずに適当に答える。
「おう、悪いな。なんか他に用事があるなら、ノーレンに言っとけよ。あいつも世話になったから恩返ししたいって言ってたからな」
「はい、ありがとうございます」
義理堅い親子である。
ハルカが駆け出した後、その場に残ったエニシが改めてクダンに頭を下げる。
「クダン殿、我からも感謝を……」
「いらねぇよ。俺はうちの娘が世話になった分、なんかしようと思っただけだ。別にお前のためでもねぇし」
この時もクダンはやはりエニシの方を見ない。
肉の位置を調整しながら、さらに続ける。
「まぁ、うちの嫁さんの地元みたいなもんだしな。ごたついてんのもなんとなく寝覚めが悪ぃってもんだ」





