平和な旅だったはず
三泊四日、十分にのんびりと過ごさせてもらったイーストンの実家帰りは、本当に何の問題も起こらずに終了した。遠出をしたのにこれほど何もなかったのは初めてじゃないかと思うくらいである。
それだけテネブの統治が優れており、【夜光国】が平和であるということなのだろう。
朝一番でもしっかりと目を覚まして見送りに来てくれたテネブに、ハルカは丁寧にあいさつをする。
「またいずれお邪魔させていただきます。本当にお世話になりました」
「またいつでも来るといい。きっと忙しいだろうから、そう頻繁に、というわけにはいかないだろうけれどね」
「どうでしょうか……。落ち着くといいのですが」
争いごとがあまり得意な方ではない、という自認があるハルカが言うと、テネブはふっと笑った。
「……君たちはまだまだ若いから、少しくらい忙しくてもいいのかもしれないと思うよ」
「若い、ですか」
「うん、若いだろう? まだ百にも満たない子たちばかりだ。ああ、カーミラさんを除けばだけれど……、その子は元々争いごとには関与しないたちだろう?」
ここ数日でテネブは様々な話を聞いた。
ハルカが争いごとが苦手だと事あるごとに聞いたが、テネブから言わせれば、冒険を楽しんでいる時点でそれほどではないだろうという印象である。
はじめの頃はともかく、最近の訓練の様子などを聞くと、随分と荒事には慣れた雰囲気だ。
「そうですね、確かに、若いのかもしれません」
ハルカもまた、テネブの言葉を受けて一つ納得をする。
ノクトやクダンを見て、まだ若いという認識は持ってきていたが、改めて千数百歳の大人の威厳を持ったテネブにそう言われると、まだまだ若いのだろうなぁと思ってしまう。
年数なりの落ち着きは身に付けたいところだが、それと同時に、まだまだチャレンジ精神も捨てるべきではないのかなと思うわけである。
ハルカにも、段々と寿命の長さを受け入れる、心の準備ができてきたのかもしれない。
「気を付けて。再会を楽しみにしている」
「はい。それではまた」
「イーストン。楽しくやりなさい」
障壁が浮かび上がった後にテネブが息子に告げると、イーストンは黙って首肯した。言葉は少なくとも、互いに十分何を思い何が言いたいか理解しているのだろう。
ある程度の高さまで上がり、それから島を離れていくハルカたちを、山の上から二頭の大型飛竜が見送る。
「いい島だったねー」
「平和だったです」
「ご飯も美味しかったですし……」
「アルには退屈だったんじゃない?」
平和だったことを評価するハルカたちであったが、イーストンはその地元の平和ぶりに関して、アルベルトに笑って尋ねる。
「いや、テネブさんの話、すっげー面白かった。あれだよなー、北の方にいった竜とかも見てみたいよな!」
アルベルトは少し興奮しながら新たな冒険に思いをはせているようだ。
平和ではあったけれど刺激はあった、というところだろうか。
「……私も、素敵な島だと思ったわ」
「そうだね。カーミラには合うかも。移住する?」
「お姉様と一緒にいるに決まってるでしょ? 意地悪言わないで」
「ま、カーミラはそうだよね」
カーミラに対してだけは、イーストンはきつめの冗談を言うことがある。
カーミラもすっかりそれに慣れたのか、さらりと躱して文句を言い返した。
美男美女の軽口の応酬は、なんとなく絵になって良いものだなぁ、とハルカはぼんやりとそれを眺める。
「ユーリは、どうだった?」
「楽しかった。また連れてってほしい」
ずっとご機嫌に笑っていたユーリが、想定通りの答えをくれたところで、イーストンは優しくその頭を撫でてやった。
なんだかんだで自分の故郷が全員から好評であったことは、イーストンにとっても嬉しいことなのである。
さて島で一泊。
それから〈混沌領〉の浜辺にたどり着き、そのまま鳥人たちの山へ向かって一泊。
特に問題が起こっていないことを確認して、花人のエノテラに挨拶。相変わらずの若々しいぺちゃくちゃとしたお喋りを聞いて、こちらにも特に問題がないことを確認。
そのままリザードマンの里で一泊して、ようやく拠点へと到着することになった。
なんだかんだで十日以上外泊したことになるが、その間拠点の方にも問題は起こっていなかったようである。
ハルカはその日も露天風呂に湯を溜めて、ブクブクと顔を半分湯に沈めながら、『平和な旅には平和な結果が伴うものだなぁ』と、抜けたことを考えつつ空を見上げる。
平和な時間を一人楽しんでいると、何の許可もなく突然囲いの戸が開いた。
ハルカが驚いてそのまま固まっていると、その人物はぽいぽいっと服を脱ぎ捨て、平気な顔をして浴槽の方までやってくる。
「……あの、え?」
さっきまで拠点に姿が見えなかったはずのレジーナであった。
肌が古傷だらけである。
治してあげたいと思ったのもつかの間、すなわち肌の多くの部分を見てしまったという罪悪感がハルカを襲う。
レジーナは持ち手のついた桶を手に取ると、湯船からお湯を汲んでちゃんと体を流してから、ざぶりと湯船の中に入ってくる。
コリン辺りに入り方を教わったことがあるのかもしれない。
「え、いや、あー……、えぇ……」
ハルカは目を泳がせつつ特に意味を持たない言葉を漏らし、スーッと湯船の端に移動。その後壁をじっと見つめていたのだが、やがてお湯が揺れてレジーナが近づいてくるのが分かった。
「誰か戦ったか?」
「あ、いえ、誰も戦っていません。実に平和な旅でした。……ええと、ああ、海の魔物には一度襲われましたが、アルがあっさり倒しましたので、戦いらしい戦いは全然でした、はい」
じゃぶじゃぶという音がぴたりと止まる。
すぐ真横にレジーナがいるのが分かったが、ハルカはじっと壁の木目を数えることに集中していた。
レジーナはハルカの横顔を覗き込んでから、鼻を鳴らし、「そうかよ」と呟いてから、その場でざぶんと湯につかったようだった。
入ってくる前ならば拒否できるのだが、入ってきてしまうと、出ていってくださいとか、一人で入りたいとか言い出すことができないハルカは、ひたすら壁を向いたまま静かに湯につかり続ける。
レジーナもそれ以上特に何も言うことはないようで、しばらくすると「あちぃ」と文句を言って、お湯から上がってしまった。そしてハルカが用意しておいたタオルを勝手に使って、そのまま服を着て風呂から出ていく。
「……えぇ…………」
いなくなった後に、ハルカは一人小さな声で呟いたが、それを聞いた者は誰もいなかった。旅から帰ってきた最後の締めくくりで、ハルカだけにはトラブルが発生したようである。





