師弟らしく
ノクトの異名を聞いて若干身を引いていたハルカだったが、のんびりとお茶をすする姿を見ているとそんな危険人物にはどうしても見えてこない。
ひとまずそのことについて言及することは避けるとして、浮かんできた疑問の一つを尋ねてみることにする。
「麻酔、というものはないのですか? 痛みを和らげる効果を持つ薬なのですけれど」
「ますい、ですか。それは痛みの感覚を麻痺させるということですよね。焚いた煙を吸うことでそういう効果を出す草があるはずです。ただ幻覚を見せたり、常習性が高いため使用することは基本的にありません」
「ではそういった効果をもたらす魔法はどうです?」
「それでしたら闇魔法にありそうですね。あれは感覚を誤魔化したり幻覚を見せたりする魔法ですから。ただ繊細な制御を必要としますし、強い痛みまで誤魔化すのは難しいんじゃないでしょうか?」
わざと痛めつけていたわけではなさそうだとわかり、ハルカはほっとする。この可愛らしい見た目の獣人が、とんでもないサディストだったのではないかと疑った自分を恥じた。
「ただ骨をああいう形で治すのはとてもとても痛いので、僕だったらやっぱり戻す治癒法をつかってしまいますねぇ。前線で戦う戦士は痛みに強くて立派だと思います」
自分だったら絶対に耐えられないし、そもそも選択肢に浮かびすらしない治し方だ。先ほどのシュオという男はほんの数分で意識を復活させて、わめきちらして去っていった。
酷い目に遭わされたばかりだというのに、大した精神力だ。
あれくらい気が強くないと、前衛で殴り合う戦士というのはやっていけないのかもしれない。
治癒魔法については段々と理解が深まってきたのであるが、基本的な医療というのがこの世界ではどの程度なのかが気になり始める。話を聞く限りどこにでも治癒魔法師がいるわけではないから、絶対に一般的な医者というものが存在しているはずだ。
「大きな怪我を完璧にに治す手段として治癒魔法が使われますよね? 病気とかはどうなんでしょう?」
「僕の普段使う、戻す治癒魔法は、あまり病気には有効ではありません。進行した病気というのはその人の身体その物になっていることが多いので、どこまで戻したらいいかわからないんです。やはりそのような場合、健康体に戻すという奇跡が必要になります。あるいは自己治癒能力を高めて、病気を乗り越える、でしょうかぁ? ただし自己治癒能力を高めたせいで病状が悪化するという事例もありますから、難しいところですねぇ」
「では治癒魔法を使わない場合は?」
「そういう場合は薬師の薬に頼りますねぇ。薬師ギルドに所属していない、潜りの薬師というのもいるみたいですよぅ」
医師ではなく、薬師がこの世界での病気への対抗手段らしい。たしかに外科的な手法を用いないのであれば、薬師が医師の役割を果たすのが普通なのかもしれない。
この世界に来てからというもの、病気も怪我もしたことがなかったハルカは、薬師ギルドというものの存在自体頭から抜けていた。
よく思い出してみれば、最初の頃に受けていた薬草の採取の依頼なんかは、そのギルドから出されていたように思う。役に立つのであれば学んでみようかと考えていると、ふいにノクトが間抜けな声を上げた。
「あぁー、そういえば薬師ギルドの秘伝?みたいなので、その麻酔というような技術があったと思いますよ」
「……秘伝なのに知ってていいんですか?」
「んぅ? ダメですねぇ、知ってることを知られたら、暗殺者が来るかもしれないですねぇ。中身を知っているわけではないので、大丈夫だと思いますけどねぇ」
「……そうですか」
悪気はないのだ、多分。
ただ知識を弟子に伝えてくれている、それだけのはずなので、言いたいことは少しあったが、ハルカはそれをぐっと飲みこんだ。
「薬師ギルドって薬に詳しいじゃないですかぁ。暗殺者達ともよく繋がっているみたいなんですよねぇ、気をつけましょうねぇ」
「……はい、気を付けます。それも公にされていないことで、一般的に知られてはいけないことですか?」
「はい、そうです。ハルカさんは察しがよくて偉いですねぇ」
「もしかして、勘違いだったら申し訳ないんですが、わざと危険なこと教えてませんか?」
「はい、せっかく僕よりも強い弟子ができたので、共有していこうと思いましてぇ。大丈夫です、ハルカさんなら返り討ちですよぉ」
ハルカは気持ちを落ち着けるために、お茶を飲んで、茶菓子を一枚齧った。
すぐに危険な目に遭うことはないだろうと思う。ただいつかこれが原因で、事件に巻き込まれそうな予感はあった。
仲間たちを危険にさらさないためには、そうなる前に自分がもっと強くなっておく必要がある。正確には自分の力を自由に使えるようになっておく必要があった。
「あの、さっきの障壁を叩く練習を再開してもいいですか?」
「はい、その意気ですぅ」
ニコニコ笑うノクトは、障壁を浮かべる。よく見るとそれは二枚が至近距離で重なっていた。
「一枚目を割って、二枚目を割らない練習をしましょうかぁ。人は何かに追われているくらいの方が成長が早いですからねぇ。さぁ、頑張りましょう」
ハルカは気づく。
ノクトが自分に余計な情報をたくさん与えたのは、これが目的だ。危険な目にあう可能性はいつだってあると、自覚させるつもりだったのかもしれない。
息を止めて力の調整を考えながら、拳を突き出そうとしたところで、ノクトはまた口を開く。
「黒髪黒目の赤ん坊にも心当たりがあるみたいですしねぇ」
ぱりんぱりん、と力の入った拳が障壁を突き破る。
「帝国は代替わりしたとはいえ、大きな国ですよぉ」
じっと見つめられてもノクトはまるで動じた様子もなく、笑いながらハルカのことを見つめ返した。