老人の見る未来
ソリス枢機卿は見た目の通り健啖家であった。
脂っこいものを避けて食事を頼んだというのに、ぺろりと自分の分を食べ終わると「ハルカさんの食べているものも食べてみたいですね」と言って、自分で頼み、あげく「おいしいですねぇ」と幸せそうに、たっぷり三人前は食べた。
それでもがつがつ食べているように見えないのは、人徳か、それともマナーがいいからなのか。食べる速度は早いというのに不思議である。
それからもう一つ。
店に入ってしばらくすると、むすっとした、四十前後くらいに見える武装した女性が入ってきた。片手で扱えそうな剣と、小ぶりのシールドを持っている。
コンパクトで技巧派な戦いをしそうな装備であった。
その女性は、ちらりとソリスの背中を見ると、深いため息をついて隣の席に腰かけて自分も食事を始めた。
ハルカたちはずっとそちらを気にしていたが、ソリスは全て食べ終わってからようやくその存在に気づいたようで、驚いた顔をして声をかける。
「いつの間に来ていたんですか、リリウム」
「店に入ってすぐだよ、まったく」
「ああ、こちらは私の妻であり護衛であり、神殿騎士第六席のリリウムです」
「悪いね。どうせこの人が無理を言って連れ出したんだろう。柔らかい顔立ちをしている割に押しが強いんだ、この人は」
厳しそうに見えた表情は、ハルカたちに向くと途端に柔らかいものに変わる。
年をとっても美しい笑顔は、ソリスと同じく、リリウムの内面を示しているようでもあった。
「いえ、滅相もありません。こちらこそ勝手に連れ出してしまってすみません」
「いいんだよ、ちょっと目を離しただけでも坂道をころころ転がってどこかへ行ってしまう人なんだ。見たところあなたたちは【竜の庭】の冒険者さんたちだろう? この人、わざわざここまで会いに来たくらいだからね。そりゃあ見つけたとなれば喜んで転がり出すだろうとも」
「リリウム、何でも話しては困りますよ。この年で若い女性に会いに来たなんて、恥ずかしいじゃないですか」
「馬鹿なことを……」
熟年夫婦のやり取りに口を挟む隙は無い。
困っているハルカに気づいたらしいリリウムは、はっとした顔をした。
「悪いね。ここからは黙っているから好きに話したらいい」
「あ、いえ、仲が良いのだなと……」
「まぁ、幼馴染で小さなころから世話をしてきたからね。ほらソリス、もう邪魔をしないから好きにしたらいい」
「はは、私は昔からリリウムの世話になりっぱなしでして。どうにも頭が上がらないのですよ」
二人の会話からして、リリウムも見た目通りの年齢ではないのだろう。
ソリスよりも年上の気配すらある。
「さてと。孤児院にご興味があるとのことでしたね。私に答えられることがあれば何でもお答えいたしますよ」
「ええと……、色々とお尋ねしたいことはあるのですが、それよりもソリス様は私に会いに来てくださったとか……?」
「ほらリリウム、困らせてしまいました」
「私のせいにされてもね」
「あ、いえ、困ってません。遠路はるばる来てくださったのですから、そちらのご用事を先にと思ったまでで……」
ソリスとリリウムは顔を見合わせる。
「ほらね、心配ないでしょう」
「あんたのそれは半分くらい外れるから信用ならないんだよ」
二人だけの会話が交わされてから、改めてソリスがハルカに向き直る。
「実はね、私はそこの子、ユーリ君の話を知っているのですよ。当時大司教であったコーディ枢機卿に色々と相談をされましてね。孤児院の選定などをしつつ、情報収集に協力していたのですが、思ったより大きな話を掘り出してしまいまして……。それからずっと心配していたのですよ」
突然自分の話をされてユーリは驚いて幾度か瞬きをした。
数年前は乳飲み子であったはずのユーリ。
その今の姿を見て同一人物だと判断できるのは大したものだ。
「それで情報を追いかけていたら、あっという間に有名人になっていって……、コーディ枢機卿の慧眼には本当に驚くばかりです。どこかでご連絡をして、縁を持ちたいと思っていたのですが、年をとると腰が重くなりまして……。そうこうしているうちに、スワム先生と諍いになったと聞いて、これは大変だと慌ててやってきたのですよ」
だんだんと最近の話になるにつれて、【竜の庭】と〈オラクル教〉の争いの話に触れられる。あの件についてはハルカもそれなりに思うところがあるから、つい反応は堅くなってしまう。
「それは……、ソリス様直々に何か私たちに要求などがあるということでしょうか……?」
「要求……? いえ、そういうのではありません。単純に、若くして大成された方々の顔を拝みに来たんです。私は、そうですね……、あと数年も生きればいい方でしょう。その先の未来を作っていくであろう若者たちの顔を見たくなったのです。言うなれば……、有名人に会いに来ただけのお爺ちゃん、とでも言えばいいのでしょうか。もちろん、騎士たちの駐屯所には顔を出して、争わぬよう伝えてくるつもりでしたが」
「元気な爺さんだなぁ」
「健康の秘訣は毎日よく歩き、よく笑い、好き嫌いなくよく食べることです」
自分と同じくらいご飯を食べたことなどに感心していたアルベルトが何気なくつぶやくと、ソリスも笑いながら老人らしいことを答える。
それから一転真面目な顔になると、少しだけ目を伏せて続けた。
「人はね、それだけできれば幸せなのですよ。〈オラクル教〉の騎士の役割は、幸せな生活を脅かす脅威から、良き人々を守ることです。争いの火種を新たに作ることではありません。私のやり方は戦う者たちから見れば、ぬるいのでしょう。ただ、理想を夢見ずして、理想を語らずして、理想にたどり着くことはありません。私は、そう、ただの夢見がちな年寄りなんですよ」
ソリスはじっとハルカを見つめる。
どこまででもものを知っているようで、何も知らないようにも見えた。
目尻に皺の寄ったソリスの瞳が、『そちらはどうなのでしょう?』と、ハルカに対して無言の質問を投げかけていた。





