生きづらさ
鍛冶屋の裏手に置いてあった短剣をかっぱらい、街の壁をこっそりと越えて外へ出た少年は、高まる気持ちと緊張感を心に抱えたまま〈黄昏の森〉へと向かっていた。
時折冒険者や木こりとすれ違いそうになると身を隠しながらの移動だ。
少年には妹がいる。
父はなく、母は亡くなり、数カ月切り詰めて使ってきた金もとうに底をついた。
街でスリをするという手もあったが、悪事を働くのならば【悪党の宝】の後ろ盾が必要となってくる。もし後ろ盾なく悪さをしていると、見つかった時に酷く痛い目に遭わされるのだ。
数年前は少年もスリを働いていたことがあったので、今回も以前世話になった【悪党の宝】のメンバーに声をかけたのだが、「二度と来るんじゃねぇ」と拒否をされてしまった。
なんでも数年前のスリの失敗をした相手が悪かったらしい。
【悪党の宝】は特級冒険者のハルカ=ヤマギシとは敵対をしないという方針が完全に定まったのだとか。
ハルカたちは今更引きずっていないのだけれど、完全に【悪党の宝】の方が過剰に警戒している形になる。オウティの力が強くなって、より一層その方針を徹底するようになったのだろう。
少年はほんの数年前、一度だけスリを失敗しただけだ。
ぼんやりした奴がいるなと思って仕掛けたのだが、今や冒険者ギルドの支部長となったラルフによって邪魔をされた。当時はまさかそんな大物になるとは思ってもいないし、簡単に解放してもらえたことに運がいいと思っていたくらいだ。
こんな形で割を食うものがいるとは想定もしていない。
冒険者ギルドで働くにも、【悪党の宝】の先輩の手は借りられないし、では街の誰かに縁があるかと言えば、そんなこともない。ないからこそ子供ながらにスリなどを働いていたのだ。
では他の頼る先はとなると、街では【金色の翼】が挙げられる。
もともと母親がそちらで問題を起こして働き場所をなくした手前、少年もそこに頼るわけにはと思う。そもそもあそこは男の世話はほとんどしていない。妹だけならまだ受け入れてもらえるかもしれないが少年は無理だろう。
一度は考えたけれど、妹に駄々をこねられてそれはかなわなかった。
最後に頼るならば【竜の庭】の一員であるトットたちだ。
ここは商人たちから始まり、街の中級層の冒険者たちも集っており、割と来る者拒まずやっている。
この集まりが大きくなってきてから、〈オランズ〉の治安は随分と良くなった。
勝手に名前を借りて悪さをするものもいたが、そういった連中はトットたちだけでなく、他の宿からも目をつけられて街から消えていった。
もし目をつけられたら、と思うと頼るわけにもいかない。
冒険者の登録はしたものの、どう活動していいかもわからず、ついには魔物を殺して売ればいいと、今日のような暴挙に出るわけになったのだ。
魔物を狩るだけの腕があれば、どこかに受け入れてもらえるんじゃないかという、子供らしい淡い期待もあった。
森の主な道を歩いていると、他の冒険者とすれ違う。
彼らの多くは割とおせっかいであるから、見つかれば保護されてしまうこともあるだろう。場合によってはそこから身バレして、やっぱり街から追い出されてしまうかもしれない。
少年は道から外れて森の中を歩く。
冒険者たちは当然のように〈黄昏の森〉へ出て、当然のように帰ってくる。
なんなら少年の不幸の元凶となっているハルカの宿にいるアルベルトたちだって、少年とそう変わらない年でタイラントボアを仕留めているのだ。
自分にだってできる、かもしれないと少年は思っていた。
街の外を舐めていたのだ。
森の中は空が見える程度には木こりたちによって伐採をされている。
いつも森を歩いている者からすれば、自分がどこにいるのかがわかるのだが、当然少年にはそんな技能はない。
魔物を探して森を歩くうちに、あっという間にどちらが街でどちらが森の奥なのかもわからなくなった。
分からなくなったことに気づいたときには、すっかり日が暮れていたし、空が見えなくなるほど木々が生い茂った場所に来てしまっていたけれど。
帰らなければと思ったときにはもう遅かった。
回れ右して戻り始めたつもりだったが、気づけばより深い森の中へ入ってきたような気もする。もしかして、こっち、あっち、と何度も進む方向を変えて歩いているうちに、少年は木の根に足を引っかけてその場にひっくり返った。
痛みをこらえながらごろりと仰向けになると、木の葉の隙間から月の光がほんの僅かだけ見える。
体はすっかり疲れ切って、足は棒のようだ。
遠くでは狼の遠吠えがして、他にもたくさんの聞いたことのないような音がする。
再び立ち上がる気力はなかった。
少年は時折がさりと鳴る葉の音に怯えながら、まんじりともせずに一晩を過ごす。
翌日は明るい時間から歩き続けたが、道らしきものを見つけることすらできなかった。
時折体を休めながら歩いていたが、すでに持ってきた水はなく喉もカラカラだ。
二日目の夜が近づいてきたその時、遠くから水の流れる音が聞こえてきた。
少年は持てる力をすべて使って水の音に向けて走り出す。
沢を見つけるとすぐに口を寄せて水を飲み、涼しげな音がするその場で寝転がって体を休めた。生き返ったような気分だった。
しかし地獄が襲ってきたのはその十数分後だ。
腹がとてつもない音を立てて痛みはじめ、嘔吐が止まらなくなる。
数時間苦しみ続けて、精も根も尽き果てたところで、少年はずるり、ずるり、という何か巨大なものを引きずるような、聞いたこともない音を耳にする。
もしかしたら幻聴なのかもしれない、と思いながら、少年のぼんやりとした意識は闇の中に沈んだ。





