ちょっとしたプレッシャー
のそりと姿を現したのは、比較的小型なホーンボアであった。
ハルカが派手に魔法を使っていたのもあって、気配を感じて縄張りに姿を現したのだろう。
この辺りは中型飛竜たちが狩場にしているのであまり魔物は現れないのだが、時折魔物になりたてくらいの個体が出現する。おそらく〈黄昏の森〉中心部の方から自分だけの縄張りを手にするために移住してきたのだろう。
小型とはいえ、体重はユーリの十倍近くはあるだろう。
絶望的な体格差である。
それでも剣を構えたユーリは、すぐに逃げ出したりせずに真っすぐにホーンボアと向かい合う。
手を出すべきかどうか迷ったハルカは、いつでも助けられるようにすでに立ち上がっていたが、ノーレンは座ったまま様子を見ている。
地面を蹴って威嚇していたホーンボアは、頭を少し下げて鋭い角の先端をユーリに向けたかと思うと、そのまま勢いよく駆けだした。
ハルカは僅かな動作も見逃すまいとじっと見つめていたが、ユーリは落ち着いたものだった。ホーンボアが準備をしている隙に、しっかりと全身に身体強化を巡らせる。
ひらりと突進を躱すと、その拍子に足に向かって剣を振ってみせる。
実戦は初めてだったせいか思うようにはいかなかったが、剣をはじかれるようなことはなかった。
駆け抜けたホーンボアは大回りしてユーリのもとへ戻るかに思われたが、その戦闘場所近くにハルカたちがいたため、目標を変えたようだった。
まっすぐにハルカに向かって走っていき、障壁にぶつかり、目を回して気絶した。
ハルカはその角を掴むと、障壁の上に乗せてそのまま森の奥へと運んで転がしておく。
このあたりのホーンボアは中型飛竜のご飯になっている。
今食べきれるわけでもないのに殺す必要はない。
ハルカはほっとしていた。
訓練は確実に身になっているようで、身の躱し方は見事だった。
ホーンボアが標的を定め直せない位置まで引き付けてからの鋭い動き。
そこから剣を振るって反撃までできたのだから、初めての実戦と考えれば及第点だろう。
褒めてやろうと思って近寄っていくと、ユーリは妙な顔をしてやや肩を落としている。
「……どうしました?」
「上手くできなかった……」
ハルカから見れば上出来であっても、ユーリの理想とするところはアルベルトやモンタナの動きである。
途中までは上手くいっていたのに、いざ剣を振るおうとしたら剣筋がぶれてしまったのだ。たくさん訓練をしたのに、という思いはどうしたってある。
「うーん……私はよく動けていたと思うんですが……」
ハルカがしゃがみこんで困っていると、ノーレンがのんびりと歩いてきてユーリの頭をポンポンと叩いた。
「ユーリ君って四歳なんでしょ? ちょっと理想が高すぎかな」
「でも、たくさん訓練したよ」
「うん。じゃあ君に剣を教えてくれた人たちは君より訓練してないの?」
ノーレンが人差し指をユーリの額に突き付ける。
そんなはずはなかった。
ユーリよりずっと昔から冒険者に憧れて、今だって毎日ユーリよりたくさんの密度の濃い訓練を積んでいる。
ユーリは目を瞬かせて首を横に振った。
「じゃあ、落ち込むのはその人たちに失礼だね。今の訓練量では今の結果で十分。ってことじゃないかな?」
良い話をして最後はハルカに話を振ったノーレンは、なんだか少しだけ年上の貫禄があった。
「……そうですね。よくできました。まだまだ学ぶことはたくさんあります。そんなに急がなくていいんですよ」
「……そうだった」
ちょっと前に急いで大きくなると、ハルカに甘えられなくなるぞとフラッドに忠告されたばかりだったことを思い出し、ユーリはぽつりとつぶやいた。
「……でももうちょっと頑張る」
「そうですね、頑張りましょう」
決意を新たにするユーリの言葉を聞いて、ハルカはその小さな体を抱きしめる。
随分と大きくなったといってもユーリの身長はまだハルカの腰の上あたりまでしかない。
今はもう帝国との問題も解決しているし、急いで大きくなる必要もないのだ。
あまり早く大きくなられてもハルカたちだって寂しい。
仲良し親子の抱擁を見ながら、ノーレンはやっぱりちょっとだけ年寄りっぽく何度も頷いた。
少しだけ時間をかけてたき火の用意も終わり、のんびりと炎を見ながらの夜。
ハルカはユーリを膝に乗せてのんびりとした時間を過ごしていた。
ノーレンはその横に並んでたき火を見つめながら、先ほどのユーリのことを思い出して口を開く。
「僕もさ、小さなころユーリ君と同じように思ってたよ」
「どんなこと?」
ユーリが首を少しだけ捻ってノーレンを見る。
「そりゃあ、どうして僕ばっかりこんなに弱いのかって。すっごく一生懸命訓練しても、ぜんっぜん父ちゃんに勝てる気がしなかったし、たまに遊びに来る冒険者の人たちにも本気で殴りかかっても全然相手にされない。才能がないんだー、僕は弱いんだーって思いながらも一生懸命頑張ったなぁって」
「結構辛かったのでは……?」
体ごと少しだけ動かしてノーレンの方に向き、ハルカも話に耳を傾ける。
「うーん、すぐそばに自分より強い人たちがいっぱいいるのも楽しかったけどね。だからユーリ君も、誰かみたいに上手くいかないってあんまり焦る必要ないと思うんだ。その人みたいになれなくても、君は訓練しただけ強くなってるんだから」
「……そっか」
「うん。目標があるって、強くなるために良いことだね。でも、それに重圧を感じる必要はないってこと」
「……ありがとう」
知らずのうちに焦る気持ちもあったのだろう。
目からうろこが落ちるような良い言葉に、ユーリは素直に礼を言って、ノーレンという一人の冒険者に対しても少しばかりの尊敬を抱くのであった。





