謎の少女
完全にその場の空気が凍っていた。
オオロウはだんだんと剣呑な目つきに変わっていったし、茂木も厳しいまなざしで少女を見つめる。
「あれ、おかしいな……。なんかその、なんかじゃない?」
少女は雰囲気を察したようで、目を右往左往させながら状況を把握しようとしている。単純にどこからか依頼を受けてきてしまったのだとしたら、マグナスの味方ではない可能性もあるだろう。
ハルカは一歩前へ出て、オオロウからの視線を遮りながらノーレンに尋ねる。
「マグナスに直接依頼を受けてきたのですか?」
「ええと、まぁ、一応……。〈北禅国〉って場所で命を狙われているから、長期で守ってほしいって……護衛依頼なんだけど……」
「どこから来たんです?」
「【鵬】から舟を漕いで……。半月くらいかけてきたんだけど」
見れば船には釣り竿が乗っている。
逆に言えば砂浜から見える装備は、それと妙なツボみたいなものだけだ。
「あの、よく無事でしたね」
二級冒険者と言えば、上澄みでも初めて会った頃のレジーナくらいだ。
おそらくその頃のレジーナでも、【鵬】からここまで小舟を漕いでやってこようとはしなかっただろう。
そんなことを考えながらなんとなく地図を思い浮かべていたハルカは、その日数がおかしいことに気が付いて一時思考を止める。
「……あの【鵬】から、この舟をこいで、半月できたんですか? どこか他の島からではなく?」
帆がない上に一人ということは、夜は海流に流されて漂っているだけになる。
目印もない大海原にこんな小舟で乗り出すのは、子供だってわかる自殺行為であった。
きちんと辿り着いていることが奇跡としか思えない。
奇跡でないとすればそれはすなわち、この少女の能力が普通ではないということの証左であった。
「うん、【鵬】から来たよ。それで、悪いんだけど……しばらく魚しか食べてなかったから、別のものも食べたいなって思ってきたんだけど……。なんかダメそうな感じかな?」
「お前、マグナスの知り合いか」
いつの間にか近寄っていたオオロウが、〈ダイアラスネ〉を肩に担いでノーレンを見下ろしていた。
同じく茂木も刀に手をかけてはいないがピリピリとした空気を発したまま距離を近づけている。
「そうじゃな、それだけははっきりさせておきたいところじゃ」
「え、なになに? もしかして、マグナスって人は悪い人だったりする……?」
ノーレンは強い敵意に挟まれながらも平然と笑っていた。
ついでに間に挟まれたハルカが居心地の悪さを感じているというのに、度胸のある少女である。
普通はいかにも強そうなオオロウに睨まれただけでも、たじろいでしまいそうなものだ。
「……〈北禅国〉の先代領主を殺し、国を乗っ取った男です。その息子である行成さんが戻り、ちょうど昨日戦いの中で命を落としました」
「あ、ふーん……それでかぁ……」
ノーレンは自分を挟むようにして立っている二人を順番に見ると、両手を上にあげて降参のポーズをしてみせた。
「私は何も知らずに来たかわいそうな二級冒険者です。お金も貰ってません。あと、お腹が減ったのでご飯をください」
あっさりとマグナスの依頼を忘れることにした少女は、図々しくもまずは自分の空腹を満たすことを優先することにしたようだった。
オオロウも茂木も、そんな間の抜けた雰囲気にやる気をそがれてしまったのか、変な顔をして対応に困っている。
「……ええと、一応私が見てますので、お食事出してあげるわけにはいかないでしょうか?」
ノーレンの言葉が本当だとすれば、本当にかわいそうなことである。
マグナスの依頼の件や彼女の事情を聴いてみたくもあるし、なにより年下の少女が空腹を訴えているのをハルカは無視できなかった。
「まぁ、ハルカ殿がそう言うのならば」
「そうだな」
話がまとまったところで、鬼たちはようやく舟をこぎ出し、ハルカたちは来た道を戻っていく。
変な拾い物をしてしまったけれど、ノーレンは意外なほどにあっさりとハルカの仲間たちと馴染んだ。
「ノーレンさんって普段どこで活動してるの?」
「主に南方大陸かな。【岳竜街】って分かる?」
同性のコリンが口火を切ると、聞き覚えのある名前が出てきてアルベルトが会話に参加する。
「あ、行ったことあるぜ。でっかい竜の爺さんがいる街だろ」
「爺さん? でもそう! 背中が森になってる竜が寝てるとこね。あの辺りにいることが多いよ。最近はいい依頼を探して【鵬】に出てたんだけど、なんか上手くいかなくてさー」
「それで変な依頼受けたです?」
「そう! やっぱり大きな依頼を受けて特級冒険者になりたいからさ。怪しいとは思ったんだけど、国の偉い人から指名で来てたみたいだからわざわざ舟をこいできたのになぁ……」
何やら聞き捨てならない言葉にハルカが振り返る。
指名となるとそれなりに名前が売れていないとこないはずだ。
それも、わざわざマグナスが指名した相手だ。何もないはずはない。
「あのマグナスが、あなたを指名して依頼を出したんですか?」
「うん、どのマグナスか知らないけど〈北禅国〉の偉い人らしいマグナスからだね」
「蒸し返すようで申し訳ないのですが、以前から知り合いだったわけではないんですよね?」
「うん、違うよ」
「ではなぜ指名依頼が……?」
ノーレンは目を泳がせて「あー……えっとねー」と答えをためらっていたが、しばらくして苦笑いしながら言った。
「ごめんね、ちょっと色々あって、名前だけは知ってる人は知ってるんだよね、うん」
怪しい。
めちゃくちゃに怪しいと全員が思ったけれど、どうやら嘘はついていないようである。
その時、ノーレンのお腹が大きく音を立てて鳴り出す。
随分と長く鳴った後に、ノーレンは恥ずかしがるでもなく笑った。
「あは、過去一番大きな音がでたかも」
「……とりあえず、戻って何か出してもらいましょうか」
モンタナが特に何も反応をしておらず、むしろ普通に会話しているところを見ると、特段悪だくみをしている人物ではなさそうだ。
ハルカは、食事をしながらじっくりと話を聞こうと決めて、この場での追及はいったんやめにするのだった。





