三翁
外のことは仲間たちに任せ、大門と行成、それにハルカとコリンは集落の中でも発言力があるという老人の下へ向かう。もともとは弓師の中でも特に腕の立つ職人であったそうで、先代先々代の弓を準備したのもその老人なのだそうだ。
コリンは達人の弓師を見てみたいということで、自ら手を挙げて同行することになった。北禅弓と大陸の弓とでは、取り回しなども随分と違うのだが、武器によって強くなれるのならば、という気持ちはコリンにもあるようであった。
ハルカとしては職人というと気難しいイメージがどうしてもあるので、気持ち的には腰が引けている。怖くなかったとしても、その道の達人、巨匠、みたいな話を聞くとどうしたって気後れしてしまうのは、性格的に仕方のないことであった。
気持ちはともかくとして、それを抑えて普通に接することができるようになっただけ、心は強く成長しているのだけれど。
たどり着いた小屋は外から見ても割と大きかった。
窓が多く設けられており、通気性が良く、冬の寒ささえ何とかなれば住み心地は悪くなさそうだ。逆に言えば老人なのにこれだけ寒そうな小屋に住んでいることが少々心配になるけれど。
大門が扉へ寄って声をかける。
「……ニノツギ翁、大門でござる。大事な話があってまいりました」
返事はない。
しばし待ってから、大門は遠慮なく戸をガラガラと開けてもう一度声をかける。
「ニノツギ翁、入りますぞ」
入ってすぐの場所は暗いけれど、奥の方には僅かに明かりがともっている。
大門は履き物を脱いで、軋む床をぎしりぎしりと鳴らしながら進む。
「勝手に入って大丈夫ですか?」
「儂らの国ではこんなもんでござる」
大陸と比べてオープンな文化のようだ。
夜に人が入ってくるなど考えるとちょっと怖いハルカだが、行成もけろりとしているので本当にそういうものなのだろう。
ちらっと部屋の中を見ると、そこには動物の毛皮がたくさんぶら下がっていた。
魔物と思われる巨大な狼や熊の毛皮まであって、これだけあれば冬でも暖を取ることができるだろう。ニノツギと呼ばれる老人が、弓師としてだけでなく、狩人としても十分な腕を持っていることがうかがえる。
奥へ進んでいくと、長い弓にぐるぐるとロープのようなものを巻き付けている老人の姿があった。揺らめく小さな灯りに照らされたその老人は、上半身が裸で汗を流しながら作業をしている。
横顔を見れば確かに年寄りであるはずなのだが、その体は筋肉に肌が一枚張り付いたかのような引き締まり具合であった。脂肪が少なすぎて、いっそ不健康に見えるほどである。
大門はニノツギがいる部屋の敷居の一歩手前で足を止め、その場に胡坐をかいて座り、視線でハルカたちにもそうするよう促す。
郷に入っては、ということでハルカとコリンも黙ってそれに続くことにした。
しばし汗をたらしながら作業を続けていたニノツギ翁は、最後に弓の端を両手で持って、これでもかとばかりにしならせてみせてから、大きなため息をついた。そうして同じような弓が何本も刺さっている竹籠にそれを放り込んで、近くに置いてあった桶から水を汲んでぐっと飲み干す。
「そこにいるのは本当に大門様と行成様か? それともその振りをした死神が儂を迎えに来たか?」
「本物でござる」
「ほうかほうか。で、なんじゃ」
どっかりと四人の前に胡坐をかいたニノツギ翁は、目をひどく細くして眉間にしわを寄せながら身を乗り出した。
どうやら目があまり良くないようだ。
「父上の仇を取りに参りました」
「おうおう、この間までよちよち歩いていた行成様が立派にものを言うようになったもんじゃ。涙が出そうじゃのう」
行成がしゃべったとたん、ニノツギの表情は好々爺のように柔らかくなる。
ころころと表情が変わる老人だ。
「ぜひともご協力をお願いしたく」
大門が一言喋れば、ニノツギの眉は再び吊り上がる。
「おう、ならばあの異国人をさっさとぶっ殺しとくれ。だぁから、儂ぁ最初から目の碧いもんなど気に食わんと話しておったんじゃ。案の定行連様も殺されてしもうたでないか。挙句鬼まで見張りに立つ始末。ここが地獄じゃあ、鼻ったれが」
コリンはともかく、ハルカなんてあからさまに異国人である。
それを前にしてこの老人あまりに言いたい放題であった。
行成と大門の肝は急速冷凍されたが、ハルカはあまり気にしていなかった。
ああ、こういうご老人、昔は近所によくいたなぁ、くらいの感覚である。
少しの懐かしさを感じつつ、なんだか叱られているような気がしてちょっと体を小さくしたくらいだ。
「あの、ニノツギ翁。そのために情報を持っていないかと参った次第なのでござるが……」
「知るか、そんなこと。あのマグナスとかいうやつら、若衆共を説得しろとか儂に言ってきよってな。気に食わんから『一昨日来やがれ』といったら、見張りを立てて儂らを人質に取りおった。年寄りへの敬意がなっとらん。あいつは糞じゃ、阿呆じゃ。協力してほしいのならば二度でも三度でも頭を下げんかい」
「あ、仰る通りで……。ええ、つまり、ここに見張りを立てられているから、弓師の里の若衆は仕方なく協力させられているということでよろしいか?」
「どうじゃか。ま、せっせこ弓は作っておるようじゃが……。一部あの異国人に協力的なものもいるようじゃから、立ち寄ることは勧めんな。それにしても、あの良き主をなぜ侍共は守れなかったんじゃ。腑抜けとる! まったくもって許しがたい!」
ニノツギはそれほど情報を持っていないようだ。
それと同時に、あっさりと行連を殺されてしまったことに対する大門への怒りの感情のようなものもあるようであった。
状況を察した行成は、大門からバトンタッチして丁寧に頭を下げる。
「ニノツギ翁。そこまで憤って下さっていること、父上に代わりましてお礼申し上げます。必ずや仇を取ってまたご挨拶に参ります」
行成が丁寧に頭を下げると、ニノツギはへたりと眉尻を下げた。
「……行成様よ。あの鬼のオオロウがなぜだか異国人に従っていると聞く。道は険しいぞ」
「覚悟の上です」
「ほうか……。人数は揃えたのか?」
「総勢で二十名ほど」
「二十……」
ニノツギは天井を仰ぎ渋い顔をした。
行成の行く末を案じての嘆きのようなものなのだろう。
「……よし、分かった。小一時間ほどくれりゃあ、このニノツギが弓に弦を張ってやろう。死なばもろともじゃ」
ニノツギは膝を叩いて立ち上がる。
弓にはそれぞれ特徴がある。
見るものが見れば誰が作ったものなのかなど一目瞭然であるからして、もし行成が敵討ちに失敗すれば、その責はニノツギにまで及ぶことだろう。
ニノツギは行成が酷く不利な戦いをするつもりなのだろうと判断したうえで、そこに自分の命も乗せることを決めたようであった。北城家が慕われていたというのは、事実であったようだ。
「ニノツギ翁……。感謝申し上げます」
「よいよい。ついでに儂もついてくからのう。さぁて、腕が鳴る! 魔物はいつものことじゃが、鬼を射殺すのは初めてのことじゃぞ!」
「あ、あの、ニノツギ翁も一緒に来るつもりで?」
「なんじゃい! なんか文句あるんか、鼻たれが!」
大門が一応確認を取ると、ニノツギ翁はまたもぎゅっと眉間に力を入れて言い返した。
「いえ、いえ、大変頼もしく」
「ふん。ならば最初から文句つけるでないわ」
果たしてついてきた意味はあったのか。
彼らの妙なやり取りを見ながら、ハルカはぼんやりとそんなことを考えていたのであった。





