巨人の木の実
夜の間しっかりと見張りを立てたにもかかわらず、結局アラクネは姿を現さなかった。
前回のこともあり、あちらも小手調べのつもりか、あるいは縄張り主張で糸を張り巡らせていたのかもしれない。なんにせよ、何もないならわざわざ自分たちから捜索の手を広げて会いに行くようなタイミングではない。
ハルカたちは朝になるとナギの背に乗り込んで、東へと飛び立つことになった。
ここで難しいのはルート選択だった。
基本的には南側のルートの方がやや〈ノーマーシー〉に近いのだが、巨人たちは見た目が非常に恐ろしい。ラジェンダにその姿を見せるか見せないかでハルカはぎりぎりまで悩んでいた。
結果ハルカは、南のルートを選択する。
飾って後からしんどくなるよりは、はじめからデメリットと思われる部分もすべて見せたほうがいい。しばらくしてから巨人を見かけて帰りたいと言いだせなくなったら、ラジェンダがあまりにかわいそうだ。
南の平原を飛んで抜けていくと、時折巨人たちがうろうろとしている姿も見かけるようになる。
ハルカはドキドキとしながら見守っていたけれど、むしろ緊張の色を見せたのは【金色の翼】の冒険者組であり、ラジェンダは目を丸くして驚いているだけであった。
「巨人、怖くないですか?」
ハルカが声をかけると、ラジェンダは口元に手を当ててしばし考えてから正直に答える。
「もちろん、怖いです。でもその、あれだけ大きいと、人に対する触れるべきではない、という感覚はむしろなくなってしまいました。単純に大きくて怖いなと、それだけです」
「なるほど……。彼らは力で物事を解決しようとする節がありますが、逆に言えば戦いに勝ってしまえば素直です」
「言うは易し、ってやつよ、それ」
巨人族の長の一人を見たばかりのエリは、ハルカの言葉についつい突っ込みを入れてしまう。それからはっとして、ラジェンダを心配させてしまうのではないかと横目で様子をうかがったが、それほど気にしていないようでほっと胸をなでおろした。
ラジェンダからしても、もはやそんな感想は見て分かる当たり前のことであり、最初の印象以上の怖いという感覚はなかったのだ。街から離れて〈混沌領〉に向かうと聞いた時がピークであり、今はむしろ落ち着いている。
「ハルカってさっきの特別大きいのにも勝ったってことでしょ?」
「あ、グデゴロスさんですね。はい、一応巨人族の長三人と戦って勝っています。ですからラジェンダさんも安心してもらえたらと」
「それはええと、はい」
あの巨大な人に勝つとか負けるとか言われても、それもまた想像しがたい。
ラジェンダの曖昧な返事にハルカは苦笑して一度その場から引き下がることにした。
夕暮れ時に野営のために地面に降りれば、ほどなくして数人の巨人たちが地面を揺らしながらやってくる。
「おお、陛下じゃねぇの。なんか飯とかいるか?」
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「遠慮しなくていいんだぜ。あ、じゃあこれ一個やるよ」
巨人の一人が抱えていた木の実をひとつ、指先でつまんでぐっと力を込めた。
木の実にひびが入ると、巨人はそれをそっとハルカに差し出してくる。
「十年ものだぜ」
「はぁ、食べるんですか?」
「いや、飲むんだよ。潰すと中から液体が溢れてくんだ」
巨人が持っていればクルミ程度であったが、ハルカが持てば抱えるほどに大きな木の実である。
ひびが入った場所からは、プンと酒精の匂いが漂っている。
「ま、なんかあったら呼んでくれよな、陛下。そんじゃ、俺たちは帰るぜ」
たまたまナギを見かけたから追いかけてきただけの巨人たちは、鼻歌を歌いながら機嫌よく立ち去っていく。どうやらハルカに分けた木の実がたくさんとれたことが嬉しいようであった。
「良い香りですわね」
いつの間にか近寄ってきていたヴィーチェが、鼻をひくつかせて木の実を興味深そうに眺める。
「そう、ですね。ちょっと開けてみましょうか」
魔法でささっと頭を切り取ってみると、酒の香りがさらにわっと広がっていく。
「舐めてみても?」
「ええ」
興味津々のヴィーチェに許可を出すと、ヴィーチェは切り取った破片を指でつまんだ。
ヴィーチェは手の甲に液体を垂らしてしばらく様子を見てから、ぺろりとしずくを舐める。そして「これは……」と感嘆の声を上げた。
「一口飲んだだけでもくらりときそうな程の酒精ですわ。おそらく木の実の内側にある香りが移っていて……、味も相当良いですわね」
「あ、私も私も」
指先にしずくをつけて舐めたコリンは「んー……!」と眉間にしわを寄せてしばし唸る。
「大丈夫ですか?」
「ん、大丈夫! 私には強すぎるけど、これ絶対に好きな人いるよ」
「そうですわね」
「ドワーフの人たちとか、絶対喜ぶ、絶対に。あとゴンザブロー師匠とか。あげたら何でも言うこと聞いてくれそう」
ドワーフと見まごうような体格をした、コリンの体術の師匠である。
大の酒好きなので、コリンの言うことも大げさではないだろう。
「ええと……、とりあえずここで飲むわけにもいきませんし、しっかり蓋をして保管しておきましょうか」
ハルカはヴィーチェから破片を受け取ると、空いた穴にもう一度詰め込んだ。
そうしてロープを使ってぐるぐる巻きにして、ついでに氷で周囲を覆って障壁で囲って近くに浮かべておく。
ラジェンダを送りに来ただけなのに、思わぬ収穫だった。
とりあえず安全な〈ノーマーシー〉まで行ってから開封しようと決めて、ハルカたちは今日も野営の準備を始めるのだった。





