月の神様の話
「そういえば、俺どれくらい寝てたんだ?」
「精々十数分ですよ」
「そうか、じゃあ上に戻ればまだ試合が見られるな」
元気に立ち上がったアルベルトは自分の試合結果を気にしているようには見えない。もっと悔しがって、しばらく荒れるかもしれないと思っていたのに、予想外の反応だ。
そう思っているのはハルカばかりなのか、誰もそれに言及しない。
「じゃ、ありがとなノクトさん。また今度話聞かせてくれよ!」
「ええ、また今度。身体に気を付けてくださいねぇ」
ニコニコ顔のノクトに礼を言って、アルベルトは部屋の扉をくぐる。
モンタナとコリンも、あとに続いて出ていってしまう。
ハルカも後を追いながら、扉から出る前にノクトに話しかける。
「あの、お聞きしたいことがあるのですが……」
「はい、なんでしょうか」
穏やかな表情を浮かべるノクトを見ると、何を聞いても許されるような気がするのが不思議だ。長年ずっと人を癒しながら生きてきたのだろう。年季が違う。
「治癒魔法というのは、貴重なものなのでしょうか?」
「そうですねぇ……、瀕死の重傷を治せるようなレベルだと国に片手で数えるほどはいます。手前味噌ですが、一日に十回以上それを使用できるというのは僕以外では見たことがありません」
「……そうですか」
ハルカの反応をじーっと見つめて、ノクトは椅子に座り手招きをした。
ぽんぽんと自分の横の椅子を叩き、そこに座れと促してくる。
戸惑いながらもハルカがそこに座ると「ちょっと待っててくださいね」と声をかけてどこかへ立ち去った。
遠くから会場の歓声が聞こえてくる。
天井を見上げながら、なぜ彼に呼び止められたのかを考えるが、特に思い当たることはない。そんなに変な質問をしたとも思えない。
やがて戻ってきたノクトは、お茶とお菓子をもっていた。
小さな丸テーブルにそれを置いて、ずるずると引きずってこようとする。
非力なのか、ガタガタとテーブルが揺れて危ない。
「私がやりますよ」
「すみません、力があまりなくて。年ですかね?」
冗談なのか、本気で言っているのかよく分からず、ハルカは曖昧に笑う。
テーブルを椅子の間に置いている間に、ノクトはベッドの方へ歩いていく。
何をするのかと思ったら、ギーツの横に立って、とんとんと肩を叩く。
「気になるからって、盗み聞きはダメですよ」
むくっと上半身を起こしたギーツは、気まずそうにハルカから視線をそらして、言い訳するように口を開く。
「別に盗み聞くつもりはなかったのだ、ただ起きるタイミングを逃しただけでな……」
「はいはい、じゃあお話しするので元気になった人はお外に行きましょうねぇ」
ノクトはギーツの袖をつかんで部屋の外まで連れていく。
「体に気を付けてくださいねぇ」
お決まりのセリフなのか、アルベルトに言ったのと同じことを言っている。
しばらく見送ると椅子まで戻ってきて、一口お茶を啜り、ふーっと息を吐いた。
「ハルカさんも治癒魔法を使えるんですねぇ」
質問ではなく、確信をもってノクトが呟いた。
どこでばれたのかと思ったが、隠し事をするだけ無駄に思えてハルカは黙って頷く。
「話したくないこともあるかもしれませんから、僕の話をしましょうか」
パリパリと薄焼のクッキーのようなものを食みながら、ノクトが上目遣いでハルカを見る。
慎重に言葉を選んで気を使ってくれているのが分かり、ハルカは申し訳ない気持ちになる。
「まず一つ、僕と同じレベルで治癒魔法を使えるのであれば、公表は避けるべきです。こんなことを言うのは悲しいですが、まず間違いなく他人から狙われます。やりたいことがあるのであれば、それは隠すべきでしょう」
目をつぶりながら滔々と述べる姿に、ノクトの積み重ねてきた年齢を感じる。穏やかな口ぶりは押しつけがましさがまるでない。
「僕は欠陥魔法使いなんですよ。使える魔法は、治癒魔法と障壁魔法、それに豆魔法をいくつかくらいです。これは知っている人はみんな知っている事実ですから、構えずに聞いてもらっていいですからね。ただここからはちょっと秘密です、いいですか?」
ノクトがいたずらっぽく笑ってハルカの顔を覗き込む。
ハルカは黙ってこくこくとうなずいた。
「僕はね、神様に会ったことがあるんです。出会うまでは、ただちょっとだけ人より治癒魔法が上手に使えるだけのへっぽこでした。獣人族は太陽の神様と月の神様を信じているんです。どうも聞いている限り、太陽の神様がオラクル様で、月の神様がゼスト様のような気はするんですけどね。太陽の神様は生を司り、月の神様は死を司ります。僕は死にかけたことがあるのですが、その時どうしても生きてやらなければいけないことがあったんです。強く強くそれを願いながら死にかけていました。そこに偶々月の神様が通りかかったんでしょう。月の神様としばらくお話しした僕は、いろいろあって結局力を貰って生きることになりました」
話の合間にお茶をすするノクトは、じーっとハルカを見つめる。隠し事を全て見破られてしまうような気がして、ハルカは目をそらした。
「クダンさんが言っていた、強そうな奴って、あなたですよね。もしあなたが、自分の持つ力に疑問があるのなら、もしかしたらそれは神様が関わっているかもしれません。月の神様は気まぐれで、それから、人族の皆さんが思っているほど恐ろしくはありません。そしてあの神様は、《《あなたそっくりの姿をしていました》》」
「私に、そっくり……?」
「はい、ずいぶん昔のことなので、明確に覚えているわけでもありませんけれどねぇ」
何かしらの超常的な力によってこの世界に招かれたことは当然だったが、神様なんて言われると、なぜ自分なんだと思ってしまう。
しかもこの話によれば、自分をこの世界に招いたのは破壊の神ゼストということになりそうだ。破壊者側の神様と言われているから、とても他人に話せるようなことではない。
ヴィスタでハルカが破壊の神の使いだと言われたことがあったが、あれは間違っていなかったのかもしれない。
「僕の話は役に立ちましたか?」
「……はい、とてもとても役に立ちました」
「よかったです。話ならいくらでもしますし聞きますから、悩み事があったら訪ねてくれていいですからねぇ」
両手を顔の前で合わせて悩むハルカを、ノクトは慈しむような目で見つめていた。