けじめをつける
「どうぞ、中へ入って下さいまし」
ついにごくりと唾をのんでしまったフラッドが、覚悟を決めて扉をくぐる。
「あ、どうも」
「やほー」
ハルカが軽く頭を下げ、ユーリもそれにならって前屈。
コリンが手を上げて挨拶したところで、扉を閉めたヴィーチェはフラッドの横を通り抜けて優雅に頭を下げる。
「いらっしゃいまし。お話が済むまでどうぞごゆっくり」
へたり込むことは辛うじて避けたフラッドだったが、壁に寄りかかり大きなため息をつきながら額を押さえる。
「勘弁してくださいよ、マジで。めちゃくちゃ緊張したんすよ」
「そうなんですか? 確かにちょっと秘密の部屋っぽいですもんね」
ハルカはヴィーチェが事情を伝えて連れてきてくれたとばかり思っているから、なぜフラッドが緊張していたのかがわからない。
なにせハルカにとってヴィーチェは警戒する相手であっても、恐れる相手ではないのだから想像しろという方が難しい。ちなみにユーリもハルカと一緒に小首をかしげている。
順調に非常識を常識と認識していっているようだ。
理解しているのはヴィーチェとコリンで、ヴィーチェはすまし顔、コリンはニヤつきながら「いいお酒いっぱいあるみたいだよー?」と声をかけた。
「え、なんすかまじで。ええと、座っていいんですかね」
「どうぞ。フラッドさんの性格は、コリンさんから聞いてましたわ。どうせ、あの若い子を焚きつけていらしたんじゃないのかしら?」
「あー……まずかったすか? いや、あいつ真面目だし、多分出世しますよ。生活も安定しますし……」
夜の街の女性とうまく付き合ってきたフラッドからすれば、『一度断られたくらいで諦めるな、それも駆け引きだ』くらいに思ったのだろう。
もし自分で声をかけていればラジェンダの纏う雰囲気から察することもできたろうが、後輩からのまた聞きではその場の空気まではわからない。
「考えられないと、一度きちんとお断りしているはずですが。そもそもラジェンダは雇われる側ではなく、この店の運営側です」
「あ、いや、すまん。いや、申し訳ありませんでした。俺の判断が誤っていたようです。あいつは最初諦めようとしてたんですけど、あまりに落ち込んでて見ていられなかったからつい……。何にしろ、俺が悪い。本当に申し訳ない」
軽い口調でしゃべっていたフラッドだったけれど、自分が大きな失敗をしたことに気が付いたのだろう。居住まいを正すと、深く深く頭を下げてヴィーチェに謝罪を繰り返した。
「ま、いいですわ。ラジェンダもちょっと変わった子ですし。それに普通の子たちであれば、騎士の方に見初めていただけるって嬉しいことですもの。その代わり、あなたの後輩がラジェンダをちゃんと諦められるように、協力してくださいまし」
「あ、そりゃあもう、全力でやらせていただきます」
「あと、今後もお仲間を連れて店にいらしてくださいましね。ラジェンダ以外にもいい子はたくさんいますわ。独り身の、チョロそうな人をいっぱい連れてきてくれるとなおいいですわね」
「うっ、いや、まぁ、来たいって奴は連れてきます」
流石に結託をして、ここの女性たちを騎士たちに紹介することまではできない。
フラッドがぎりぎりの回答をすると、ヴィーチェはようやく笑った。
「最後のは冗談ですわ」
「いや、マジですみません」
ようやく空気が緩んだことを察して、フラッドは息を吐いて背もたれに寄りかかった。
「ハルカさん、氷をいただけます?」
「はいどうぞ」
ヴィーチェは新しいグラスに氷を入れてから酒を注ぎ、テーブルを滑らせるようにしてフラッドの前に出す。
「どうぞ、多分お好きですわよ」
「こりゃどうも」
受け取ってちびりと舐めるフラッド。
それから目を見開いて、一口しっかりと口に含んでから、鼻で息を吸い込んでからごくりと飲み込む。
「……うま」
「そうだと思いましたわ」
「なんで分かったんすか」
「そのドアにある穴から覗いて、何を飲んでるか見ていましたの」
「……いや、マジで取り返しのつかないやらかししてなくてよかったわ」
まともにやり合ったら、とても勝てる気がしない。
戦いの実力的にも駆け引きでも完全にお手上げのフラッドであった。
「それで、ええと? なんでハルカさんたちがここにいるんすか?」
「あー、色々と事情がありまして」
「話すのであれば私から話しますわ」
「あ、お願いします」
完全に格付けが済んでしまったフラッドは、低姿勢でヴィーチェに頭を下げる。
「ラジェンダは、男女問わず人と触れ合うのが苦手ですの。数秒触れただけで、立ち眩みや吐き気がするほどに。だからあなたの後輩が悪いわけではなく、誰とも一緒になりたくないんですの。いえ、本音を勝手に語らせてもらえば、なれないと思っている、が正しいと思いますわ。あの子、断ったのに諦めてくれないと言って、随分と悩んでいましたのよ」
「誠にすみません。それで、ハルカさんたちがいるのは?」
謝りつつ話を進める辺り、フラッドは人付き合いが上手である。
「今回の件だけがきっかけではないですけど、街で暮らすのはいよいよ辛いと判断して、ハルカさんたちのところでゆっくり過ごさせてもらうことにしたんですの。街程人が多くありませんから」
「あー、なるほど……」
「ですからフラッドさん。絶対にあの後輩君にラジェンダを探させたりしたら駄目ですわよ。それがお互いのためなんですから」
「そりゃもう、はい、しっかりやらせていただきます」
「よろしい。もう一杯飲んでもいいですわよ」
「あ、ありがたく」
しっかりと減っていたグラスに、ヴィーチェは酒を注いでやる。
フラッドはグラスを両手で掲げてそれを受け入れ、もう一度大きくため息をついた。
「いや、しかしまぁ……」
そこで止めたフラッドにハルカが尋ねる。
「しかしまぁ、なんです?」
「……俺、場合によっちゃ殺されるんじゃないかと思ってたんで、ハルカさんたちがいてほっとしましたよ」
「いや、ヴィーチェさんはそんなことしないと思いますよ?」
呑気なハルカの言葉に、一級冒険者がそんなに甘いわけないだろと思いながら、フラッドはヴィーチェの方をちらりと見る。
ヴィーチェはそれにも気づいてにっこりと笑ったが、黙ってろとでも言うかのように目は笑っていない。
触らぬ上位冒険者に暴力なしだ。
フラッドは黙ってグイッと酒を飲み「うまぁ」と一言呟くのであった。





