出立予定
すんっ、とハルカが鼻をすする。
目じりに涙がたまってしまったので、少しだけ上を向いて袖で目を擦った。
いつもあんな感じだけど、ヴィーチェは本当に仲間のことを大切にしているのだなと、感動しての涙である。
コリンは笑い、ユーリは心配そうにハルカの顔をのぞいている。
気づいたハルカはユーリの頭を軽く撫でて立ち上がる。
「あとはどう断わるかですね」
「あ、そうですね。とても良い方なので、なんというか、申し訳ないですが……」
「今ってどんな状況なの? 断ってもしつこく言ってきてるのなら結構面倒そうだけど」
付きまとい、と最初に聞いてしまったせいであまり良い印象はない。
聞くうちにそこまで無茶なことはしてこないタイプなのではと、印象は少し変わってきているけれど。
「……一度お付き合いをお断りしました。次は求婚をされましたが、そちらについても結婚は考えられないとお断りしています。それでも気持ちが変わるまで待つとおっしゃって、毎日のように店に通って下さっている状況です」
「他の子たちからすると羨ましい状況なんですわ。昔からラジェンダを知っている子ならばともかく、大人になってから私がお世話している子なんかは、事情もあまり知りませんの。接触を避けるように、と通達しているのが、却って気持ちの上でも距離も作ってしまっているようで……。私にも責任はありますわ」
ヴィーチェなりにラジェンダのことを気にしてルールを作ってきたのだろうけれど、それが裏目に出ることになってしまったのだろう。ハルカから見ればなんだって器用にこなすように見えるヴィーチェにも、うまくいかないことはあるのだ。
「難しいねー……。確かにさ、家業もなくて夜のお店で働いてたら、ちゃんとした人からの求婚って嬉しいもんね。それもそんなに情熱的に来られたらさ」
「私が普通だったら良かったんですが……」
「あー、ごめん! そういうんじゃなくて、ほら、物語とか読んでると憧れとかあるじゃない! 気にしないでね!」
コリンは失言に慌てて手足をばたつかせてフォローした。
昔から物語が好きだったコリンには、そういった報われない人が結婚して幸せに、みたいな話にも憧れがあるのだろう。
普段気軽にボディタッチをするようなコミュニケーションをするせいか、近づいていこうとしてから、はっと気づいて立ち止まり、ラジェンダのちょっと手前でわたわたとしている。
滑稽な動きであったが、笑ってばかりはいられない。
「断りに関しては、今日の夜に付き添ってやっておきますわ。そうですわね……、病気を治すために、縁戚を頼って引っ越すことになった、みたいな筋書きにしておきますわ」
「そうですか。引っ越しはいつ頃に?」
「気持ちは決まっていますので、今晩以降でしたらいつでも構いません」
きりっと引き締まった表情は、決意の表れのようにも見えるが、実のところは心が揺らぐのが心配なのだろう。揺れる瞳になんとなくそれを感じ取ったハルカは、提案を持ち掛ける。
「……早い方が良いのであれば、明日にでも出発できますが」
「あ、明日ですか」
何度も瞬きをするラジェンダに、どうやら性急すぎたことを悟るハルカ。
これまでは冒険者や危機的状況にある人とのやり取りが多く、普通に街で暮らしてきた人の感覚があまり理解できていないハルカである。
ラジェンダは、街から離れて遠い地で暮らすのだから、二度とは戻ってこられないと覚悟をしている。いくら早くと言っても、今日明日と言われるとやっぱり驚いてしまうのは仕方がなかった。
その感覚のずれがどうにも冒険者らしくて、ヴィーチェは苦笑する。
初めて会った時のハルカであれば、ゆっくり半年以内に、なんて言いだしそうなものだったが、いつの間にかすっかりと冒険者に染まったものだ。
「次に目的地へ行くときに迎えに来てくださればいいですわ。いつでも行けるよう準備して、私も予定を空けておきますの。大体いつ頃になりそうですの?」
「あー……そうですね、早くて数日中。遅くとも半月以内には」
「ではそれでお願いしますわ」
話は決まった。
あとは拠点へ戻るだけと「では……」と切り出したところで、ヴィーチェはハルカの腕をするりと捕まえた。
「何か急ぎの用事でもあるんですの?」
「いえ、特にはありませんが……」
「それなら今晩はちょっと付き合っていってほしいですわ。コリンさんだってお相手の騎士の方、どんな方か気になるんじゃなくて?」
「あー……、確かに……」
あまり首を突っ込むのもなーという気持ちはあるようだが、めちゃくちゃ気になるという好奇心も隠せていない。目が左右に泳いでいるのを見て、交渉以外の時は随分と正直だなぁとハルカは笑ってしまった。
「いいお酒もそろえてますのよ? たまには一緒に楽しみませんこと? もちろんお代は結構ですわ」
「……ええと、ユーリもいるのですが、その辺りは大丈夫でしょうか?」
「あら、いかがわしい店ではありませんわよ? 健全な、お客様に気分良くおしゃべりしていただくお店ですの」
「ぜひ、お越しください。歓迎させていただきます」
ラジェンダにまで頭を下げられると、なおのこと断り辛い。
もともと悪くない話でもあったので、ハルカは「それじゃあ」と、二人の誘いに乗ることにしたのであった。





