また次の機会に
「こいつが昨日言ってた航海士だ」
「トロウドってもんです。よろしくお願いしますよ」
よく日に焼けた、バルバロよりも少し若く見える男であった。背はそれほど高くはなく、茶色のウェーブした髪の毛を首元辺りまで伸ばしている。
挨拶と共に笑って見えた歯は真っ白で、目はキラキラと輝いていた。
「バルバロ様から、体験したことのないような旅に連れて行っていただけると聞いてます。俺ぁもともと世界中を自由にめぐりたくて航海士になったんです。楽しみにしてますよ」
「とまぁ、好奇心の塊みてぇなやつでな。採算の取れない船旅をしょっちゅう提案してくるから、俺としても持て余してるってわけだ。ああ、腕は確かだから安心してくれ」
にっこにこなのは、バルバロが今まで経験したことないような旅に連れてってくれる奴を見つけたと伝えたからである。ある意味ハルカたちの旅には適任な人材だ。
「気に入ったら向こうで働いてもいいぜ」
「あれま、厄介払いですか?」
「気に入ったらって言ってんだろ。そんなわけで、帰りにそのまま連れて帰ってくれていいからな」
「え? 準備とかはどうなんですか」
「あ、いらねぇっす。とりあえず金だけあれば。船乗りってそんなに街に私物が多くねぇんすよ」
あまりのフットワークの軽さにハルカが目を丸くしていると、トロウドはけたけたと笑う。
「いやぁしかし、いいっすねぇ。竜にも乗せてもらえるとか? 俺空を飛ぶのも夢だったんですよ。もちろん、いつかは自分の船持って世界中を回るのが一番の夢ですけどね」
「なんだか冒険者に向いてそうだね」
「あ、いや、俺戦うのは別に好きじゃないんすよね」
イーストンの言葉に急に真顔になるトロウド。
確かに冒険者といえば護衛やら魔物退治やらって印象が強い。
そうなってくるとトロウドの目的とはだいぶずれてきてしまうのだろう。
「陸路じゃなくて海路を選んだのも、海の魔物って自分よりでかいものにあんまり攻撃してこないからなんすよね。でかい船に乗ってりゃ襲われないってもんで。とにかくよろしくお願いしますわ。俺は出発までこの屋敷で待機させてもらいますんで」
「あの、詳細とかは……」
「バルバロ様からなんとなく聞いてますよ。ま、安心してくださいよ。ここらから【神龍国朧】までの海はぜーんぶ頭に入ってるんで」
「そういうことでしたらまぁ……、また細かく予定を決める時でも……」
「とりあえず家だけ引き払ってきますんで、そんじゃまた!」
トロウドがうっきうきで駆けだすと、バルバロは呆れた顔で背中を見送る。
「才能はあるが俺のとこじゃうまく使えねぇ。ハルカのとこだったら役に立つんじゃねぇかな」
「いやぁ、どうでしょう。彼次第ですけど」
「ま、迷惑だったら突っ返してくれていいぜ。奴には多少我慢を強いることになるが、優秀なことには違いないからな」
〈北禅国〉との本格的な交易は、きっとバルバロ領の懐をより豊かにすることだろう。そのうえ目をかけている若者一人の希望をかなえてやれるなら、基本的には損はどこにもない。
「船旅になるんだったら【夜光国】にも立ち寄ることになるかと思ったけど、今回も縁はなかったみたいだね」
イーストンが海の方を見て言う。
「あ……、里帰りします?」
言われて思い出したが、イーストンは元々【夜光国】の王子である。
とはいえ、基本的には父が吸血鬼であり寿命が知れないから、後継者として何かをしなければいけないってこともないようだが。
もしや用事があるのかとハルカが心配すると、イーストンは首を横に振って笑った。
「いいよ別に。もともとそんなに頻繁に帰っていないからね」
「船ができればみんなで行ってみてもいいかもしれませんね」
「そうだね。ま、隣国ってことになるだろうし」
互いに人と破壊者の融和を図っているのだから、手を取り合った方がいいに決まっている。何なら帰りに寄り道していっても良かったくらいだったが、今回は街から人を連れていくことになるので断念せざるを得ないだろう。
一先ずこの街に来た目的は達した。
行成の用事は一応片が付いたし、竜の卵についても酒を飲みながら語り終えている。大型飛竜が危険であることには理解を得られたし、そもそも今は時期が悪いのだとか。
何が問題かといえば、これもまたマグナスが関わってくる話だ。
マグナスが中型飛竜を集めていたことはよく知られており、それを利用して国家転覆を企んでいたとも噂になっている。今の時期にバルバロが飛竜を集めだしたりすれば、また東海岸に不穏な気配アリとあらぬ波風を立てることになりかねないのだ。
「あのおっさん、やってくれたもんだぜ」とバルバロはかなり不満げに文句を言っていた。
数日の歓待を受け、ハルカたちはナギの背に総勢二十五名の人を乗せて拠点へ帰ることになる。なんとテセウスを慕ってついてくる子供は、下の子たち四人に加えて十九名もいたらしい。子だくさんなことである。
彼らは一様に海での仕事を生業としていて、漁師であったり、海産物の加工であったりといった自給自足の手段を持っている。
それに加えて航海士のトロウド。
ナギに乗り空に浮かんだときは奇声を発してハルカたちを驚かせた。
結果的にはただ喜んでいただけだったので問題はないのだけれど。
ナギの上で行成は、大門に向かってぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「大門よ。私は随分と世間知らずだったようだ」
「そう言わないでくだされ。わしこそ本物の世間知らずでござる。この年にもなって、殿を導かねばならぬ立場であるのに足を引っ張るばかり。何度腹を掻っ捌いて死ぬべきと思ったことか」
「ふむ、ではお互い様だな」
鬼のように顔をしかめる大門に向けて行成が笑う。
すると大門もつられて情けない顔になって俯いた。
「なあ大門よ。実は私、お主に隠れてハルカ殿に従属を申し入れたのだ」
「なんと」
「しかし断られた」
「ふむ……、まぁ、でしょうな」
「怒らんのだな」
「気持ちはわかりまする。どうせ申し入れるのならば国をきれいに統治してからにすべきでしたな」
「……随分と考えが柔らかくなったな」
「この旅の中だけで散々打ちのめされましたゆえ」
「私もだ」
主従は見つめ合って今度こそ一緒に笑った。
情けなくて笑うしかなかったし、すぎてしまえばいっそ愉快だった。
「大門よ、私は諦めぬぞ」
「何をでござる?」
「そのうちハルカ殿に臣従するのだ。今度は迷惑にならぬようにきちんと準備したうえでな。ま、いつになるやらわからぬが」
「臣下としては止めるべきなんでしょうな」
「では、男大門雷行としてはどうだ」
「殿が惚れた気持ちも分かりまする」
予想していたのとは違う答えが返ってきて、行成は変な顔をした。
「なんだそれは」
「そのまま、応援させていただくという意味でござる」
文句を言おうとした行成であったが、にっかりと笑った大門に気圧されて、照れ隠しのように不満な顔をしてそっぽを向くことしかできなかった。





