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バルバロは酒をたしなみながら、豪華な椅子の背もたれに行儀悪く腕をひっかけて「なるほどね」と呟いた。
何がなるほどかといえば、ハルカに事情を聴いた行成が、家臣の裏切りの可能性について報告してきたからだ。昨晩のうちに気づいていた話だけれど、自分で出した課題であったから、一応納得をしてみせたのである。
「じゃ、今日は俺に何をしてほしいか聞かせてみろよ」
「その前に一つ確認をよろしいでしょうか」
「おう、なんだ?」
バルバロが鷹揚に答えると、行成はハルカの方を一度チラリと見てから尋ねる。
「バルバロ殿は、もし私が部下のみを連れてやってきていたら、話を聞いてくださいましたか?」
「正直に言うぜ。一応聞くだけ聞いたかもな。でも絶対に協力はしなかった」
「ありがとうございます」
厳しい言葉であったけれど、行成の表情は変わらなかった。
それどころか納得するように頷いた。
「……港の船を見ました。〈北禅国〉の沖合でも見たことのある型です。ただ、違和感が一つ。私が見たことのあるものとは帆の文様が変わっておりました。その帆を掲げた船を襲ってはならない。【神龍国朧】においてはそのような規則がありました。その船をお貸し願いたい」
「軍船じゃないぞ。戦に使われたことが公になれば、交易もできなくなる。兵士は積めねぇぞ」
「結構です。〈神龍島〉との交易をするための船ですよね? 私たちを荷としてその船で運んでいただきたいのです。そうして、船の不調により一時的に〈北禅国〉へ寄港していただければそれだけで結構です」
「兵士はいらねぇか」
「いりません」
「私たちはその間に島へ入り込みます。船は短い期間で修理をしたことにして、翌朝には港を出て普通に〈神龍島〉へ向かっていただいて結構です」
「少数精鋭か」
「はい」
「できるんだな」
「やります」
はじめのうちの考えから一変。
行成は昼間には随分とへこんでいたはずなのに、この短い期間で立ち直り、ハルカたちの戦力も計算に入れて少数精鋭でのマグナスの討伐に作戦を具体的に想定してきたようだ。
中々の打たれ強さと立ち直りの早さをしている。
経験さえ積むことができれば立派な領主になることだろう。
「そうなると出港は二カ月先だぜ。どうせやるならちゃんと時期がずれてないほうが疑われねぇだろ」
「……二カ月ですか」
「そうだ、待てるか?」
行成は口元に指をあてて、目を伏せながら故郷のことを考える。
時間のたつことのデメリットは、マグナスの統治が〈北禅国〉に馴染んでしまうことである。善政であれ悪政であれ、島内での味方を作るのには苦労することになるだろう。
大門によれば、行成たちの船は〈ノーマーシー〉にたどり着くまでにひと月近く海上をさまよっている。途中で帆が破れたことを考慮したとしても、船旅の帰還はそれなりに長いものになるだろう。
「……ここから〈北禅国〉までは何日ほど?」
「ま、早くても四十日。天候に極端に恵まれなきゃその倍だな」
「あの、兵士を必要とせず、期間が気になるようだったら、私は障壁に皆さんをのせて飛んでいってもいいのですが」
話の流れを聞いていると、運ぶ必要があるのはハルカたちと行成たち一行だけになる。兵士の数を頼みとしないのであれば、こっそりと潜り込むことくらいはできそうだ。
「どれくらいで到着するんだ?」
「そうですね……多分〈ノーマーシー〉からならば数日中には」
「あの辺の海には小さな島しかないぜ? 目印になるのも空くらいなもんだがちゃんとつけるのかよ」
「多少迷ったとしても【神龍国朧】のどこかには到着できるのではないかと」
「目立たねぇか?」
「人数によっては多少。一度〈北禅国〉を避けて着陸し、夜のうちに島へ入れればそれほど目立たないのではないかと」
「つうか、数日間ほとんど魔法使い続けるわけだろ? ハルカは大丈夫なのか?」
「途中どこかの島で休めるのならば特に問題ないと思います」
「まじかよお前」
「ええ、まぁ」
「とか言ってるけどどうする?」
呆れた様子のバルバロに話を聞かれて、ぽかんとしていた行成は慌てて居住まいを正した。
「その、酷いご負担になったりは……」
「問題ないかと」
「……なんでハルカってナギの背に乗って旅してんだ?」
「いつも置いていったらナギが寂しいかと思いまして。ほら、ナギってあんなに大きいですが、まだ三歳ですから。それにやっぱり自分で飛んでいるより、ナギの背に乗っている時の方が気持ちが楽ですし」
バルバロと行成、それに大門は互いの視線を交錯させながら思う。
のんびりおっとりとしているようで、やはりこのハルカという特級冒険者はかなりずれていると。寂しがるとかわいそうなんて理由で、あんな大きな竜を連れまわすのはどう考えたって変な奴だ。
「それができるのならば……、その方が」
「そうだな。あの狸爺にばれないで上陸できるってんならいいんじゃねぇのか。……つーか、それができるのならばなんでこんな遠回りしてきたんだよ」
行成が顔を下に向けながら、小さく手を上げて釈明する。
「……お恥ずかしながら、私が【王国】より船団と兵士を借りて堂々と島へ戻るという夢物語を思い描いていたのです。この短い旅の間に多くのことを教えていただき、ようやくこのような結論にたどり着いたところでして……」
「そりゃあ、確かに、大層なこと夢想してたんだな」
バルバロは素直に行成の考えの愚かさを認めたが、それでいて笑ったりはしなかった。バルバロは子供時代の失敗なんて、よくあることだと身をもって知っている。取り返しの付く段階で気付いた時点で大したものだ。
「真に」
本当に恥ずかしいと思い、今日の昼過ぎの失敗をまた思い出した行成は、更に小さくなって恐縮する。そこでバルバロはようやく苦笑して言葉を続けた。
「ま、年も若いらしいし学べてよかったじゃねぇか。しっかしそうなると……、陛下からの手紙もあることだし、うちからも何かしてぇが……」
「あの」
恐縮しながらも行成が手を挙げている。
「なんだ?」
「ハルカ殿が途中でしっかりと休めるよう、航海士の方を同行させていただくことはできないでしょうか? 海流に影響をうけぬ速度の非常に速い船と変わらぬと思えば、島の位置などの知識が役立つと思うのですが」
「……悪くないな。中々頭が回るじゃねぇか」
バルバロに褒められると、行成は軽く頭を下げる。
乱暴な口調ながらも、決断力があり立派な領主をしているバルバロは、行成にとっては尊敬に値する男なのであろう。褒められればこそばゆいながらも嬉しいらしい。
航海の知識というのは、中々金に換えられない大事な知識なのだが、ハルカ相手ならば開示しても惜しくはない。これから〈ノーマーシー〉などとも交易する可能性を考えれば、頭のまわる航海士にその視察をさせるのも一つの手だろう。
ついでにこの派遣は、頭に浮かんだその航海士にとっても、飛び切りにいい経験になるはずだ。
「よし、じゃあ決まりだ。うちから若くて飛び切り腕のいい航海士を派遣してやる」
「ありがとうございます」
ハルカがお礼を言うのと同時に、バルバロがぼそっと「癖は強いけどな」呟いたことに気づいたものは誰もいなかった。





