柔らか
「お昼寝でもしますかねぇ」
ノクトがそう言って部屋を出たタイミングで、行成もすごすごと部屋から去っていった。次にバルバロと話すための準備をしてくるそうだ。
夜までには元気を取り戻していることを祈りつつ、ハルカは少しばかり小さくなったように見える背中を見送った。
「私も一休みしますが」
「うむ、良いぞ。我のことは気にせず休むといい」
「あ、はい」
寝るからエニシもお部屋から出ていこうねとお伝えしたつもりだが、ここに居座る気満々のようなのでハルカはすぐに諦めた。意図が伝わらないほどエニシは鈍くないはずだ。
つまり、出ていくつもりがない。
「横になっても?」
「うむ」
ハルカはベッドで眠るとき、体をまっすぐにして仰向けに休むことが多い。
いつも通りごろりと横になろうとすると、エニシがさっと枕をよけて、ハルカの頭が来る辺りに足を伸ばして座った。
広いベッドなので、ハルカが少しばかり下方向にずれて寝ようとすると、結局エニシもずれてきて、膝枕をされるような形になってしまった。
「足がしびれますよ」
「大丈夫だ」
「本当に寝ますからね」
「良いぞ」
エニシはよく人とくっついて過ごしている。
人肌恋しいのかと判断して、ハルカは本当に休むことにした。
特別眠たくないけれど、昨晩寝ていないのだから少しは休めるはずだ。
なぜだか楽しそうに笑うエニシの顔を見上げれば、まぁ、状況はともかく気分はそれほど悪くない。先ほどの話もあってか、何となく心が通じているようで安心ができた。
目を閉じると小さな鼻歌が聞こえてくる。
どこかで聞いたことのあるような、それでいて真新しい。
民謡のようなリズムの歌であった。
ああ、きっと子守唄なのだろうなと分かれば、すんなりと右から左へと旋律が通り抜けていく。
エニシは〈神龍島〉に引き取られて、この歌を聞きながら育ったのだろう。
そして連れてこられた子に、この歌を聞かせながら育てたのだろう。
そんなことを考えながら、ハルカは意識をゆっくりと手放した。
いつもの通り、意識が浮上してぱちりと目を開ける。
スイッチが切れて、また入ったような感覚は、この体になる前の目覚めとはずいぶんと違ったものだった。初めの頃は、若いからこその気持ちの良い目覚めと捉えたものだが、今となってはこの眠りにも何か違う意味があるのかもしれないと思うハルカである。
「おはよう」
「……おはようございます」
窓に目を向けてみれば、日が傾いて暗くなり始めているのがわかる。
それなりに長く休んでいたようだった。
「足、痺れてませんか?」
「うむ。ハルカは本当に身じろぎもせずに休むのだな」
「そうですか。起きた時に布団が剥げていることがないので、そうなのかなと思っていましたが」
「こんなに静かに休む者は初めて見た」
ゆっくりと体を起こして、髪を一撫ですると、ほつれるでも癖がつくでもなく、さらりと流れて元のように戻る。寝癖がつかないことをコリンにはよく羨ましがられるが、代わりにコリンの髪の毛をとく機会が増えたので、櫛の扱いは自然と上手になった。
「しかし、ふむ。何とも触り心地の良い髪であった。コリンが夢中になるのも納得だ」
ハルカの思考と同じくして、エニシもコリンのことを考えていたらしい。
コリンは街でのんびりしていると、すぐにハルカの髪をいじりたがる。いい匂いがすると顔をうずめてくることがあるので、流石にそれはやめるように言っているのだが、未だに時折やってくることがあって少しだけ困っている。
お風呂上りとかにケアをするものだと言われて、何やら良い香りのする油だか何だかを渡されることもあったのだが、いつからかコリンもそれを渡さなくなった。
コリンによれば、なくてもいい匂いがする、らしい。
いくら言われたって自分の臭いというのはわからないものなので、あまり嗅いでほしいとは思えないハルカである。
ベッドから体を起こし、水差しからコップに水を注いでのどを潤す。
そうして椅子に座ってひと息ついてから、ベッドでゴロゴロし始めたエニシを見やった。
「……エニシさんにとっては、私が行成さんの提案を受け入れたほうが都合が良かったのでは?」
エニシはごろりと横向きになってハルカの顔を見る。
長い黒髪が乱れて顔に少しかかっており、なんだかインモラルな雰囲気があった。
「まぁ、ハルカは友達だからな。助けてくれるというのだから素直に甘えるが、苦しんだり嫌な思いをしてまでやってもらいたくないのだ。何も返せぬという行成の気持ちも分かるのだが、その辺りはもう吹っ切れた。ハルカは多分、我のような困っているものに手を貸さずにはいられないのだ。であれば我がすべきは、それに甘えながらハルカが気持ちよく我のことを助けられるように頑張ることだ。もちろん、いつか必ず貰ったもの以上に返してやるという気持ちはあるがな」
都合のいいようで、親切を施す者、受け入れる者の関係としては、一つの理想的な答えでもあった。
「我は急ぐのはやめた。おそらく我を支えた巫女たちで、すでに行動を起こしている者はおそらく既にこの世にない。逆に言えば、そうでないものはサイカの下でうまくやっているだろう。我はぎりぎりまで姿を表に出さぬべきだ。我が生きており、無事に戻ろうとしていると知れば、大人しくしている者も希望によって行動を起こしてしまうかもしれぬ。できる限りゆっくり、水面下で事を進めるのが吉である、と今の段階では考えておる。柔軟にだな」
エニシの考え方は、希望的な予測も含めた上で全体の調和を取ったものである。
本来バランスをとるのが上手な性質を持っているのだろう。責任を負いすぎていたり、追い詰められていたせいで思考が偏ってしまっていたようだったが、元々の巫女総代エニシというのはこんな感じの女性なのかもしれない。
だからこそ、決定的なきっかけがない限り、不満に思っていた巫女も表向きはエニシに従い続けていたのだろう。
「なんだか、大人ですね」
素直に思ったことを告げると、エニシは髪をかき上げながらふふっと笑った。
「なんだ、我の魅力に気付いたか」
「ええ……、まぁ、そんな感じでしょうか」
「困ったように返事をするでない、冗談だ」
二人は緩やかな雰囲気で、夕食までの間しばし談笑するのであった。





