勇み足
エニシはハルカの表情を見てからノクト、行成と順番に顔を見てから大きくため息をついてから「あー……」と言いながら頭をかいた。エニシにしては珍しい仕草である。
ノクトのうす笑いと行成の覚悟の決まった目、それにハルカの困った表情を見て察するものがあったのだろう。すなわち今の状況がエニシにとって望んだ状況ではなかったことがわかる。
歩いてきてそのままベッドに座ったエニシは「邪魔したようで済まぬ」とだけ言って黙り込んだ。
エニシに相談したと聞いていた割には、何やら雰囲気が変であった。
十分に休んだはずであるのに、エニシの表情は何やら疲れているようにも見える。
「体調が悪いんですか?」
「いや、なに……。まぁ、我の話はあとでいい」
結論を後回しにしたいハルカとしては、先にエニシの体調の方を気にしたいのだけれど、むっつりと黙り込んでしまったエニシに言葉を続けるのが躊躇われる。行成もどうもエニシが来てから緊張しているようだ。
「お答えを、いただけますでしょうか」
ごくりと唾をのんで、行成が身を乗り出す。
答えるしかないのかと、ハルカは考えを巡らせた。
そもそもハルカには領土を拡張しようという野望がない。
現状でも問題を抱えており、自分たちのことで手いっぱいだ。
仲良くしましょうねという話ならばともかく、責任が伴う形での領土編入などもってのほかだ。歴史的な事実として【神龍国朧】の領土に手を出した国がどうなったのかをハルカは知っている。
【神龍国朧】由来ではないものが島を治めることには、きっと行成が考えている以上の抵抗があるはずだ。
行成が大事なものを差し出してまで恩を返したいという気持ちはわかる。
若い行成にとって、流浪の身である行成にとって、精一杯の感謝の気持ちであることも分かる。そして、自分よりも大きな勢力の庇護下に入ることで、安定を図りたいという気持ちも分かる。
行成がどこまで計算ずくであるかわからないけれど、理解できてしまう。できてしまうからこそ受け入れてあげたくなる。
「…………行成さん。お受けできません」
ハルカの口からは滅多に出ることのない断りの文句であった。
ノクトは相変わらず笑っていたし、エニシは額を押さえた。
慌てているのは行成一人である。
「な、なぜでしょうか……! 〈北禅国〉は小さいながらも豊かな国です! 取り戻すことができれば、海戦に慣れた強力な弓兵もおります。戦になってもきっと」
「行成さん、それは疑っていません。安心してください。そんなに大事なものを差し出さなくても、私はちゃんと行成さんに手を貸します。嘘をついて途中で諦めたりもしません。大丈夫ですから」
「そ、そのようなつもりでは……、わ、私は、恩を返すべく……」
自分でも気づいていなかったような内心を見透かされたからか、行成は酷く動揺していた。
ハルカに対して返し切れないほどの恩があると自覚した時、同時にハルカがなぜこれほど助けてくれるのかがすっかりわからなくなったのだ。短い期間に、自覚のたりない子供から、国を預かる責任者に変貌を遂げようとしていた行成は、その過程でハルカのあまりに益がないように思える行動に不安を覚えたのだ。
「行成よ。我は早まらぬよう言ったつもりだ」
「しかし、私には、何も、何もなく……」
「そんなものは初めからそうだろう。ハルカというのはそういう人なのだ。我なんていきなり胡散臭い声をかけてぶっ倒れて拾われたのだ。その後も迷惑かけっぱなしだが、未だに世話をしてもらっている。年上の者の言うことなのだから、少しは聞くものだ」
「し、しかし〈北禅国〉は確かに豊かで……!」
「いい加減にせよ」
受け取ってもらえればきっとハルカのためになる。
そんなニュアンスのことを言おうとした行成の言葉を、エニシがぴしゃりと遮った。静かであるがその柳眉は逆立っていた。
「こんなことは言いたくなかったが、はっきり言わねばわからぬようだな。お主にとって〈北禅国〉はさぞや大事なものなのだろう。わかるぞ、我にだってよくわかる。だがそれが他の誰かにとって同価値のものであると思うな。ハルカの気持ちになって考えてみよ。差し出されてどうするのだ。手間が増えるだけではないか。お主がやるべきことは、手を借りて国を取り戻し、立派に〈北禅国〉を治め、その上でハルカたちに益をもたらすことだ。ハルカが困った時に、今度はお主が助けられるほどの力を蓄えることだ」
ぐうの音も出ないのだろう。
行成は膝をぎゅっと握り黙して俯く。
「分かったら返事!」
「……はい。申し訳ございませぬ」
エニシがまた深くため息をついた。
手間のかかる子供を持ったような気分であった。
ひどく辛い目に遭い、死にかけ、何とか立ち直ろうとしている。
心を打ちのめされながら成長をする姿は見守ってやりたいし、助けてやりたいけれど、それでハルカに迷惑をかけるわけにはいかなかった。
もっと早く察して止めてやるべきであったという自戒も込めてのため息である。
若さによる行動力を計算に入れていなかったゆえの失態であった。
「気持ちは、嬉しいですよ。でも私が介入することで必ずしも〈北禅国〉が良い形に治まるとは思えません。むしろ故事を振り返れば【神龍国朧】全体を敵に回すことだってあり得ます。私は陰に徹していた方がお役に立てるんじゃないかなと」
若者の心や挑戦を傷つけたいわけではない。
言うべきことはエニシが言ってくれた。
ハルカがフォローをすると、行成は小さな声で尋ねる。
「ハルカ殿は、皆が私に向ける『お前は何ができる?』とでも言いたげな視線を向けてくることが一度もありませんでした。私は、何を返せるのでしょうか。ハルカ殿は、なぜ私を助けてくれるのでしょうか」
「なぜと言われても……」
言葉にすれば何もかもが偽りの善のような気がしてしまう。
ただ、困っている人がいて、何かできることがないか模索した。
見返りなど求めていない、とは言わない。
交易品のこともあるし、【神龍国朧】は破壊者に対して寛容な風土がある。そんな国と仲を深めておくことは、今後の生き方を考えてもプラスに働くだろう。
色々と得るものはある。まぁ、あるとしてもそれは大体後付けのもので、結局のところ半分以上は自己満足だ。
それを何と説明していいかわからず言葉に詰まっていると、ずっと黙っていたノクトが笑いながら答えた。
ちゃんと断れた弟子へ、褒める気持ちも込めての手助けであった。
「僕たちは冒険者ですからねぇ。冒険者は自由に思うままに行動するものです。その目的を問うなんて馬鹿げてると思いませんか?」
「……冒険者とは、そういうものなのでしょうか」
「ええ、そうですよ。だからいきなり気分を変えてやっぱりやめたなんてこともありますけど」
さっと顔を青くした行成を見てノクトが笑う。
これに関しては完全にただの意地悪だろう。
「やっぱりやめたなんてしませんから。……でも、そうですね。はい、自由に思うままに行動しようとすると、行成さんを手助けしようとなるので、まぁ、そういうことにしておいてください」
ベッドの上のエニシが『我は初めから分かっていたぞ』とでも言いたげに、体まで揺らしながら大きく頷いた。





