御恩
先ほどよりもさらに表情と体を緊張させた行成は、椅子に座っていた体をするりと床へ移動させて正座する。すごく嫌な予感を覚えながらも、ハルカが立ち上がろうとすると行成は「そのまま」と片手をあげてハルカの動きを制した。
これを面白いと見たのはノクトで、静かに笑って経過を見守っている。
「私の腕を治していただいたことからはじまり、今日にいたるまで様々な恩を受けました。何もない臣下たちや私に居場所を。相談に乗り、親身になって先のことを共に考えていただいた。エニシ様と引き合わせていただいたこと。愚かな私たちを、真竜であるヴァッツェゲラルド様や、大陸でもっとも力のある女王エリザヴェータ様に引き合わせていただいたこと。その過程も竜の背に乗せていただいたことで随分と短く済みました」
「成り行きです。将来を見込んでのこともありますから、打算だってあります」
「打算だけで納得できる恩ではありません」
ノクトからすればようやくそこまでたどり着いたのか、というところだ。
生まれてこの方閉鎖的で安定した国の後継者として育てられて、世界の大きさもろくに知らなかった行成だ。まだまだ年が若いことを思えば、知識や理解が追い付いていかないことは当然であったが、そこは大人である大門がある程度補ってやるべきであった。
しかしその大門も、同じく国を失った状況への混乱や、死ぬと思い込んでいた行成の復活。それに加えてハルカとの交渉があまりにちょろかったことで、感覚が狂ってしまっていたのだろう。とてもじゃないが、うまく行成を導いてやれているとはとても言えなかった。
少なくとも〈ノーマーシー〉に残してきた『島に帰って裏切ったやつ皆殺す。特にマグナスは首だけになっても殺す』しか頭の中になさそうな侍たちよりは、幾分かましであったのだけれど。
「先日エリザヴェータ様に拝謁したこと。そして昨晩バルバロ殿と話したことで確信いたしました。〈北禅国〉も北城家も、ディセント王国の方々からすれば、対岸の火事。懸念があるとすればマグナスがそこにいることただ一つであると。これはハルカ殿から見ても同じであるはずです」
「それは……、助けた責任もありますし……」
「そんなものはございませぬ」
ハルカがしどろもどろに返すと、自分を庇うための言葉を行成がはっきりと否定した。何一つ持って居らず、覚悟を決めなければならない行成からすれば、ハルカの甘い言葉は毒ですらあったのだ。
もちろんそれがなければ前にも後ろにも進めない状況であったことを理解しているからこそ、こうして床に膝をつけているのであるが。
「私は、ハルカ殿に受けた恩を低く見すぎていたのです。あまりに無礼でした。私がまず第一にすべきことは、ディセント王国に助けを乞うことではなかった!」
「落ち着きましょう、ね?」
拳を作って自らの太ももを殴った行成をなだめてみるが、行成は「落ち着いております」と言ってハルカを見上げた。
「ハルカ殿。これまでの助力感謝いたします。仮に私たちが無事マグナスの奴を討ち果たし、国に戻れるようなことがあればその時は!」
「行成さん、ちょっと待ちましょう。よく考えてからにしましょうか」
覚悟の決まった目を見て、ハルカにしては珍しいことに、さきがなんとなく読めてしまった。
「待ちませぬ、十分に考えました。成就したあかつきには、〈北禅国〉は【神龍国朧】から離れ、ハルカ殿の国の一領地とさせていただけないでしょうか。国の名はないと聞きましたが、仮にハルカ殿の宿の名からとって【竜庭国】とすれば、【竜庭国】〈北禅領〉となりたいのです」
勝手に国の名前まで付けられてしまった。
響きが竜帝国とも聞こえるから、そうなると王様じゃなくて皇帝になるのかなぁと、ハルカは頭の隅で僅かに現実逃避をする。
「領土も未だなく、連れている兵は僅か。他国の力を借りなければ復帰もままならず、うまくいったところでバルバロ領とは交易することもすでに確定しております。ハルカ殿の国だけに利益を供与できぬことは大変申し訳なく、図々しい願いと承知のうえ、伏してお願い申し上げます」
どこまでが計算なのかハルカにはわからなかった。
床に額をこすりつける行成を見ながらハルカは考える。
実は現状でもハルカが何とかしてマグナスを仕留めなければならない状況であることは、行成も理解しているはずなのだ。だからこそ、このままハルカの親切に甘え続けることだってできたはずだ。
それがどうして一晩過ごしただけでこんなことになってしまったのか。
「とにかく頭を上げてください。会話ができません」
「あげませぬ。頷いていただけぬ限りあげませぬ」
「……行成さん、それは半分脅しのようなものですよ。ハルカさんの性格をわかっているのなら逆に無礼だと思いますけどねぇ」
「あげます!」
ノクトが助け舟を出すと、行成はばね仕掛けのおもちゃのように、勢いよく上半身を起こした。 よほど強く床に額を押し付けていたのか、すっかり赤くなってしまっている。
「ついでに椅子にも戻っていただけるとお話ししやすいのですが」
「戻ります!」
流れでお願いしたら素直に聞いてもらえてハルカは一安心である。
「……大門さんとエニシさんにも相談してのことなんですか?」
先ほど昨晩相談をしたと言っていたから、確認の意味で尋ねると、行成は一度きょとんとした顔をした後目を泳がせ、「いえ、大門には相談しておりません」といって首を横に振った。
「どういうことですか?」
「大門は頭が固いので反対をするでしょう。反対をされたところで、私がこの意見を覆すことはありません。承諾いただいてから説得します」
「つまり一人で決めたと?」
「いえ、エニシ様には相談しました……」
どうも落ち着かぬ様子で指を動かす行成。
相談する相手が違うのではないだろうかと思いつつ、ハルカは質問を続ける。
「その、伝統とかあるでしょうし、あの島は【神龍国朧】に属する島なのでしょう? 何か問題が起きるのではないですか?」
「エニシ様によれば、特に問題はないと。ただし公に【竜庭国】に所属とするのであれば、【神龍国朧】の全ての国を制しても〈神龍島〉の主にはなれぬだろうと。他に問題があるとすれば【神龍国朧】にある国の反応でしょうか。各国は【神龍国朧】が他国に干渉されることを嫌います。公になれば手を取り合って攻めてくる可能性はあります。しかし関係ありませぬ。〈北禅国〉を、北城家を、私を、ただ見返りなく助けてくれたのは、助けてくれようとしているのはハルカ殿です。【神龍国朧】の他の国でもなければ、神龍様でもござらん」
興奮してるせいなのか、ついにござる言葉まで飛び出した行成が熱く語る。
すると扉がコツコツと控えめにノックされ「ハルカ、帰ったのか?」というエニシの声が聞こえてきた。
「帰ってます。開いてるのでどうぞ」
ハルカは扉の向こうに声を投げる。
ちょうどエニシと話がしたいと思っていたところなのだ。
計っていたのではないかと思われるほど、あまりにもちょうどいいタイミングでの登場であった。





