お師匠さん
ハルカはノクトと並んで、屋敷に向かって街を歩いていた。
ぼんやりと歩くハルカをしばらく放っておいたノクトだったが、都合五回も人とぶつかって謝罪した辺りで小さくため息をついた。
「ご飯を食べてから帰りましょうか」
「あ、そうですね。結局朝から何も食べていませんから」
食事にはやたらと興味を持つくせに、どこに入りたいとも言ってこないので、ノクトは適当に魚を焼く良い匂いがする店に入って椅子に座らせた。入ってすぐに「適当に食事を」と店の人に告げたノクトは、ぐるりと店内を見回すハルカを観察する。
悩みの内容にはおおかた見当がついていたが、場を整えてやれば自分から話すかなと待っているところだ。
視覚嗅覚聴覚でもろに食べものの気配を感じると流石に腹が空いてきたようで、首を伸ばして厨房をのぞく姿に、ノクトはひっそりと笑った。先ほどは随分と深刻なのかとも思ったけれど、そこまででもないようだと考え直す。
「何を頼んだものでしょう」
「もう適当にとお願いしましたよ」
ハルカは「いつの間に……」と呟いて間抜けな顔で瞬きをする。
時に恐れられるようになったと言っても、ハルカというのはこんな感じのとぼけた人物である。
立場や実力に対しての自己評価は非常に低く、時にそれが問題になることはあるけれど、ノクトにとってはちょっとしたアクセント程度の欠点でしかない。全体的な人柄を表するならば、善性の強いおせっかい焼きだろう。
「なんというか……」
ハルカはその整った顔で、表情を然程変えずに鼻で深呼吸。
おそらく店の良い匂いを存分にかぎ取ってから、表情を僅かに緩めて耳のカフスを指先で撫でた。
今となっては随分と昔に貰ったものだ。
ノクトの記憶によれば、まだこのバルバロ領に来る前に、誕生日プレゼントとして仲間たちからもらったものである。何か拠点のことや仲間のことなんかを考える時に
指先で撫でるのが癖になっているようだが、ノクトは特に指摘したりしなかった。
慣れてくれば考えていることの分かりやすいハルカである。
ノクト相手だと落ち着いて話すことができるのか、しばし言葉を区切った後にハルカは続ける。
「決めなければいけないこと……責任が増えたなと」
「そうですねぇ……」
そんなものですとは言い難い。
何せハルカは何の背景もないところから冒険者になり、あれよあれよという間に今にいたっているのだ。王族として生まれたのに責任の多くを放棄してふらふらしているノクトとは事情が違う。
「嫌になりましたか?」
「そうではないんです。ただ、不安ですね。私と関わったことを後悔するようにはなってほしくないので。どこまで、何をしたらいいのだろうと考えてしまいます」
「まぁ、程々でいいんですよ」
「程々が難しく」
「望まぬことまでしてやる必要はありません。必要だと思うことと、してあげたいことをすればいいんじゃないですかねぇ」
ノクトから見れば、あれもこれもどれも、となるのがハルカだ。
どこでどう生活するかを決めた以上、大人ならばそれぞれが責任を持って工夫しながらやっていけばいい。
困った、助けてくれと言われた時に頼りになる存在でいればそれでいいのだ。
ノクトはハルカが何でもかんでも助けることに対して、本当に守れるかと問いかけることがよくあるけれど、だからといって四六時中世話をしてやれと言っているわけではない。
結局のところノクトが説きたいのは『全員を幸せにしなさい』なんてことではなく、うまくいかなかったとき『ハルカが後悔しないようによく考えなさい』でしかない。
いつも気を抜いてばかりいるようだけれど、師匠と呼ばせている以上、ハルカがひどく辛い思いをしないように気にしているのである。
「あのテセウスさん、何かしてほしそうでしたか?」
「いえ。むしろ必要なことも言ってこなそうだなと」
「それじゃあ、最低限必要と思うものを準備して、あとはついてくる子供たちにでもたまに要望を聞いてあげればそれで十分でしょう」
「そんな感じですか」
「とりあえずそれでいいんじゃないですかぁ?」
やってみなければわからないことなんて山ほどある。
初めから完ぺきにこなす必要なんてなく、試行錯誤しながら改善していけばいいだけだ。これでいいと決めつけ、凝り固まったりさえしなければいい。
話が一度途切れても、ハルカはまだまだ何かを考えているようだ。
ノクトは壁にへばりついた真っ黒なすすを眺めながら、又その口が開くのを待つ。
「なんというか……、師匠、いつもありがとうございます」
「何ですか、藪から棒にぃ」
もう一つ二つ弱音や悩みが転がり出してくるかと思ったら、急に礼を言われてノクトは首を傾げた。
「師匠と出会ってなかったら、もっと色んなことで悩んでばかりで、うまくいかなかったことも多いと思うんです」
「出会っていなければもっと穏やかに過ごせていたかもしれませんよぉ」
「そうかもしれません。でも、それが今より良かったとも思えないんです」
仮定の話で断言をするなんて、ハルカにしては珍しいことだ。
内心驚きながら「そうですかぁ?」とさらっと流すと、ハルカはさらに続けた。
「何をやっていても不安はあるんです。でも、もし本当にどうしてもだめで、うまくいかなくて、なんてことになった時が来たとします。そんな時、師匠になら助けてくださいって素直にお願いできる気がするんですよ」
「あなたには仲間だっているでしょう」
「うーん……。皆は多分そんな時、一緒に困っていると思うんですよね。でも師匠なら何とかしてくれそうというか……頼っても、共倒れしないで何とかしてくれそうというか……」
話をしながらハルカも、今さっきポンと心に浮かんできた以上に、自分がノクトのことを信頼していることに気づく。言葉を続けるうちに、なんだか随分と図々しいことを言っているなと自覚して、段々と先細りになった結果、最後に「勝手なことばかり言ってすみません、忘れてください」と付け足した。
小さなころから親にすら甘えることを諦めていたハルカの、心の底の方に沈めていたよく知らない感情であった。自分の子供のような心を悟った瞬間、ハルカははっきりと頬が熱くなっていくのを感じる。
「へぇ、そうですかぁ」
ノクトはテーブルの上に手のひらを重ね、その腕に顎をのせて下からハルカの顔を覗きこむ。
「まぁ、困る前に言ってくれた方が助かりますけどねぇ」
「……できるだけそうします」
反省しつつ下を向いて返事をしたハルカは、ノクトのにやけ顔が、いつもより随分と優しげに見えることには気づいていなかった。





