親離れ子離れ
「あー、治してくれたのか。ありがとな」
「おめぇに礼を言われる義理はねぇ」
「年取ってちっとは落ち着いたかと思ったが、テセウスのおっさんは相変わらずだな……。流石に死にかけの時くらい人を頼れよ」
「うるせぇ、余計なお世話だ」
「ったく、良い年なんだから頑固も大概にしろよ」
この父親、テセウスという名前らしい。
昔ながらの知り合いのようで二人のやり取りには遠慮がない。
領主に対して遠慮がないというのも問題があるが、この領内では領主が法だ。バルバロが見逃しているのならだれも咎める者はいない。
「で、治ってそうそう何騒いでるんだよ」
「そっちこそ何しに来た」
「何しにって……」
バルバロは手に持った袋とテセウスの子供たちを見て頭をかいた。
「父さん、私たちが頼んだの! 薬草が市場にないから、バルバロ様に仕入れてもらうように!」
「あぁ!? だから他所に借りを作るなって……」
「親父、いい加減にしてくれ!」
テセウスが少女をどやそうとしたところで、中では一番の年長者である青年が同じくらい大きな声を上げた。きっと今まで反抗してきたこともなかったのだろう。青年の声は震えていたし、テセウスも驚いて目を丸くしていた。
それでも青年は言葉を続ける。
「俺たち皆親父のお陰で大きくなれたんだ! ちゃんと大人になって立派とは言えないかもしれないけど生計だって立ててる。領主様にお願いしても、少し時間をかければ支払いだって無理なくできるんだ。いつまでも親父の世話になってるばかりの子供じゃねぇんだよ!」
「この!」
カッとしたのか、テセウスは顔を真っ赤にしたが、ぐっと握った自分の拳骨を見つめてしばし動きを止めた。それから自分と反抗した青年を交互に見て、口をへの字に曲げる。
「生意気言いやがって……」
「ははっ、言い負かされてやんの」
からかうように笑ったバルバロを、テセウスはぎろりと睨みつける。
「おお、おっかねぇ」
そう言いながらもバルバロは軽く肩を竦めただけだった。
そして小さくため息をつきながら、プラプラと薬草の入った袋を振ってみせる。
「……このおっさんはな、俺に釣りのやり方を教えてくれた昔馴染みだ。漁の名人のくせに漁業者の組合に入りやがらない。頑固だが悪い奴じゃねぇからみんな扱いに困ってんだよ」
何が言いたいのかを察し、ハルカは申し訳なさげに眉尻を下げる。
おそらくバルバロはこれを機に、穏便な形でテセウスを街の仕組みの中に取り込むつもりだったのである。
「ま、治ったならいいか。それより、治してもらったのに何騒いでんだ?」
「お前には関係ない」
「おっさんじゃなくてハルカに聞いてんの」
「……治癒魔法の代金をどうするかという話ですね」
一応師匠の名誉のために過程は省略するハルカである。
「ふんっ。いくら払えばいいかはっきりしろと言っていたところだ」
「いくら払えばねぇ……」
「……お願い事を聞いてもらう、とかでもいいらしいのですが。バルバロさんは何かありませんか?」
いいことを思いついたとばかりにハルカはバルバロに話を振ってみるが、バルバロは渋い顔をして首を横に振る。
「手柄の横取りはちょっとな。……ああ、そうだ、いいこと考えたぜ。ハルカの所で今港町作ってるんだろ? そこにこのおっさん連れ帰るってのどうだ?」
「いや、そんな……。家族の皆さんと離れ離れになってしまいますし……」
「……いいかもしれませんねぇ」
ハルカが反対すると、続けてすぐにノクトが賛成する。
「師匠」
ハルカが思わず非難の声をあげる。
子供たちだってこんなに大事にしている父親と離れ離れになるのは寂しいはずだ。
そう思って顔を見たハルカはあれっと首を傾げた。
独り立ちをしていそうなテセウスの子供たちは皆、互いに相談をしていて、まんざら悪くなさそうな反応であったからだ。
テセウスはそんな子供たちの反応を見てむっとした顔をしたが、やがて右左と視線を動かしながらしばし考えて言った。
「…………港があって魚がいるのなら俺は構わん」
いつのまにやら世話しなきゃいけないと思っていた子供たちはすっかり立派になっていた。思えばこれまでバルバロには何度も組合に入るよう説得されてきたし、独り立ちした子供たちからも同じように打診されたことがあった。
子供に大きな声で言い返されたことで、テセウスは急に冷静になったのだ。
自分だけがぴんといつまでも気を張っている必要はないと。
むしろ昔かたぎで頑固にやっている自分が、子供たちの邪魔になっているようだと気づいてしまったのだった。
こうなると反対しているのはハルカだけだ。
なんとなくハルカにも話の流れはわかるのだが、こんなにあっさりと離れ離れになることを決めてしまっていいのかわからない。
「……いいんですか? 皆さんも」
ハルカが子供たちに問いかけると、答えはテセウスから返ってくる。
「ふん。こいつらはもう立派に金を稼いでるんだろ。今俺が世話しなきゃいけないやつはこいつら四人だけだ。それにな、俺だってわかってんだよ。おいバルバロ様よ。組合に入らない俺は邪魔なんだろ。あちこちから苦情が来てんじゃねぇのか? ええ?」
テセウスはわざとらしくバルバロの名前に敬称をつけて、つまらなそうに顔をしかめて鼻を鳴らした。
「そうだ。組合に入らないから困ってる」
バルバロははっきりと答えた。これでも辣腕を振るう領主だ。
自分の代になってから貿易で金を稼ぎ、港を今まで以上に整備し、市場の金をコントロールすべく漁業組合を発足させ、その首根っこも押さえている。
漁業者の中にもテセウスの世話になって育ったものは多くいる。頑固で誠実な男だとわかっているけれど、街の漁業を発展させていくには、人情で魚を卸してしまうテセウスの存在は邪魔なのだ。
テセウスの病気は不謹慎ながら、説得するためには渡りに船だったわけである。
「どうなんだ。俺は街一番の漁師だ。いるのか、いらねぇのか、はっきりしろ。いらねぇならここの海で荒稼ぎして金で返してやる」
「ハルカ、頼むから引き取ってくんねぇかな」
覚悟を決めたテセウスの文句は、バルバロや漁業組合を人質に取った脅しのようなものだった。この頑固おやじ、ノクトやハルカ、それにバルバロの態度を見て、すっかりハルカの正体のようなものを見破っていた。
何の因果かわからないが、この大物のようにも見えるお人好しの世話になるのが、自分の進むべき道なのだ。
そう勝手に思い込んだテセウスの売り込みを、当然ハルカは断ることなんてできなかった。





