心配性
手に汗握るとはこういうことを言うのか。
ハルカは生まれて初めてそんな経験をしていた。ただ拳を握ってみているしかない。気づけば立ち上がって身を乗り出していた。
アルベルトの身体が宙をうく。
「あぁっ」
心臓が止まりそうなのか、動きすぎて飛び出しそうなのかわからない。ただ声が漏れ出した。
試合終了の合図を聞いてローブを握り締める。
治癒魔法を使える者が待機しているから、怪我は治してもらえるはずだ。それでも心配だった。
「姉ちゃん、前見えねえよ。座ってくれ」
後ろから声をかけられて、硬直した表情のままそちらを振り返ると、男が小さな悲鳴を上げた。
ハルカは手で自分の頬と口を覆ってぐにぐにと動かす。ひきつったような表情しかできなかったが、後ろの観客に向けて頭を軽く下げて謝った。
「すみません」
「お、おう、いいぜ別に」
気付くとコリンとモンタナが座席の横にある階段を少し登ってハルカのことを待っている。
「行くんでしょ、アルのところ。それとも試合の続き見る?」
「行きます」
間髪容れずそう返して、ハルカは二人の後に続いた。
一度コロシアムの入口まで戻り、選手用の通路に向かう。
「申し訳ありませんが、選手と関係者以外は立ち入り禁止です」
警備をしている兵士が槍を交差させて、ハルカ達の行く手を遮った。
考えてみれば当然だった。怪我をしている選手の下へ易々と人を通されても困る。しかしどうしても今すぐに安否を確認したかった。
いい案が思い浮かばず、ハルカは太ももをトントンと叩いて視線を天井へ向ける。
「えぇ、アルは私達のパーティなんだよ? ダメなの?」
コリンが片方の兵士に詰め寄って、ブーブー言い始めると、兵士は少したじろぎながらも、その姿勢は崩さない。
「証明できるものがありませんので……」
「そんな証明って言われても、じゃあいつ入れるのよ!」
「おお、なんだ君たちも来ていたのか! 奇遇だな」
後ろから能天気な声が聞こえて、全員が一斉にそちらを向く。
いつも奇遇で姿を現すギーツが手を挙げてそこにいた。
「兵士諸君、お役目ご苦労。この人たちは確かにアルベルトのパーティメンバーさ。私ギーツ=フーバーがそれを保証しよう」
兵士たちは顔を見合わせて、少し話し合った後、塞いでいた槍をどけた。
「主催の一人であるフーバー子爵様のご嫡男であらせられますね? ではギーツさまが身元の証明ということにいたします。お通りください」
「たまには役に立つじゃない!」
どや顔をしているギーツに放たれた言葉は辛辣なものだった。悲しそうな顔になってしまったギーツにハルカがまじめな顔をして礼を述べる。
「本当に助かりました。もしアルがいる場所がわかるなら、先導していただけませんか?」
「おお、任せたまえ。我々はともに旅をした仲だからな!」
すぐに立ち直って意気揚々と歩きだしたギーツの後をついていく。
走ってアルベルトの下へ向かいたかったが、場所がわからないので仕方がない。
まさか案内してくれる人に、さっさとしろと文句も言えずに、ウズウズしながら石造りの廊下を歩く。
「あんた何しに来たの? まさか依頼が果たせなかったから文句言いに来たんじゃないでしょうね」
コリンの少しイラついた言葉に、ギーツが顔を顰めた。
「流石にそれは失礼じゃないかな? 私は旅を共にした仲間が傷ついたから、心配して見舞いに来たんだ。私の事情など二の次だ。いや、なんとかはしてほしいのだけれど」
三人は目を丸くして歩みを止める。
「まぁ、最終的に優勝さえしなければ、なんとかしてハルカとのタイマンに持っていくつもりだ。アルベルトの件は保険なのだよ。少々余計なプレッシャーをかけてしまったのではないかと、今更ながら反省しているくらいだ。……ん? なんだ、急ぐのではないのか? こっちだぞ」
振り返って止まっている三人を見たギーツが、先に見える扉を指さした。
時間が突然進んだかのようにぎくしゃくと動き出した三人は、ギーツの指さした扉へ向けて歩き出す。
「あのさ。ギーツ、さん。なんかごめん」
「何がだ。旅をした仲間だろう、ギーツで構わんぞ」
ぎこちなく謝るコリンに、不思議そうな顔をしてギーツが首を傾げた。
彼はそのままドアをノックして、中に向けて声をかける。
「アルベルトのパーティ仲間を連れてきた。入るぞ」
入室の許可を取るのではなく、本当に声をかけただけなのがギーツらしいところだ。
扉を開けるとベッドに横たわるアルベルトの姿が目に入った。
死んでるはずはないのに、まさかと思いハルカは足早にそばに寄った。
「わっ」
胸が上下しているのを見て、ほっと肩の力を抜く。眠っているだけのようだ。外傷もないように見える。
そういえば横から声がしたなと思って、そちらを見ると、獣人と思われる少年がハルカの方を見つめていた。
頭に巻いた角を生やし、その髪はピンク色でうねうねとしている。なぜさっきまでこれが目に入らなかったのか不思議なくらいだ。
垂れた目に、垂れた短い眉。見るだけで和んでしまう顔をしていた。
「あのぅ、怪我ならちゃんと治っているとおもいますよ。心配しないでも大丈夫ですからね。もう少ししたら目を覚ますと思います」
話し方までのんびりしており、無条件に信じてしまいたくなるような声色をしている。
「あ、申し遅れました。治癒魔法師としてこの場に呼ばれております、ノクト=メイトランドです」
「おお、獣人とは皆こんな風に小さいものなのかな」
ぺこりと頭を下げるノクトを見ながら、相変わらず失礼なことを言ってのけたのはギーツだった。
せっかく上げた株をすぐに下げるのは、まさかワザとなのではないかと、コリンはギーツをジトっと見つめた。