でじゃぶ
すっかり日が昇っているとはいえ、店が本格的に開くまでには少しばかり時間がある。
目抜き通りを歩いていても、店の呼び込みをしている人たちの姿はなく、皆忙しそうに開店の準備をしていた。
「残念ですねぇ、食べ物屋さんが開いていなくて」
「お腹が減っているんですか?」
「いえいえ、ハルカさんがですよ。ユーリが楽しそうに、ママは食べ歩きが好きだと話してました」
「……嫌いではありませんが」
「私から見ても、ハルカさんは食事好きですね。嫌いなものとかはないんですか?」
考えてみたところ、極端に辛いものや苦いものはちょっと苦手だと思う。
ただそれは、食事の好み云々ではない気がするので、ハルカは首を横に振った。
「ないですね。色々な場所で色々な味付けをされているのは面白いです。地域によって料理が違ってくるのは、なんでだろうと考えたりするのも楽しいですね」
「意外といろんなことを考えているんですねぇ」
「意外ですか?」
「もっと純粋に楽しんでいるのかと思っていました」
言われてみれば食べている最中はそんなことを考えていないような気がする。
ふと夜に暇になった時に思い出して考察する程度だ。
なんかちょっとかっこいいことを言おうと背伸びしたような気もして、ハルカは素直にノクトの言葉を認める。
「そうかもしれません」
「ハルカさんって素直なので、からかいがいはあまりないですよねぇ」
「すみません、面白くなくて」
「いえ、十分面白いので安心してくださいねぇ」
ゆっくりと歩きながらノクトはふへふへと笑う。
何が面白いのかさっぱりわからないけれど、師匠が喜んでいるのならばそれでいいかなと思うハルカである。
背が低いので一歩一歩が小さく、その上足の動きものんびりなので、歩行速度は旅をするときの三分の一程度である。本当に老人のお散歩ペースだが、急いで見て回る用事もないので、ハルカは辺りを見回しながらペースを合わせる。
昨日すっかり話し切ったおかげか、守るべき対象や気を遣う相手を連れていないからか、ハルカはぼんやりと街を歩いていた。ノクトなら何かあっても自分で何とかするだろうという信頼もある。
少し離れた場所から、子供たちが追いかけっこをしながら近づいてくる。
ああ、平和だなぁなんて気の抜けたことを考えていると、ぶつかられそうになって身を躱す。躱した先で他の子にぶつかってしまって「ああ、すみません」と謝ってから、ハルカはベルトにぶら下げておいたお金があるかを確認した。
そしてなかったので、柔らかい障壁を張ってその子の行く先を遮って跳ね返ってきたところを支えてあげる。
「もしお腹が空いてるなら……」
『何か美味しいものを教えてくれたら一緒に』と提案しようとした途中に、子供はお金の入った小袋をハルカに投げつけて去っていってしまった。まあどこの街にも貧困にあえぐ子どもは住んでいるし、ぼさっと通りを歩いていれば狙われるのである。
幸い今の子たちはあまり痩せていなかったようなので、毎日の食事にはありつけているのだろう。豊かな街で漁港もあるので、食べるものにはあまり困らないのだ。
いつか〈オランズ〉に住んでいる貧しい子たちが暮らしていけるような場も作ってあげたいものだと、逃げていく子供たちを見送る。もし今アバデアたちが作ってくれている港のある村が本格的に稼働し始めれば、開拓民みたいな形で貧しい人たちを招くのもありだと思う。
〈オラクル教〉との関係がある程度落ち着けば、実現できそうな未来である。
「ちょ、ちょちょ、ちょっとそこの美人なお姉ちゃん!」
ぼんやりと立ち尽くしていると、準備中の店の主人から声をかけられる。
他にも数人歩いている人がいたので、周囲を見てみるが、お姉ちゃんと呼ばれそうな人はいない。
「私ですか?」
自分を指さして問いかければ、店主はほっとした顔で手招きをした。
「そう、そうそう、ちょっとこっち来てくれよ」
「はい、なんでしょう」
呼ばれればなにも疑わずに近付いていくハルカである。
何をしでかすんだろうと隣でおとなしく見学しているノクトもついて行く。
「いや、すまねぇな、許してやってくれよ」
「何がですか?」
「いや、ほら、さっき金を掏られそうになっただろ?」
「ああ、はい」
未だに話が見えてこないハルカと、隣で笑いをこらえるノクト。
この店主は先ほどの子供たちのことを知っていて、ハルカが何かをするんじゃないかと心配しているのだ。
ハルカが考え事をしながら、逃げていく子供たちをどこまでも見つめている姿は、あまり優しそうには見えなかったのだろう。確実に相手の姿を覚えて殺そうとしている、やばそうな冒険者に見えないこともない。
立派な杖を持っているし、得体のしれない魔法も使っていた。
「いやぁ、あいつら兄妹でな。親父さんが珍しい病気にかかっちまって、何とか薬を工面しようとしてんだよ。何とかしてやりてぇんだが、中々高い薬草が必要でなぁ。街にありゃあいいんだが、大竜峰の方まで取りに行かないとないんだってよ。飯は何とかしてやってんだが、流石に冒険者に薬草取ってくる依頼をする金はなぁ……」
何やら大変な事情を抱えているらしい。
「なるほど。では先ほどの子たちの家を教えていただけますか?」
「ま、待ってくれよ、よっく言い聞かせておくから、許してやってくれ。頼むよ」
ハルカは治癒魔法で病気を治してやろうと思っただけだ。
できないタイプなら、薬草とやらを探してきてもいい。ナギの背に乗せてもらえば三日もすればとって帰ってこれるだろう。
しかし店主から見たら違う。
同情を引くような話をしたのに『そんなこと関係ないのでやさを教えろ、許さん』と言っているように聞こえたのだろう。
「……怒っていませんよ?」
「……怒ってないのか?」
ハルカが瞬きをして小首をかしげると、店主も瞬きをして首をかしげる。
「はい。治癒魔法が使えるので、何か力になれるかなと思ったのですが。一応冒険者ですから、薬草を探しに行ってもいいですし」
「……ほんと?」
「あの、私、そんなに怪しいですか?」
ハルカの眉尻が垂れたところで、奥からおかみさんが出てくる。
「何楽しそうにおしゃべりをしてるのかねぇ。あら、美人」
「いやね。このお人が冒険者で治癒魔法を使えるって……」
「あ、この人バルバロ様のお友達じゃないかい? あんた、失礼なこと言ってないだろうね。すみませんね、うちのは商売ばっかりで世間を知らないもので」
「いえ、お気になさらずに」
誤解が解けたようでよかったとハルカが胸をなでおろすと、ついに我慢できなくなったノクトが「ふへへ」と笑い声を漏らした。
「庇ってくれてもいいのでは……?」
「面白かったので。それにたまには仲間に頼らず問題を切り抜けるのもいいお勉強じゃないですか?」
「そうでしょうか?」
「そう言うことにしておきましょうねぇ」
ノクトはやっぱり楽しげに笑った。





