息抜き終わり
エリザヴェータと楽しくおしゃべりをして過ごした翌朝。
食事をとった後、ハルカたちは訓練場へと呼び出された。
そこにはエリザヴェータと幾人かの護衛。それに、行成主従の姿がある。
ピンと張りつめた空気の中、行成が背負ってきた弓に矢をつがえ、キリキリと弦を引き絞る。大陸で使うものと比べるとはるかに大きく、全長が二メートルを超すその弓は、大きくしなり、危なげなく力をため込む。
ピタッと行成の腕が動きを止め、指の力を抜いた瞬間。
矢は風を切りながらまっすぐに飛翔し、的の中心を射抜き、その背後に積み上げられた土の中に半ばまで沈み込んだ。それはすなわち、行成の弓の有効射程が優に百メートルを超えることを意味している。
「なるほど確かに強い弓だ」
「ありがとうございます。しかし私についてきてくれた部下たちは、誰もが私よりも腕がたちます」
「ふむ、そこの大門もか?」
「はい。しかしその腕に耐えうる弓がないため、力を存分に発揮することは難しい状態です。〈北禅国〉の侍は、元服を終えると専用の弓を作ることになっております。島から脱する際に、それを持ち出せなかったことは痛恨の極みです。わが父行連は、矢の一本で船を数隻を貫き沈めることすらできました」
「すさまじいな。エルフの弓は正確かつ巧みであるが、北禅国の弓は実直で力強い。素直に感心する」
「……今一つ御助力をいただけましたら」
「その話は終わった。しかし良いものを見たな」
手ごたえを感じた行成が恐れ知らずに交渉を持ち掛けようとしたが、エリザヴェータはあっさりとそれを却下する。それでも機嫌が悪くなったわけではなく、単純にそこには交渉の余地がないことをはっきりと伝えただけだ。
目的のために前のめりになっている行成の行動力自体は評価している。
「おはようございます」
「おはよう、ハルカ。朝から【神龍国朧】に関する話を聞いていてな。そこで〈北禅国〉の弓の話も聞いたのだ。確かにこれだけの腕と要害があれば、攻め寄る敵を跳ねのけることは容易いだろうな。それだけに、身中の虫には気をつけなければならなかったのだろうが」
「仰る通りです」
今となっては重々承知の事柄だ。
行成が肩を落とし、大門はぐっとこぶしを握り盛大に顔をしかめた。
エリザヴェータが立ち上がると、ぞろぞろと護衛がついて回る。
行成たちがいるからか今日は人払いをせず、そのままハルカの下へ歩み寄ったエリザヴェータは封蝋で閉じられた手紙をハルカへ渡す。
「バルバロ侯爵への手紙だ。内容は昨日話したようなことだな」
「わかりました。渡せば話は通じるということですね」
「まぁ、それで奴がどう出るかは分からぬが……。少なくともここから先はディセント王国としての動きではなくなる。どこの誰やらと協力するも自由だ。うまくやってくれ」
言葉にしないことがあれこれ含まれているようだ。
ハルカはそのすべてを受け取れたか不安であったので、後でイーストンやノクトに確認しようと思いつつ頷く。
「もう少しのんびりしていけ、と言いたいところだが、すぐに出発するのだろう?」
「ええ、そのつもりです」
「長旅をしてきたのならばのんびりしていけともいうのだが、ナギのお陰で数日しかかかっていないそうだからな。今回のような頻度でとは言わんが、半年に一度くらいは顔を出すが良い。特に用事がなくともな」
エルフの国も訪ねてみたいし、そうしたいのはやまやまなのだが、何分拠点付近が未だ安全ではない。いや、安全なのだが、神殿騎士がいることによって油断ができないと言った方が正しいか。
エリザヴェータもそれはわかっているだろうから、これについては願望程度で述べているだけである。
「善処します」
「ふむ、そうだな、善処するように」
この返しに更なるプレッシャーをかけられると、ウッと来るものがある。
元々暮らしていた社会特有の曖昧な逃れはエリザヴェータには通用しないようだ。
出発の準備を整えている間もたわいもない話をしていたハルカたちだったが、いざナギの背に乗ろうというところで、エリザヴェータはハルカに内緒話をもちかける。
「半年交代というのはどうだろうか」
「何がですか?」
「爺の居場所だ。半年ハルカたちの拠点にいたら、残りの半年は私と共に過ごすという画期的な提案だ」
明らかに冗談と分かる言い方だった。
ちょっとは本音が混ざっていたかもしれないけれど。
「勝手に決めるわけにはいかないでしょう」
「だろうな。しかしまぁ、居場所がわかるだけでも良しとしよう。私はな、それについてもハルカに感謝しているのだ」
「どういうことです?」
「ハルカに会うまで爺はあっちこっちふらふらしていたからな。強いから大丈夫だとは知っていても、攫われただのどこに現れただの聞かされると、その度、気になって仕方なかった」
言われてみればハルカが出会った頃のノクトは、何年も拠点にすら帰らずに放浪していた。クダンとは頻繁に遭遇していたようだが、それはすなわち、ノクトもふらふらと色々やらかしていたということに他ならない。
「なるほど」
「ところでハルカは爺の恋愛遍歴とかは聞いたことがないか?」
「師匠のですか?」
神殿騎士のスワムは腐れ縁であったから違うとして、もしかすると今港を作っている辺りの村では何かあったかもなぁくらいに思う。
ハルカの横顔を見ていたエリザヴェータは、鋭くその思考を察知して囁く。
「何か、知っているな?」
「あ、いえ、知りませんよ」
「最近の話か?」
「いえ、最近は全くそんな雰囲気」
「ふぅん、昔の話か」
「あ、昔の話も勝手に私が想像してるだけですので……」
「人の過去を探るのは下品ですよぉ」
ふわふわと横を通り抜けながら、ノクトが注意をする。
「爺は昔のことを何も教えてくれないからな」
「面白い話がないからってだけです」
「どうだか。ま、そのうちキリキリ吐かせてやる」
「怖いですねぇ、来るのやめましょうか」
「そんなことを言ってもまた来てくれるのは知っている」
自信満々のエリザヴェータに、ノクトは角を撫でてため息をついた。
「もうちょっといい子にしててくださいねぇ」
「爺がこんな風に育てたんだぞ」
「そうかもしれませんけどねぇ、やんちゃに育ち過ぎましたねぇ」
ノクトは苦笑しながらナギの背に登っていったが、怒ったり呆れたりしているわけではないようだった。
「では、そろそろ」
「ではな、又そのうち」
挨拶をしてハルカは浮かび上がりナギの背に乗り込む。
普通は頭が高いと怒られるような構図だが、ハルカたちの間にはそんなやり取りは必要なかった。
ナギがゆっくりと浮かび上がり、ぐるりと回って東へ向かって飛んでいく。
エリザヴェータはその姿が小さくなるまで見送ってから、表情を引き締めて振り返り、早足で城へと歩き出した。
のんびりしてしまったので仕事が少しばかり溜まっている。
エリザヴェータは随分と甘やかしてもらった自覚があった。
宣言を実現させるため、向こう数年は頑張れそうなくらいだ。
意識を仕事の方へと切り替えたエリザヴェータの表情は、すっかり果断な女王のものに戻っていた。





