交渉のバランス
北城家は長く安定していた。
戦は続いていたとはいえ、数百年続く名門として〈北禅国〉を維持し続けたのだ。
防衛は得意である。治世は安定している。
ただし大きく版図を広げたこともない。
名門だからこそ、一度形を崩された時は弱い。
マグナスが切り崩すにはもってこいの国であった。
その上先代行連は中々の傑物で、この男さえ盛り立てていれば家中は安泰と皆油断していた。中には頭の切れるものもいたけれど、そんなものはマグナスによっていの一番に殺されたに決まっている。
見た目の雄々しさに反し、真面目で、侍らしく、教育係となるような、いわゆる優等生型の大門。安定した環境であれば重宝されたけれど、立場が一変した今の状況では少々頼りない。
それでも大門は侍であり、真面目な忠義の男である。
ノクトのお陰で〈ネアクア〉に到着する前日の夜。全てを行成に打ち明けた上で、考えを改める必要性を説くことができた。
一方で行成。
エニシのお陰で心に抱えていた様々な思いを、一度すべて吐き出すことができたおかげで、すんなりと大門の失敗と現状を受け入れることができた。二人ともが新たに生まれ変わったような気持ちで、言葉を交わすことができたのは、実に幸運なことだろう。
半分くらいはノクトの計算のうちであったけれど。
主従はもやの晴れたクリアな頭で、新たな情報をもって話し合い、同じ結論に達した。すなわち、このままではエリザヴェータ女王との謁見は惨憺たる結果に終わるだろうということだ。
結果の想定は変わっても、手持ちの武器は変わらない。
持っているものでやりくりするしかないのだ。
「あちらの立場になって考えてみよう。……エリザヴェータ女王はマグナスのことをどれくらい重要視しているだろうか」
「二度と王国の地を踏ませたくないはずでござる。生きていることが知られることも避けたいでしょうな」
「であれば何かしら他の対策を取ることだろう。……大門よ、私たちには交渉材料が少ない。だからこそマグナスという存在こそを一番の交渉材料としようと考えたが、実は逆なのではないだろうか」
「どういうことでしょうか」
二人は頭を寄せ合い真剣な顔で話し合う。
「つまりだ。我々の復讐にエリザヴェータ女王の力を借りるのではなく、エリザヴェータ女王がマグナスを処理するのに、我々の存在を利用してもらうような形に持っていくのだ」
やることはほとんど変わらない、屁理屈のような理論を行成が語る。
はじめのうちは首をかしげていた大門だったが、聞いてみるに、確かに普通に交渉するよりはへりくだったような形になり、相手にしても気分よく力を貸すことができそうな雰囲気がある。
行成は額を突き合わせるような近さで、昨日よりも少しだけきりっとした目に、やや暗い炎を宿らせながら言った。
「大門。侍には外聞、誇り、色々ある。そう教わってきた。でもな、私はそんな事よりも、一刻も早くマグナスの奴の首が欲しいのだ。私の大事な家族を奪ったあの男が許せぬのだ。私の左腕の傷を見て追撃をやめさせた、あの男の侮った顔が脳裏にちらつくたび、たまらぬほどに許せぬのだ。多くは求めぬ。ここから先はただひたすら、奴を討ち果たすことだけに集中する。それ以外は些事と心得よ」
「はっ……」
主従の心が一つになりぐっと引き締まる。
行成たちはハルカたちにたまたま救われ、すっかり腑抜けてしまっていたのだ。
持たぬ者、失った者の心意気というのは本来こういうものであり、これこそが千年以上戦を続けてきた【神龍国朧】における侍の本質であった。
〈ネアクア〉へ到着すると、いつも通り武官のような姿に変装したリルが、偉そうに馬に乗って迎えに来てくれた。
挨拶もそこそこに、ぷかぷかと浮かぶノクトを見てにやりと笑う。
「陛下は今回の訪問をひどくお喜びになるだろうな」
「おめでたい話とかはないのですかぁ?」
「それについては直接聞いていただけますでしょうか?」
聞けば藪蛇だ。
リルの返しにノクトは知らん顔をしてそっぽを向いた。
今日も訓練場にナギを下ろしてよいということで、〈ネアクア〉の街上空を飛んで、そのまま訓練場へと着陸した。兵士たちはすでにはけているようで、今日も訓練場はナギ専用の休憩所となっている。
いつもは迎えに出てきているはずのエリザヴェータ女王の姿はなく、リルに連れられて城の中へと入ることになる。妙だなと思いながら大人しく後に続いていたハルカだったが、途中でリルがぴたりと足を止めた。
「皆さんはこちらへ。そちらの、陛下への謁見を望まれるお二人はあちらの兵士がご案内いたします」
リルは行成たちとハルカたちを別々の場所へ案内しようとしているのだ。
「……私たちも一緒に」
「ハルカさん、陛下のご意志です」
「ハルカ殿」
行成が急にハルカの名前を呼び、顔に笑みを湛えながら言った。
「紹介感謝いたします。ここからは我らだけで」
「……はい、またあとで」
ハルカは少しばかり俯いて悩んでから、無理に笑って行成を見送った。
それが見えなくなったところで、リルはまた口を開く。
「陛下からの言伝です」
「なんでしょうか」
「殺しはしない。ただ、どのような結果になっても恨むな、と」
「……少し、安心しました」
黙ってやればいいものを、同じノクトの弟子であり、友人であるハルカが相手だからこその言伝である。こんなものでも、ハルカが心配しすぎないようにと、エリザヴェータのできる精一杯の気遣いであり優しさだ。
「迷惑をかけてばかりいるようで申し訳ないです」
「直接伝えてください」
殊勝な態度のハルカにリルはそれだけ言って案内を再開した。
エリザヴェータは、ハルカ自身が思っているよりも、ハルカに対して金銭では支払いきれないような非常に深い恩を感じている。
だから本当はもっとわがままを言っても許される立場なのだが、ハルカがこんな性格だからこそ、エリザヴェータも気安く恩を受けたままにしておける。
リルは勝手に、ずっとこんな関係でいてくれたらいいと思っていたが、それを口に出すことは、臣下としては出過ぎた真似であると考え口をつぐむのであった。





