ロスタイム
エニシが話をしてくると立ち上がった時から、ハルカはハラハラしながらその経過を見守っていた。大門を追い払うこともはじめから規定コースだったので、追い払われた後はハルカが捕まえる手はずになっている。
心配そうに振り返り振り返り歩く大門を「こちらへ」と手招きして隣へ呼び寄せる。座ったところでイーストンが挟むように座って背後にノクトが浮かぶ。
完全に囲まれたことに気づいた大門だったが、ここから脱出する方法はない。
「あの、これはいったい……」
振り返った大門が見たものは壁とノクトの顔。
守るべき主の姿は完全に隠されてしまっている。
慌てて立ち上がろうとしたところで、ハルカに肩を掴まれ「まぁまぁ」と宥められる。強く掴まれているわけではないが、勢い良く立ち上がろうとしたせいでバランスを崩して座りこんでしまう。
分かっていたことだが、細い体からは信じられないほどの馬鹿力だ。
それでも明らかに大門の行く手を阻む動きに不審を覚え、再度立ち上がろうとすると今度は障壁に頭をぶつけることになった。跳ね返るようにしてまた尻もちをつくことになった大門の肩に、小さな手が乗っかる。
「まぁまぁ」
今度はノクトの仕業である。
師弟のやり方があまりに乱暴なことに、イーストンがため息をついて補足説明する。
「焦らなくたって何も悪さはしないよ。エニシが二人で話したいって言ってただけ」
「エニシ様が……、そうか」
「そうですよぉ。だから大人の方もたまには真面目な話をしましょうねぇ」
ノクトはぽんぽんと大門の両肩を叩く。
薄く開かれた目に上がった口角。
それでもハルカにはなんとなく不機嫌そうに見える。
「大門さんは、先代から北城家に仕える侍なのですよねぇ?」
「いかにも。殿が幼いころからお世話をさせていただいております」
「確認ですが、あなたは行成さんの案が成功すると思っているのですよね?」
「……無論でござる」
微妙な間。
自信をもって即座に答えられなかったのは、大門の内心に迷いがあるからだ。
もちろん大門は成功を信じている。
主となった行成が凱旋する未来を信じている。
そのつもりである。
眉を顰めたのはノクトだけではなかった。
「だとすればあなたは無能ですねぇ」
はっきりとけなす言葉を吐き出したノクトに、ハルカは耳を疑ったし、イーストンも珍しいことだと振り返った。
ただしそれを言われた大門はぐっと奥歯をかみしめただけで反論しない。
「てっきりうまくいかないものだとわかった上で主を見殺しにしようとしているのかと」
「そのようなことは!」
「ですからぁ」
振り返った大門の眼前に、柔らかそうな指が停止していた。
行動を完全に読んだかのように、正に眼球に触れるぎりぎりのところにあった指に驚き、大門は慌てて体をのけぞらせる。
手をついた大門を、ノクトは上から見下ろす。
ノクトは笑っていた。
笑っているが、何やら怒っているらしいことがハルカにはわかった。
「無能なのだと納得しました。てっきり、うまくいかなかったとしても、国の再興のために努めた北城行成の名は、隣国の王であるハルカさんの記憶に、そして何かしらの記録に残るだろうと、妥協したのかと思っていました。侍は誉が大事ですからねぇ……。誰かの足を舐めるくらいならば、名誉ある死も考えると思うのですよねぇ。おめおめと生き延びてしまい、本来は行成さんも船で死んでいたことを考えれば、忠臣として名を残すことは上々の結末だと。そんなくだらないことを考えていたのではないかと思っていました。いえ、本当に良かったです、ただ無能なだけで。僕はそんな感傷的な考えが大嫌いなものですから」
奥底にしまって蓋をした、自分ですらはっきりと言葉にできなかったことを、洗いざらい白日の下にさらされたような気分だった。冷や汗が背中を伝い、見つめ合っているうちにやがて額にもぽたりと垂れてくる。
ごくりと唾を飲み込んでから口を開くが、カラカラの舌はうまく回らない。
「もし、船団さえ……」
自分を保つために口先をついた言葉は、ノクトから反論が返ってくる前に大門の心をひどく搔きむしった。今のままではそれが叶わない可能性の方が高いだろうと、冷静になった大門はよく分かっていたからだ。
行成に対する申し訳ない気持ちと、ここに至るまで自分が忠義者のような顔をして立っていたことによる羞恥心が、今すぐここで腹を掻っ捌けと怒声を上げていた。
ノクトの見下すような笑顔が容赦なく大門に突き刺さり、逆にそれが辛うじて大門の死を思いとどまらせる。
「まだそんな世迷いごとを? 五分五分かそれより低い勝算しかない作戦に、本気でリーサが船を出すと考えていますか? あなたの立場も思って、どこかで主を導くかと待っていましたが、未だ何もしていませんね? ちょうどいい機会ですので、これが最初で最後の忠告です。現状ではリーサは絶対に船を出しません。協力もしません。あなたの忠義は今どこに向いていますか? 行成さんにですか? 死んだ先代にですか? それとも漠然とした侍という生き方にですか?」
大門はもう一度ごくりと喉を鳴らす。
ハルカというとんでもない傑物が、この小さな獣人を師と呼んでいたことを知っていた。それでも大門は、どこかこのぷにぷにとして、へらりとして、楽しそうに酒を飲む獣人のことを侮っていた。
そこにいたのは、間違いなく年を経、苦いものを味わいつくした老兵であった。
「時間はありませんよ。もし行成さんが一人で答えを出したとしたら、その時あなたは永遠に忠義を捧げる先を失うことでしょう。それは行成さんがまた一つ大事なものを失うことに他ならないと、肝に銘じるべきでしょうね」
死んで逃げるのか。
そう言われた気がした大門は、その場に足をたたんで額をナギの背にこすりつける。
そしてからからにかすれた声で言った。
「ご指導、誠、ありがとう存じます」
何とか話についていけていたハルカは、目を白黒させながらも、やはり師匠はいいことを言うものだと隣で姿勢を正して感心していた。
意気込んでいた割にはほぼ何の役にも立っていないけれど、黙って聞いておくこともまた学びである。





