吐き出せぬもの
空の旅も半分以上を過ぎた頃。
エニシは行成の隣に移動して、話を聞いてやることにした。
悩んでいるのはずっと見えていたし、それをイーストンやノクトが何とかしようとする気配もない。大門とハルカは時折話を聞こうと声をかけていたが、行成は何かを語ろうとしなかった。
何か語れぬ理由があるらしい。
ならば我の番かと、久々にお偉いさんモードに気持ちを切り替えてしずしずとやってきたわけである。
「エニシ様、どうされましたか?」
「大門か。しばし席を外してもらえぬか。行成と話をしたいのだ」
大門は眉を上げて、視線を右下へ下げて目を逸らす。
主が何者かと二人きりで話をするなど、基本的には避けたいものである。
特に最近は不安定であるようだから、守らねばという意識が強くあった。
ただエニシは、先代も認めていた【神龍国朧】にとっては特別な存在である。
あまり礼を失したことはできない。
「承知いたしました」
瞬間に随分と葛藤が見えたけれど、大門は時間を空けずに立ち上がった。
一礼して離れたのを確認し、エニシはすとんと腰を下ろす。
「何か、ございましたか?」
行成は緊張した面持ちで姿勢を正し、エニシに正対する。
エニシもまた足をたたんで凛としている。
世話になった、迷惑をかけた行連の息子が困っているのだから、何とかしてやりたい。
「楽にするが良い」
そんな言葉で楽にできるわけもない。
行成からすれば、ハルカは恩人であるけれど、エニシは自国文明における要人であり、父が敬っていた人物である。はっきり言って、どこの誰よりも緊張する相手だ。
「主の父は良き男であった」
「光栄です」
「主もそうは思わぬか?」
「はい。尊敬のできるよき父でした」
「そうであろう。行成よ、顔を上げて我を見よ」
目を合わせぬことも一つの礼儀である。
しかしエニシがそれをやめろと言うのであればと、行成は俯いていた視線をあげる。
「行成よ、悲しいことだな」
エニシの言葉が、瞳が揺れていた。
以前に父である行連の死を知った時も、エニシは涙を流していた。
思い出せば悲しいようで、今も油断をすれば大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれてきそうである。
行連から聞いていたエニシは、慈悲深く、どこか神々しく、それでいて遠くに感じるような存在であった。行連が楽しそうに戦なき未来を語ることが、侍の本分に反しているような気がして、腑に落ちずにいたのも事実である。
だがこうして顔を合わせてしまえば、そんな引っ掛かりはさらりと溶けてなくなってしまった。
エニシが会いに来た者にどのように接し、喜んだり悲しんだりしてきたかが見えてしまったからだ。
小さな体躯を大きく見せるほどの凛とした威厳のある姿をしているのに、その大きな瞳はよく揺れて感情を様々覗かせる。目を合わせているだけで、悲しいという気持ちが直接心に叩き込まれるような不思議な感覚であった。
最初にエニシと話したとき、行成は何とか感情を抑えて、状況の説明をしてみせた。大門がすぐ横で顔をくしゃりとしたのが見えていたが、北城家を率いていくものとして、父の死を悲しんでいる暇などないと、そんな情けない姿を見せるわけにはいかぬと気を張っていたからだ。
「行成よ、我は悲しい、悲しいことばかりだ」
エニシは柔らかく微笑み、背筋をピンと伸ばしたまま、ポロリと涙をこぼした。
「そう思わぬか」
行成は歯をぐっと噛みしめて、少しだけ上を向く。
それでもぽろり、ぽろりと両目からしずくがいくつか垂れてきた。
「強く見せることも必要なんじゃろう。侍とはそんな生き物じゃ。だが我は冒険者たちの自由なさまを見て、侍たちの不自由さが悲しくなった。こうあるべき、こうするべき。躯の上に築かれた伝統。恨みを糧にした歴史」
長年エニシが見つめてきた【神龍国朧】は、あらゆる欲を美化された意識でごまかすいびつな世界であった。
ただ親が子に会いたいと願う心も、平和に生きたいと望むことも許されず、侍となれば子が親の死を悲しむことも惰弱とされる。
「行成よ。行連が死んで悲しかったろう。討ったものが恨めしかったろう。逃げるしかなくて悔しかったろう」
行成は何も答えられぬまま涙を流し続ける。
「家を継ぐ、残す、取り返す。民を守る、臣下を守る、裏切りを許さぬ。大事なことなのだろう。いずれ侍であり当主であることが血液にまで馴染めば、自然と行えなければならないことなのだろう。しかし、今は一度そんなものは捨てよ」
侍にとっての全てを、エニシはそんなものと言い切った。
「本音を見せぬことと、本音に気づかぬことは違うぞ。お主の心は今何と言っている」
「……悲しい」
あまりに不明瞭な言葉だった。
「そうだろう」
「口惜しい」
「そうだろうな」
「だが、それよりも、悲しい。父も、母も、姉も弟も、全てを失ってしまった。何も守れなかった。悲しい、ただ、ひたすら悲しく、恨めしい」
「そうだろう……」
エニシは腕を伸ばして行成の頭を抱き込んだ。
抵抗はなく、行成はしばしそのまま涙を流した。
北城行成。
立派な体躯で勘違いをされがちだが、彼が全てを失ったのは十四歳の終わり。
ようやく十五になったばかりの青年である。





