前提のいくつか
「難しい顔してどうしたの」
ハルカがエニシを膝の上に置いて考えこんでいると、イーストンがやってきて眠たそうな顔で尋ねてくる。
「師匠に色々と忠告をいただきまして」
「ああ、交渉のことね」
「イースさんも厳しいと思いますか?」
「どうかな。まだ若いから、どうしたって足りない部分はあるんじゃない?」
「そうですよね」
エリザヴェータと交渉するには行成には足りないものがある。
ハルカもあっさりと同意したことで、自身も心のどこかでそれを感じていたことを認めてしまった。
「ふぅむ、心の根の真っすぐな青年であるように思うのだが」
エニシが腕を組んで偉そうに言ってみるが、ハルカの膝に収まっている状態だと、ただ大人ぶっているだけの女の子に見える。
「ハルカは何が足りぬと思うんじゃ?」
「リーサは……、師匠の言う通り、私のように甘くありませんから。それなりの見返りがないと交渉は難しいと思うんです。どれだけの支援を得ようとしているかにもよりますが……」
ハルカがうーんと悩んでいると、イーストンはいぶかしげな顔をする。
「大まかな内容も聞いていないの?」
「はい」
「エニシも?」
「相談されておらんからな」
「……あのね」
イーストンは額に手を当ててため息をついた。
「エニシは一番相談に乗りやすいんだから聞いてあげなよ。それにハルカさんは紹介するんだから、内容くらいちゃんと聞いておかないと。確かにハルカさんはエリザヴェータ女王と仲がいいかもしれないよ? でも、あの人は全世界でも一二を争う大国の国主なんだから」
「やっぱりそうですよね」
わかっていながら、忙しく出発準備をし、いつ聞くかと悩んでいるうちに今日になってしまっていたハルカである。自身も大きな国の王になったというのに、本当にのんびりとした性格をしている。
やらなければと理解していただけ一安心だ。
「とりあえず聞いてきますか」
「ふむ、そうだな」
イーストンに言われて、というのもあったが、元々少しばかり悩んだら直接聞きに行くつもりでいたので、ハルカの腰は軽かった。
三人が揃って立ち上がると、ぽてぽてと歩いてきたノクトも合流して、行成たちの下へ向かう。彼らは彼らで眉間にしわを寄せて、どのように交渉するかなどを話し合っていたが、その話を一度止めて顔を上げた。
「どうされましたか」
「まだ到着までは時間がありますから、行成さんがどのように交渉するのかあらかじめ聞いておこうと思いまして。手を貸せることもあるかもしれません」
「ありがとうございます。……では」
行成と大門が横並びに、ハルカたちと正面から向かい合う。
四対二での面接のような状態だ。
「私たちが差し出せるものは多くありません。一つは王国からやってきた反逆者、マグナス公爵の命。もう一つは交易による利益。最後に〈北禅国〉の強弓の製法と扱い方です」
大門はぎゅっと口を結んで怖い顔で黙り込んでいる。特に最後の弓の話ではより険しい表情となった。
「北禅弓と呼ばれるこの弓は、達人が扱うことでその本領を発揮します」
行成が背中から外したそれは、立てれば二メートルを超えるような大きさをしており、黒く鈍く輝いている。
「……当代随一の弓使いである父上が弓を引けば、船三隻に風穴を開け、その先の海に潜る鮫を射殺すほどでした。製法は秘伝。私は扱い方を教えられていますが、未熟。それでも十分な取引価値があると信じております」
なりふり構っていられないのだろうから当然だが、差し出されるものの価値は高いように思うハルカである。
「して、何を頼むつもりなのだ?」
「船団を。国に残った民たちが、私に味方しようと思えるほどの数の船団を。張りぼてでも構わないのです。上陸し、民をまとめる時間さえあれば勝算はあります」
「ふむ、悪くないように思えるのだが……」
エニシがちらりとハルカを見るが、ハルカにはまだまだ理解できないことが山のようにある。
「失礼なことを尋ねるかもしれませんが……、民が行成さんに味方をする確証があるということですか?」
「いかにも。平時は畑を耕す彼らは、有事にはともに船に乗り国を守り続けてきた仲間でもある。反乱を起こしたのは一部の家臣と、それにそそのかされた民。行成様さえ凱旋されれば、立ち上がり共に不忠者の首を落とすのに力を貸してくれるに違いない」
力強く答えたのは大門である。
そう語られるとそんな気にもなってきそうなものだが、ハルカはどうにも納得がいかず首をかしげる。
「【神龍国朧】では、戦には一般の民も参加するのが普通なのですか?」
「うむ、そうだ」
当たり前のように頷いたエニシ。
国民皆兵士、という感じだ。
ハルカの知っているそのようなシステムの場合、民が戦に出るのは出稼ぎのためであったり、自分が暮らす土地を守るためである。一部の武士のように忠義心によるものではない。
だとするならば。
もしマグナスが民の暮らしを保証している場合、外敵となるのは他国の船を連れて侵略をしに来た行成たち、ということになるのではないかと考える。
勝算がある、とか、違いない、とか、不安の募る言葉もある。
敵討ちという名目を持っている行成たちからすれば、気持ちが盛り上がっていて、十分に実現可能な作戦に思えているのだろうが、一歩外にいるハルカの目からは、かなり危うい作戦に見える。
そんな作戦に、エリザヴェータが首を縦に振るとは思えない。
しかしそれにしてはノクトが何も言わないのが不思議だった。
そこでハルカは、この博学な師匠の方へ質問を投げかけてみる。
「師匠はこの作戦どう思いますか?」
「僕は軍事の専門家じゃないですからねぇ……。でも、もしその民たちが、北城の帰還を強く望んでいるのであれば、成功するかもしれませんねぇ」
「数百年の恩があるのだ。当然、望んでいる」
「本当ですかぁ?」
ノクトがしたから大門の顔を覗き込む。
「無論だ」
一切引かぬ大門に、ノクトは目を細めて体を引いた。
そうして、あとは任せるとばかりにハルカに一度目配せをして、それきり口を閉ざしてしまった。





