拠点の日常
結局エリのお腹が鳴るまで続いた議論は、食事を終えてすぐに再開されてしまった。午後からはテオドラも加わってしまい、議論はなおも続く。
今日は勉強どころではないなと諦めたハルカは、ユーリとノクトを連れてふらりと散歩に出ることにした。
モンタナは作業で手を離せないようで、手元に集中し、顔を上げないまま「いってらっしゃいです」と見送ってくれる。
周りが騒がしく議論を交わしていようと、作業効率とかには影響がないタイプのようだ。
時折吹きつけてくる冷たい風を感じながら、小川に沿って散歩をしていると、農作業をしているフロスたちの姿が見えた。
食料自給率はそれほど高くないのだが、少しずつ畑の面積は広がってきている。フロスの趣味である花畑なんかもあって、なかなかのどかな風景だ。
地面の底にはアンデッドの遺灰がとてつもない量埋まっているのだが、その辺りのバランスは、フロスが頭を捻りながら、肥料でうまく調整してくれているようである。
フロスたちの中には大門と行成も混ざっており、木陰ではエニシとサキが目を細めてそれを眺めている。
サキは午前中の間、ナディムとシャディヤの家事を手伝っていたけれど、午後は畑仕事を眺めることにしたらしい。
厳しい環境で生きてきたので、情操教育のようなものを皆で進めつつ、ゆっくりと彼女のできることを探してあげているところだ。
エニシがフロスたちを指さして何かを言うと、フロスたちもそれに気づき振り返る。そこでエニシが手を振り、サキも不思議そうな顔をしながらそれに倣った。
カーミラを慕ってやってきたものたちは、なんでもないように穏やかな表情で手を振りかえす。彼らは女性に優しいが、心はカーミラに捧げているのでサキが美人であろうと動揺しないのだ。
そんな中、フロスだけは少しぽかんとしてから、照れ照れと小さく手を振って返した。
カーミラに失恋してからしばらく、もしかしたらフロスにもまた恋の季節が訪れようとしているのかもしれない。
畑から離れて、いつも魔法の訓練をしているあたりに到着すると、ノクトが障壁をいくつか宙に浮かばせる。
「さて、ハルカさんがいない間の訓練の成果でも見てもらいましょうねぇ」
ノクトが言うと、ユーリはこくりと頷いて足を肩幅ほどに開いて障壁と向かい合った。
発動の補助をする杖もなく、長い詠唱もなく、ユーリは魔法を次々と放っていく。それはまっすぐに障壁へと向かい、その魔法の効果を発揮した。
基礎的な魔法全てを撃ち終わってから、振り返ったユーリを、ハルカは抱き上げて褒める。
「前より正確になってますね! 一緒に訓練しているエリも驚いたんじゃないですか?」
流石に威力はエリに劣るが、それ以外の制御能力はさして変わらないように見える。杖を使っていないことを考えれば、もしかするとエリを上回る可能性すらある。
「エリさん、ユーリに負けるものかって、最近は特に張り切ってますよ。そのうちエリさんの魔法も見てあげた方がいいんじゃないですかねぇ」
「嫌じゃないでしょうか?」
エリの魔法を見て批評したり、偉そうにアドバイスをする気なんてもちろんない。ただ、褒めても普通の反応をしても嫌味のように聞こえないか心配だった。
エリがそんな風に思わないだろうことがわかっているのに、ぽろっとこぼれ出た言葉である。
「友人なんでしょう」
「そうですね。すみません、忘れてください」
一方で、褒められ抱っこされているユーリは大満足だ。ハルカの魔法には遠く及ばないことがわかっていても、大事な人に成長を認めてもらうことが嬉しかった。
「頑張ったの見てもらえるの、嬉しいよ。エリも多分そうだと思う」
ユーリがエリと呼び捨てにしたことにハルカは驚いたが、すぐになんとなくそうなった過程が想像ついて笑ってしまった。
「ユーリもエリって呼ぶように言われたんですか?」
「うん。一緒に魔法の勉強してるんだから、対等な関係だって」
「私も昔言われました。もう友達なんだから、エリって呼ぶようにって」
ハルカが小さく笑い声を漏らすと、釣られてユーリも笑う。
「彼女、僕のことは先生って言うんですよねぇ。ノクトでいいと言ってみた方がいいでしょうか」
「多分聞いてくれないと思います。エリって結構頑固なので」
あれで上下関係とかはしっかりしているので、よっぽど変なことをしない限り、エリはノクトに対する尊敬を失うことはないだろう。
散々セクハラを繰り返しているヴィーチェに対してすら、一定の敬意は保っているのだから。
「仲間はずれですねぇ」
ぷかぷかと宙に浮きながら、ノクトはさして悔しそうでもなく呟く。極めて平和な日常の一コマである。
ゆっくりと散歩しながら屋敷付近へ戻ったハルカは、そのままノクトと別れ、クダンが作ってくれた露天風呂へ向かう。
しばし使っていなかったので、綺麗に掃除をしてから今日は湯に浸かろうかなと思ってのことだ。
しかし近づいていくと、何やら水音が聞こえてくる。扉が開いたままだったので、そっと中を覗くと、そこには袖をまくって掃除に勤しんでいるカオルの姿があった。
「ハルカ殿が入るに違いないと思って綺麗にしておいたでござるよ!」
キラキラした目は、間違いなく自分が使うことも想定している。普段はキリッとした背の高い美人であるというのに、風呂にかかわると少々抜けたところが出てしまう。
「ありがとうございます。せっかくですから先にどうぞ。お湯を張りますから」
「いやいや、拙者は後で」
「いいえ、寒い中お掃除ありがとうございます。湯を張ってるうちに準備をしてきてください」
「では……! お言葉に甘えて!」
普通に薪を使って毎日入っていいと言っているのに、妙に遠慮するから不思議だ。
「嬉しそう」
「そうですね、悪い気はしません」
ユーリと話しながら、ハルカはドプリと湯船に湯を張ると、手を入れて温度を確かめるのであった。





