蕾
「サキ、というのはどうかなと」
夜中に色々と考えたハルカだったが、日本生まれ日本育ちなものだから、いざ名前を考えるとなると和風のものしか思いつかない。
エジュウヨン含め、あの島に暮らしていたものたちは自由を知らない。未来に期待をできるのは、選択肢を持っているものだけである。
急に話を振られたコリンは、きょとんとしてから、エジュウヨンの名前の話かと気づき笑った。
「いいんじゃない?」
「本当に大丈夫でしょうか?」
やけにあっさりと肯定されて思わず聞き返すが、コリンはいいのいいのと笑っている。
「ハルカがつけたってことが大事なんだから。ちょっと待っててね」
コリンは走っていってエジュウヨンを連れてくると、ハルカの前に押し出して「はい、どうぞ」と言ってくる。
エジュウヨンも何が何だかわからず困っているので、ここはハルカがリードしてやるしかなかった。
「ええとですね、あなたはこれから新しく私たちと暮らしていくわけです。新たな門出に名前を贈らせてもらおうかと考えてきたのですが、もしご自分の希望などがあれば……」
「ください、名前」
ずいっと前に出ての主張。
少し前ならば、ただ死を待っていた時の彼女であれば絶対にやらなかった動きだ。
これはコリンが新たに名前を得ることを、エジュウヨンに対して肯定的に語ったおかげであるが、そんなことはハルカは知らない。
そこまで積極的になるのならばと、ハルカは目を細めてエジュウヨンへ告げる。
「あなたの名前はサキです。あなたのこれからの人生が、花開くように豊かであるようにとこの名前にしたのですが……どうでしょうか?」
「ありがとうございます」
エジュウヨン、ではなく、サキはにっこりと笑顔を見せた。これもコリンがあれこれと教えた成果なので、後ろで胸を張っていたが、驚いているハルカはそれに気づかない。
「……よろしくお願いします、サキ」
ハルカも微笑んで答えると、ちょうど横を通りかかったレジーナが、足を止めてハルカとサキの顔をみる。
「こいつの名前?」
「ええ、そうです」
「ふぅん」
ジロジロと顔を見て浅い反応で立ち去っていったが、わざわざ名前を確認したということは、覚える気がある。連れて帰ることはもう伝えているので、レジーナなりに家の仲間として認めようとしての行動であった。
日がだんだんと昇ってくると、ヒューダイが役人らしきものたちを連れてやってきて、その場にいる海賊島から連れてこられた住人たちの名前を確認しはじめた。
街へ受け入れるための準備なのだろう。
【ロギュルカニス】の大きな街には、基本的にドワーフと小人ばかりが住んでおり人族は多くない。
これから何かと受け入れられるまでに苦労はあるだろうけれど、その辺りはアードベッグやヒューダイが奮闘してくれることだろう。
特にアードベッグなんかは、今回の件でハルカの力について散々思い知っている。預かったような形になる人族たちを、雑に扱うような真似は許さないはずだ。
時間はかかっても、彼らもまた、海賊島にいる時よりはずっと充実した人生を歩んでいけるだろうとハルカは信じている。
この国でやるべきことは全て終わった。
あとはアバデアたちの帰りを待つばかりののんびりとした時間だ。
アルベルトたちも久々に全力で訓練をしたおかげで、夕方にはすっきりとした顔をしていた。サキは目を丸くして固まっていたけれど、適応能力が高そうな彼女のことだから、いずれこの光景にも慣れることだろう。
その日から、ちらほらとドワーフたちが街から出てきてハルカたちに合流し始める。みんなして土産を山ほど持ってくるものだから、街の外にいても【マグナム=オプス】の特産品がほとんど揃ってしまった。
三日後、最後に戻ってきたのは小人の二人とアバデアだった。
「すまんな、随分と待たせてしまった」
「いえ、ゆっくりとお話はできましたか?」
「ぼちぼちじゃ。しかし亡くなった連中の家に挨拶は済ませてきた。わかっちゃいたがなかなかここにきたわい」
アバデアは拳でトントンと自分の胸の辺りを叩く。
「だから俺一人で行くって言ったのに、ついてくるからだろ」
コリアがツンとした態度で言うと、アバデアがその背中をバンと叩いた。
「あれでいいんじゃ。行かなきゃわしの気持ちも整理つかんかった」
「……ならいいけど」
幼馴染らしい言葉が少なくとも互いを理解しているやり取りだった。
「わしらで最後か? すぐ発つか?」
「一応、あちらに挨拶をしてから」
三日たったが、未だ島の住民たちは街の外で暮らしている。
天幕が用意されたり、街から食料が運ばれてきたりと、随分と設備は充実しているが、受け入れにはまだ少し時間がかかるのだろう。
島ではどんな仕事をしていたのか、街にはどんな仕事があるのか、受け入れはどこで行うのか。聞き取りを行いながら、ヒューダイが中心となって割り当てを決めているところなのだ。
その一座の中には、アードベッグも混ざっている。
忙しそうにしているその場所へ歩み寄ると、気づいたヒューダイが仕事の手を止めて立ち上がった。
それからアードベッグに声をかけて、あちらからも歩み寄ってくる。
「もしかして出発ですか?」
「はい、随分と長居してしまいましたので」
「少しの間しかいなかったはずなのに、いなくなると聞くと寂しくなりますね」
「やっといなくなってくれるかー、が本音じゃなくて?」
「ま、まさか」
「ちょっとは思ってたですね」
ひょっこりとハルカの後ろから顔を出したモンタナに突っ込まれると、ヒューダイは苦笑しながらそれを否定する。
ヒューダイの言葉はまるっきり嘘ではなかったが、確かにハルカたちがきてから随分と騒動があったのは本当だ。今も毎日のように睡眠時間を削って仕事していることを思えば、心のどこかにやっと帰るのかという気持ちがあるのも仕方がない。
「敵わないですね……」
「気にしないでください、色々と引っ掻き回してしまったことは事実なので」
ヒューダイが頬をかいたところで、ハルカは謝罪する。わがままばかり通した上、統治機構までぐちゃぐちゃにしてしまった自覚がある。
ハルカがもう少し交渉上手であれば、ここまで面倒なことにはならなかったはずだ。逆にそうであれば【ロギュルカニス】には火種が燻り続けていたはずだし、海賊島は野放しのままであっただろう。当然、エリザヴェータが西の伯爵家に楔を刺す機会も巡ってこなかった。
世の中何がどう作用するかわからないものである。
「あいつらの里帰りついでにでいいから、懲りずにまた来たらいい。その頃には海賊どもの島はきれいに掃除を終えてるだろうし、連れ帰ってきた奴らも今よか元気になってるはずじゃ」
「楽しみにしています」
「それから、随分と世話になっちまったから困ったことがありゃあ言ってくれ。他のやつは知らんが、儂はあんたらに恩返しする気がある。あんたが困ってることで儂にできることがあるとも思えんがな」
「……ありがとうございます。その時は頼らせていただきます」
【ロギュルカニス】の守り神と変わらないような存在に、こう丁寧にありがたがられては背中がくすぐったい。
口をへの字に曲げて変な顔をした。
「それでは、またいずれ」
「ええ、それでは」
ハルカが頭を下げると、ヒューダイも丁寧に頭を下げる。なんだか久々にサラリーマンのような挨拶を交わしたなと思いつつ、ハルカは回れ右してのっそりと寝そべっているナギの下へ向かうのであった。





