不意
この屋敷は街で働く住民たちを収容しておくための施設だ。
それぞれの部屋に女性たちが雑魚寝しており、白ひげの海賊はその中の一室に休んでいる女性をみんな連れだしてきたのだ。
最初の一人にはナイフを渡したが、一人だけでは対処されるのではないかと懸念し、ガラスを割ってその破片をそれぞれに持たせる。
そうして白ひげ海賊は『俺に何かあればすぐに喉をついて死ね』と命令した。
生まれてから一度も白ひげの海賊に逆らったことのない女性たちは、素直に落ちたガラスを拾いこうしてついてきたのだ。
彼女たちは疑問を抱かない。
白ひげの海賊に来いと言われれば行くし、死ねと言われれば死ぬ。
太陽が昇ればいつかは沈むように。
斬られれば肌から血が噴き出すように。
それが当たり前のことだった。
「あんた、こいつらのこと見殺しにできないだろ」
ハルカはガラスを持つ女性たちを観察する。
喉元に今にも突き刺さろうとしている、ガラスと肌の隙間に障壁を挟むことは難しいだろう。せめてもう少し角度を変えればと歩き出そうとすると「動くな!」と一喝される。
仕方なくハルカは次善の策について考えてみる。
彼女たちが喉を突き刺してから白ひげの海賊を制圧して、治癒魔法が間に合うかどうか。
分からない。
おそらく間に合う、が答えだ。
最悪この手段をとるしかないが、避ける方法はないのか、ハルカは海賊を見上げて黙り込む。
「船を一つ寄こせ。俺はこいつらを連れて海へ出る。どこぞでも行ってこの島にももう戻ってこねぇよ。捕まえた奴らは好きにすりゃあいい。たった一人、俺を逃がすだけでこいつらは死ななくて済む。お前らの目的は果たされる。何も問題ねぇな」
白ひげの海賊はすでに戦うことを諦めていた。
武器を扱う輩ならばともかく、得体のしれない魔法使いの相手なんてやっていられない。他の海賊の頭領や部下たちを囲った見えない箱も気味が悪かったし、こんな奴の相手をするくらいならば【ドットハルト公国】にでもわたって、村一つ占領し、そこを足掛かりに新たな仕事を始める方が無難だ。
余裕があるようなふりをして交渉しているが、白ひげの海賊も今この瞬間、背中には冷や汗をびっしょりとかいていた。
一目見た時からやばそうだとは思っていたのだ。
きっかけを作った馬鹿は真っ二つにしてやったが、もう何度殺したって許せないくらいにはらわたが煮えくり返っていた。
白ひげの海賊はさも自分の条件を譲歩したかのように語っているが、つまりこれから先もずっと彼女たちは白ひげの海賊に捕らわれたままということだ。そして逃げた先で白ひげの海賊は必ずまた悪さをする。
今は誰も死なないという魅力。
かつて冒険者になる前のハルカだったら、俯いて受け入れていたかもしれない。
何の解決にもなっていないと心のどこかで分かっていながら、自分にできることはないと目を逸らしていただろう。
ハルカはバルコニーを見上げて口を開く。
「ガラスを捨ててください。私があなたたちを守ります。どんな怪我をしても治します。勇気を持ってください。その男も倒します。だから……」
「おい、死なない程度に刺せ」
立場が弱いからと黙って聞いていた白ひげの海賊だが、すぐにこらえきれなくなったのか女性たちに指示を出した。ぷつり、と肌が破れて一斉に血が流れる。
直後ハルカは空を飛び、まっすぐに白ひげの海賊に向けて飛んでいた。
同時に白ひげの海賊の頭を水球で包み込む。
交渉は不成立だ。魔法を使えば女性を盾にされるかもしれない。
水球だけ使おうと女性たちは自らを刺すだろう。
それならばいっそ、治癒するための時間を少しでも短くするため、はじめから距離を詰めてしまった方がいい。
水球の中で白ひげの海賊が泡を出した。
しかしその目はまっすぐにハルカに向けられており、腕には力がこもった。
その時だった。
白ひげの海賊のすぐ横にいた女性が動いた。
唯一白ひげからナイフを渡されていたその女性は、それをずぶりと白ひげの海賊の脇腹に突き刺したのだ。
ハルカの方だけに集中していた白ひげの海賊は、唐突な痛みに身をよじる。
振るった腕はその女性を殴り飛ばした。
しかし、その代わりにハルカから盾のようにして抱えていた女性を離してしまう。
飛んできたハルカは、そのまま勢いに任せて白ひげの海賊に体当たりする。
勢いを止めずに壁にそのままたたきつければ、纏っている水球の中に赤い水分がゴボリと混じった。ハルカはそのまま白ひげの海賊の服を掴み、宙へ放り投げて障壁に閉じ込める。
優先すべきは、喉にガラスを突き刺した女性たちだ。
ハルカは急ぎ近くの女性に治癒魔法を施した。
まだ意識があったのか、すぐに起き上がり不思議そうな顔をした女性は、白ひげの海賊の姿を確認するや否や、すぐ近くに落ちていたガラス片を拾い上げる。
「何を……!」
ハルカは慌ててそれを奪い取り、階下に投げ捨てた。
今は考えている時間が惜しい。
ハルカはその女性を障壁の中に閉じ込め、次の女性からは先にガラス片を見つけて捨て、治した直後に障壁に閉じ込めるようにした。明らかな時間のロスだった。
体当たりをした肩も、治癒魔法のために触れた手も、いつだか狼の魔物を倒して以来になるほど血まみれだが、そんなことは気にしている場合じゃない。次々にガラスを放り捨てては、喉を突き刺したもの全員を治していく。
治って起き上がった女性たちは、ハルカを見て、そして近くにガラス片がないかを探し、壁にぶつかって首をかしげる。
本当に自我というものがないのだ。
そのように生かされてきたのだ。
ハルカは奥歯をかみしめながら治癒魔法を次々と使っていく。
そうして全員を何とか治しきったところで、はっとして振り返った。
そういえば初めに白ひげの海賊を刺した女性からナイフを取り上げていないことを思い出したのだ。
白ひげの海賊に殴り飛ばされたその女性は、両手でナイフを握ったままぼんやりと立っていた。
彼女の視線は空中に横たわっているように見える白ひげの海賊に向けられている。
しかしどうやら、そのナイフが彼女の喉に向けて動くことはないようであった。





