歳を重ねて
出立前日の夜、宿を訪ねてきたものがいた。
ドアを開けたところにいたのは、茶ひげのドワーフアードベッグだった。手に丸めた地図を携えていたから、昼間の約束を守ってわざわざ持ってきてくれたのだとハルカは中へ招き入れる。
「わざわざすみません。明日の朝までにいただけると聞いていましたが、まさか直々に持ってきていただけるとは」
「……用もあってな」
ソファへ案内されたアードベッグは、持ってきた地図をテーブルに乗せてハルカの方へ押しやった。
それからアードベッグは、ロビーのテーブルの方でそれぞれ好きに過ごしているコリアやアバデアたちが自分のことを気にしているのに気づき、帽子を外して膝の上へのせ、深いため息をついた。
頭頂部の毛はつるりとなくなり、もみあげ付近からひげにかけてばかりが立派だった。
「特にそっちの嬢ちゃんに話を聞いて欲しくてな。良いじゃろうか?」
ちゃっかりハルカの隣でくつろいでいるカーミラが、話をふられて首を傾げながら「ええ」と答える。
「儂は決まり事は守るもんだと考えて生きてきた。特に責任がある立場のもんはなおそうじゃと。こうあるべきと決めたら、曲げたらいかんと」
「立派ね」
カーミラに褒められたアードベッグは変な顔をして俯き首を振る。
「立場あるもんとしちゃあ、我が責で人を亡くせば、当然家族に責められるべきじゃ。しかしなんじゃ……。今回のことがあって、嬢ちゃんの言葉を聞いたらさっぱりわからんくなった。儂は悲しむべきだったんじゃろうか。友を自分の意思で見捨てた儂は、それでも悲しいのだと、言い訳がましく主張して良かったんじゃろうか。そうしていれば何か違ったんじゃろうか」
たくさんの船乗りから親方と呼ばれている男は、随分と体を小さくして俯いていた。
アードベッグの言葉はまだ続く。
「答えが欲しいわけじゃあない。ただ思うところが色々あってな。本当に聴いて欲しいと思っただけなんじゃ。……すまんな、年寄りの情けない話に付き合わせて」
胸を張っていれば屈強なドワーフであるのに、背中を丸めた姿はただの老人のようだ。
そんなアードベッグにカーミラは語りかける。
「いくつになったって失敗はするし、変わることだってあると思うの。私、あなたよりうんと年上よ? でも、最近も大失敗してお姉さまに迷惑をかけたもの。ね、お姉様」
「え? 最近ですか?」
「そうよ。おかげでお姉様たちと出会えたのだけど」
「ああ、最近。はい、そうですね。……そうですね、私も恥ずかしながら、失敗と学びばかりで、いつも仲間に助けてもらっています」
カーミラにしてみればここ数年のことなどごく最近だ。唆されて王国の辺境伯領を占領していたことを失敗と言っているのである。
ついでにこの世界に来てからの自分のことを思い出しながら、ハルカはカーミラの意見に同意する。
歳を重ねたからこその考えがあることは嘘ではないが、同時に歳を重ねてしまったから失ってしまうものがあることや、歳を重ねただけでは得られないものがあることも事実であると知っていた。
「年上……?」
どうやら話をボルスから共有されていたりはしないようだ。ボルスのもつ頑固者の雰囲気からしてさもありなんといったところか。
「ええ、あなたよりずっと年上」
幾つとは言わないまでも、微笑むカーミラが嘘をついているとは思えないアードベッグだ。ならばとお姉様と呼ばれているハルカに視線を向けると、ハルカはハッとした顔をしてブンブンと手横に振る。
「あ、いえ、私はおそらくアードベッグさんより年下かと。今度で、ええと……二十一になりますので」
元の年齢がいくつとか、この世界に来てから何年とか考えていると、だんだん自分の年齢がよくわからなくなってくるハルカである。
二つを足したとしても、二百年生きるドワーフの中でも年配者であるアードベッグより年下であることは間違い無いのだけれど。
「そんなに若いのか」
「え、はい、ええ、そうです」
若く見られれば何となく寂しいし、年上に見られれば嘘をついているようでやましいハルカは、年齢の話が得意ではない。
アードベッグにしてみればよくわからないしどろもどろ具合だが、ハルカの様子を見てさっさと話題を変えることにした。
「それからすまんが一つ頼みもある」
「何でしょうか?」
「海賊の島へ行くのであれば、一つ儂もそこへ連れて行ってもらいたい」
「……それは、どうして?」
今の【ロギュルカニス】は海賊とは交流を持たないでいる状態だ。十頭の一人であるアードベッグがそこへ介入すれば、新たに問題が起こる可能性がある。
「実はお主の持ってきた手紙の中には海賊についても触れられていてな。今度こそきっちりけりをつけてやる時期が来たってことじゃ。ズブロクじゃないが、そのための準備は長年密かに進めてきた。先に探りを入れられる機会があるなら、それに越したことはないじゃろう」
アードベッグはズボりと頭に帽子を乗せると、急に背筋を伸ばし、目をギラギラと輝かせた。
「かつて儂は戦う船乗りじゃった。【ロギュルカニス】だけで生きて死ぬのが我慢できず、外の世界に憧れた。それがどうじゃ。立場を得るにつれて、いつの間にやらすっかり手足が縮こまっておったんじゃ。規則規則とあやつらの未来の光すら奪おうとした。儂は知っておるぞ、冒険者を。依頼を受けて手を貸してくれるのが冒険者なんじゃろう? 都合のいい話と笑ってくれてかまわん。亡くした友のためにも、どうか儂に力を貸してもらえんか」
先ほどまで小さく萎んでしまっていた体はどこへやら。身を乗り出したアードベッグの体からはゆらりとした熱がたちのぼるかのようであった。
もうすぐ漫画2巻の発売です!
ご予約お待ちしております!!!!





