お出かけのおかげ
随分と長いこと一人で過ごしてきた。
数十年与えられた親の愛情を頼りに、一人になっても言いつけを守り穏やかに生きてきた。
時折迷い込んでくる人に心癒されながら、彼らが帰りたいといえば帰り道を示してやり、いく場所がないといえば命尽きる日まで匿ってやった。
相手のためでもあったけれど、それ以上に自分の寂しさを紛らわすためでもあった。積み重なる思い出は過ぎた時間に対してあまりに少なく、何度も思い出しては、本当にそんなことがあったのだろうかと疑う日もあった。
請われてついに森の外へ出た日も、カーミラは両親の言葉を忘れたわけではなかった。それでも森を出たのは、両親がきっともうこの世にいないことをとっくに確信していたからだ。
そうでなければ、これほど長いこと帰ってこないことはありえない、と思えるくらいに、カーミラは両親を信じていた。
両親がいなくなる少し前、迷いの森の周りもひどく物騒な時期が続いていた。怖い場所だと、気をつけるのだよと、カーミラの両親は愛情ゆえに散々カーミラのことを脅かした。
ようやくそれを振り切って外に出た結果、他の吸血鬼に利用されるようなことになってしまったのだが。
早い段階でハルカと出会えたことは幸運だった。
カーミラも時間が経つにつれて、そのことに気がつく。あのままあそこにいたら、きっと取り返しのつかないことになっていた。
だからカーミラはハルカのことを慕う。
ハルカが強いからという理由もあるが、それ以上に、ハルカが強いはずのカーミラを庇護の対象としてくれていることがわかるからだ。
カーミラは人を愛して生きてきた。
カーミラが、誰かを守るのが当たり前だった。
カーミラを守ろうと考えてくれた人は両親以来おらず、ハルカが実に千年ぶりのそんな相手だったのである。
今の生活に十分満足していたカーミラだったが、たった一つ気になっていたことがある。それは、両親の存在であった。
もし自分が留守の間に、森に両親が帰ってきていたら……。そんな絶対にありえない妄想をしたこともあった。
実際に迷いの森へ入ってみれば、そんな形跡はなく、やはり両親の行方はしれないまま。
まさか、こんなところでその顛末を聞くことになるとは夢にも思っていなかった。
そしてカーミラはいつからか思い出の中でもぼやけてしまっていた両親の顔を、久しぶりにはっきりと、その表情まで思い出した。
優しい人たちだった。
いつも人の心配ばかりしていて、そういえば漂わせる雰囲気は、ハルカと少しだけ似ていた。
「年に一度、わしらは前の年のものを回収し、新しいものを供える。わしがそれをしたのはもう今から百年以上前のことじゃ。だからわしは新たに一つ、古の友人に敬意を表すためにナイフを作ってきた」
ボルスは両手で持ったナイフをカーミラへ差し出す。
「それはラーヴァセルヴ様から授かった鉱石から作り出したナイフじゃ。ラーヴァセルヴ様の咆哮を浴び、宵闇の友人とドロドロの化け物の命を吸い、ドワーフの鍛冶師千年の想いを受けて生まれた鉱物じゃ。しなやかで、しかし鋭く、持ち主の思い通りの切れ味を発揮する、渾身の一振りじゃ。整備する必要はない。お主ならば身につけておくだけで、常に最高の状態を維持するじゃろう」
「いただいてもいいのかしら……?」
「勝手ながらお主のために打ったものじゃ。受け取ってもらえねば大岩に供えるまで」
カーミラはパチリとボタンを外し、刃をあらわにする。持ち手から少し上には指をかけるような突起が設けられている。
「これに刃を当てて引いてみるが良い。切るつもりでじゃぞ」
ボルスが腰からナイフを抜いてカーミラの前に差し出す。
普通に考えて、金属がそう易々と切れるはずがないのだが、カーミラがそっとその上に黒い刃を乗せてゆっくりと引くと、ずぶずぶと沈み込むようにしてボルスの持っているナイフが切断されていく。
両断されたナイフの刃は、小さな音を立てて床に突き刺さった。それを見れば切られたナイフも十分な業物であったことがわかる。
「そのまま動くな」
ボルスはそう言って手を伸ばし、むんずとカーミラの持っている黒いナイフの刃を掴んだ。
全員が息を呑んだが、すぐに開かれたボルスの手には傷ひとつついていない。
「一言、先に言ってほしいわ……」
「言った」
見当違いなことを答えたボルスは、職人としてのプライドなのか、カーミラへの信頼なのか、平然としていた。
「武器としなかったのは、お主が戦いを望まぬもののように見えたからじゃ。これを打ったのはわしの自己満足。じゃが傑作ができた。好きなように使ってくれ」
「ありがとう、ございます」
ボルスは礼を聞くと満足そうに大きく頷いて回れ右して歩いていく。話が終われば即退散というのは、いかにも職人らしい。
宿から一歩踏み出したボルスは、足を止め一度だけ振り返る。
「……余計な騒ぎに巻き込んで悪かった。いつかまた【ロギュルカニス】へ来る時には、その時にある最高の一振りを見ていってくれ」
それがきっと、ボルスの鍛冶職人としての精一杯のもてなしなのだろう。
のしのしと去っていくボルスを見送って、アルベルトは息を吐き「いいなぁ」と呟く。
「ちょっと見せてほしいです」
そしてもっと興味津々なのがモンタナだった。
鍛冶職人の息子としての血が騒ぐようで、ちょっと危ういくらいナイフに顔を寄せている。
「ちょ、ちょっと危ないわよ?」
カーミラは身を引いて、ナイフをそっとテーブルに置いた。モンタナはすごく高価なものを見るように、手を伸ばしもせずに上から横から場所を変えながらナイフを観察し始める。
ハルカもついでに体を傾けながら、よくわからないながらもすごいものなのだろうなぁと嘆息していた。
「なんか、うまくいかないことばっかりだなって思ってたけど、来て良かったかもね」
ナイフに夢中な三人を放ってコリンが呟くと、カーミラは賑やかなテーブル周りを見ながら微笑む。
「そうね……、たまには外に出てみるものね」
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