英雄に敬意を
舌打ち一つして離脱を考えたカティだったが、引きずった足では逃げられるべくもない。そしてただでさえ難しい逃亡は、新たに出口に現れた影によって完全に不可能になった。
「うわ、なんだこいつら!」
床にへたり込んでいる襲撃者たちを見て、やってきたアルベルトが声をあげる。
怪我をしているわけでもないのに動かないでいるのが気持ち悪かった。コリンによって奇妙なオブジェにされた者たちの方がまだ理解できる。
それから暗がりに立っている仲間たちを見て、頭をがりがりと掻いた。
「ちょっと遅れたか」
「そっちの話は終わったの? って言っても、こっちに首謀者っぽいのが来てるもんねー」
「……これで終わりさね」
カティは諦念と共に言葉を吐き出して、足を庇いながらその場にゆっくりと座った。
「あなたが一連の事件の黒幕なんですか?」
コリンが尋ねると、カティはつまらなさそうに答えた。
「さぁね」
「なんでこんなことをするんです」
「答えりゃあたしの味方になってくれんのかい? だったらいくらでも話すけどね」
難しい話だ。
度々命を狙われた後に、事情があると言われて味方できるほど、コリンたちはおおらかではない。
「味方になれるかわかりませんが、話しておきたいことがあれば聞くことくらいならできるのだけど」
「大した話なんかないさ。あたしには憎いものがあった。ぶっ壊してやろうと準備していたのに、他所から邪魔が入って計画はめちゃくちゃだ。まったく腹が立つったら」
カティが短い言葉を語るうちに、アキニたちも宿の入り口までやってくる。
床に座り込むカティを見て、アキニはためらうことなく宿の中に足を踏み入れて、そのすぐ後ろに立った。
「……カティ、あんたが全部やったのかよ」
ナッシュが息を整えてカティの小さな背中に問いかける。
「いや? 本当はこのアキニとかいう冷酷な将軍と、アードベッグのくそが全ての元凶なのさ、と言ったらあんたは信じるかい?」
カティが笑いながら答えると、ナッシュはこぶしを握って表情を曇らせる。
「真面目に答えろよ。爺さんを殺したのもあんたなのか?」
「さぁね。どっちにしろあれはもうくたばり損ないだったじゃないか」
更に後からやってきた兵士たちが次々と宿へ乗り込み、へたり込んでいる者たちを捕まえて連れていく。まともに会話をする気もないカティもまた、兵士に連れられて宿から消えてしまった。
倒れたテーブルの後ろに隠れていたアバデアたちは、がたがたとそれらを元のように戻していく。
少しばかり気疲れしたカーミラは、ソファに腰を下ろしてその場に立ち尽くしているアルベルトたちと十頭たちに声をかける。
「少し休んだらどうかしら?」
アキニ以外はそれに同意して椅子を引いてきたり、ソファに腰かけたりしたが、アキニは最後までカーミラのことをじっと見ていた。暗がりに目が赤く光る存在がなんであるかを認識し、警戒してのことだ。
「想像の通りよ。私を信用できないのならば、窓の板をはがすといいわ」
カーミラは目をつむって語り始め、ゆっくりと開いてアキニを見つめた。
先ほど床にへたり込んでいた者たちを見てから、すっかり警戒心を露わにしているアキニの代わりに、焼けた肌を持つドワーフ、ボルスが口を開いた。
「金色の髪に赤い瞳を持つ宵闇の人よ。儂の名はボルス。主はノワールか?」
妙な質問だった。
カーミラがこくりと頷くと、ボルスも大きく頷いた。
「アキニ、座れ」
「何が……」
「座れ」
「…………なんなんだろうね、まったく」
有無も言わせぬボルスの言葉に、アキニは納得しないながらも椅子に腰かける。
人に何を言われようと意見を曲げそうにないアキニだが、どうもボルスにだけは親しみを持ったように接しているところがある。
「結局さ、何だったんだよ」
アルベルトは行儀悪く椅子の前足を上げて、ぎこぎこと漕ぎながら声を上げた。
動いてみて少しはすっきりしたものの、こうしてカティを捕まえたってなにもすっきりと解決したわけではない。
「カティさんはアキニさんとアードベッグさんについて何か話してましたけど、心当たりとかあるんですか?」
コリンの問いかけに、アードベッグは腕を組み、アキニはため息をついた。
「……私の話は前に話した通りだ」
「詳しく聞けたりとかしません?」
「聞いて何の意味がある」
「こんなことになって何もわからないってひどい話だと思いません? ナッシュさんだってヒューダイさんだって気になりますよねー?」
「え? あ、んん、ま、まぁ」
「はい、気になります」
ナッシュがアキニを恐れて曖昧な返事をする中、ヒューダイははっきりと頷く。
アキニはちらりとボルスの方を窺ってから「仕方ない」と言って語り始める。
「昔カティの息子が私の配下にいた。争いを好まないくせに兵士になったよくわからんやつだった。小国の王が敵だった。王は私と互角の腕を持っており、傲慢だった。どちらが勝つかわからぬのに何度も博打を打つわけにはいかない」
もしそれでアキニが負ければ、その時点で軍の敗北は必至。
国の存亡にかかわる決断だ。
「だから配下から提案された作戦を採用した。当時開発されていた爆発する水を使い王を倒すことにしたのだ。争いを好まないくせに、賢く、自己犠牲はいとわない兵士であった。結果、王は倒された。代わりにその兵士は何一つ、骨一つ残らずに死んだ。そんなはずはないと当時ただの母でしかなかったカティは私たちを疑った。被害もほとんどなく、戦死して、何一つ残っていないなんておかしいと。だがすべては事実だ」
アキニは息を大きく吸って吐いた。
長い語りは彼女に当時を思い出させた。
彼女もまた生きている人なのだ。自分を慕って、平和を愛した一人の男の死を思い出せば、少しくらい感情は浮き出てくる。
「あまりに悲惨な被害が出たため、爆発する水の製法と存在は全て隠ぺいして消した。今では開発者も死んでおり、誰もそれを再現することはできないだろうから話すことができる。ただ、当時カティに話した段階では、まだ該当人物は生きていた。だから詳細は伝えられなかった。だから私はカティに伝えた。彼は兵士としての役割をまっとうしたと。彼は国を救った英雄であると」
「……あの、アキニさん。さっきは『英雄として名を遺すのは、大抵死んだものだ』と伝えたと言ってませんでしたか?」
「カティが『死んだら英雄なんて称号は意味がないだろう』というからそう答えたね」
ヒューダイはため息を吐く。
傷ついた母親に言うような言葉ではない。
「……名を遺すっていうけど、僕たちはその人の名前知らないけどな」
「知らないはずがないよ。お前が室長を務める〈ピモン兵器研究室〉。そのピモンがカティの息子の名だ」
カティは、戦で命を亡くした息子の名前を、兵器研究室の名に冠されたわけだ。
素早くそこまで思い至ったヒューダイは、誰か止めなかったのかと、一人盛大に眉を顰めたのであった。





