戦い方
椅子に足をそろえて座り、お行儀よくうとうととしていたカーミラはうっすらと目を開けた。外から聞こえてくる心地よい人のざわめきが、焦りを帯びたものに変わったことに気が付いたからだ。
まだアルベルト達は帰ってきていないけれど、何やら近くで妙なことが起きているらしい。
時間は昼前。
しかし宿の中はかなり薄暗い。
宿を好きに使って良いと言われたので、アバデアたちに頼んで、一応窓を板で塞いでもらったのだ。
念のためでしかなかったが、どうやらその労力は無駄ではなかったらしい。
コリンは板の隙間から外をのぞき込んでから、肩をすくめてアバデアたちに指示を出す。
「皆テーブル倒してその後ろにでも隠れておいて」
「儂らも加勢した方がいいんじゃないか?」
「んー、どうしても危なかったらね」
手甲をおろして戦闘態勢をとったコリンは、カーミラが立ち上がっているのを確認し、もう一度扉の外の様子をうかがった。塞いでしまったせいで視野が狭くなっていて、外の様子はあまりわからないけれど、武器を持っている集団が待機していることだけはわかった。
住人たちはすっかり避難しているようで、あれだけ人通りが多かった道はがらんとしてしまっている。
宿の扉はそれほど強化していない。
蹴りつける音が数度繰り返されて、蝶番が吹き飛んだ扉の前にはずらりと武器を持ったものたちが並んでいた。
「一応聞いておくけどさー、話し合いとかってする気ある?」
返ってきたのは無言の殺意だけ。
武器を持たないカーミラがすっとコリンの横に並ぶ。
「私が前、コリンが後ろね」
「……本当にいいの? 逆でもいいよ?」
「お姉様から留守を任されてるもの」
にっこりと笑ったカーミラは、自らの手を口元へ運び、尖った犬歯を使ってガリっと親指の肌を傷つける。
真っ白な肌にぷっくりと膨れ上がった血液。
カーミラはそれにふーっと息を吹きかける。
液体であったはずの血液は霧のように広がり、どやどやと宿へ踏み込んできた者たちを包み込んだ。
勢いよくカーミラに迫ってきていた者たちの一部は、徐々に勢いを無くし、やがてぐらりと体を揺らして床に蹲ってしまった。
「戦うのは怖いわね。本当は平和に、穏やかに生きたい子たちだっているの。それでいいわ。戦う必要なんてない。昼間は力も随分弱くなるけれど、本当に望む形に案内することくらいは容易いわ」
宿に入るなりパタリパタリと床に座り込んでしまう仲間たちを見て、外に待機している者たちは動揺し足を止める。得体のしれない何かを見て恐怖しないものなど滅多にいない。
そこへ足を引きずって現れたのは、何度も話に出てきた十頭の女性、カティだった。
暗く燃える瞳はカーミラのことを睨みつけているようで、どこか遠くを見ているようでもある。彼女はひたりひたりと歩き、迷うことなく宿に、カーミラの血の霧の中に足を踏み入れて、「早く行きな!」と仲間たちに指示を出した。
それに触発されて一斉に中へ入ってきた配下の者たちだったが、やはり暗がりに入るとその一部はへなへなと床に座り込んでしまう。あちこちにしゃがみこんでいる仲間たちを避けながら、それでも十人以上がカーミラに向けて殺到してきた。
カーミラは戦いが得意ではない。
カーミラは戦いを経験したことがほとんどない。
痛いことも苦しいことも、それを相手に負わせることも好きじゃない。
それでも彼女は世界で最も強き種族の一つに名をあげられる吸血鬼の、千年を生きた王たる血筋の本流であった。
一斉に襲い掛かる凶器が、全てカーミラに向かって振るわれる。
「だめよ」
そして突き刺さる直前にカーミラがぽつりと言うと、その体がぐずりと崩れた。
黒い何か。
液体のような何かが、コウモリの形をとり、カーミラに襲い掛かったものたちの顔に張り付いた。粘着質なそれは視界と気道の全てを塞ぐ。
ハルカが頭に水球を纏わせるのを見て思いついたやり方であった。
相手を必要以上に傷つけない、見た目には綺麗な倒し方だ。
じたばたともだえ苦しみ床を転げまわる姿に、後続は恐怖し、叫び声をあげながらも姿が見えているコリンに向けて武器を振るってくる。
「よ、っほっと」
コリンの手甲に剣の刃が流され、勢いよく前へ出たものの顎を掌底がかちあげる。
砕けた手ごたえと、がちんと歯が音を立てる。
ああ、そういえば人もこの襲撃に加わっているんだなと考えながら、崩れ落ちる男の袖口を掴んで、横から襲い掛かってくる剣の方へ押しやり肉の盾とする。
突き刺してしまった小人が驚いているうちに、刺された男性の脇をすり抜けるようにくるりと体を躱し、小人族の襟口に指をかけ、片手でぐるんと床へ叩きつける。
投げる、ではなく、直接後頭部を床に落とすような形だ。
コリンは自分たちを殺そうとしてくるものに手加減をする気はない。
そのまま小人の顔を踏みつけて、迫りくる斧をやはり手甲で滑らせる。
コリンの太もも程はあろうドワーフの太い腕から繰り出された渾身の一撃だ。
普通であれば掠っただけでも痺れてしまい、しばらく手が使い物にならなくなるものだ。しかしコリンはけろりとした顔でそのまま腕を伸ばし、ドワーフの伸びた髭を掴むとグリンと首を横に捻った。
コリンは近接武器を扱わないし、打撃もそれほど得意ではない。
しかし、身体強化、特に部分的な強化においては誰よりも配分が上手く、適切に力をいきわたらせることができる。
どれだけ鍛えていようとも、多少身体強化が使えようとも、関節がある生き物のそれをひねって外すくらいはわけないのだ。コリンは人の壊し方を知っている。
【壊し屋】の弟子は伊達ではない。
そうして四人目、五人目と、人体の関節がありえぬ方向へと捻じ曲げられるのを見ながら、冷静でいられるものはそういない。殺すと思っているうちは勢いで前に進めるけれど、怖い、もう戦いたくない、と思ってしまってはもう無理だ。
心が折れたものから、カーミラの血の霧にやられてその場にへたり込んでいく。
いつの間にか元の姿に戻ったカーミラは、コリンにやられて無残なオブジェのようになった者たちを視界にいれて、すぐに目を逸らした。





