相互理解
コリンが細かな契約書を用意して、ナッシュはその隅々まで目を通す。
そうしていくつかの質問をして、条文を書き直し、ようやくサインを終えた。
ハルカが無事にエリザヴェータとの話をつけて戻ってくるまで、この宿でナッシュの身を守ることと、必要に応じて現場での護衛をすることの二つが主な契約内容だ。
宿の外に出た場合の護衛については都度追加料金が発生することになっている。
宿内の護衛に関しては全体に気を使っているので、特別ナッシュのために何かをしてやるようなことはない。
外に出られず訓練もできなければ、やることといえば喋ることくらいだ。
モンタナだけはいい機会だと言わんばかりに装飾品づくりに没頭していたが、他は暇なのでお茶をしてお喋りをしたり、考え事をしたりしているようだ。
アルベルトが手持無沙汰で、床に胡坐をかいてズブロクとの戦闘を思い出していると、相変わらずにやけた面をしたままやってきたナッシュが同じく床に座り込んだ。
「冒険者ってさ、普段何してんの?」
「何って護衛とか魔物討伐とかだよ」
「あー、そういえば魔物が多いんだっけ、外の国は」
「【ロギュルカニス】には魔物いねーの?」
暇そうな上、コリン程警戒心をあらわにしなくても話せそうだと踏んだのだろう。
実際この選択は案外的確だ。
残っているメンバーの中では、おそらくアルベルトが一番コミュニケーションを取りやすい相手だろう。
「いるけど街道沿いは滅多にいない。戦うのは兵士の仕事だろー? 外の国って兵士とかいないの?」
「うちの国は私兵しかいねぇな」
「【独立商業都市国家プレイヌ】だっけ? 変な国」
「他の国にも冒険者結構いるぞ。兵士は戦争とか国境警備とかしてんじゃねぇのかな。そういや【王国】には冒険者少ないな」
「へぇ、そう聞くと面白そうだけど」
ナッシュも外の世界に興味がないわけではない。
交易では積極的に外の知識を取り入れるようにしているし、殺された十頭の一人の蔵書をよく読み漁りに行っていた時期もある。
ただ南方の戦事情を聞けば聞くほど、人が野蛮なものに見えてきて関わる気が失せたのも事実だ。南方の小国群からは定期的に勘違いした猛者たちが、こっそりと山を越えて攻めてきて、その度アキニ将軍に打ち破られているのだ。
二度と攻めないと約束をしたところで、十数年で国や勢力図が変わるので、懲りずにまた攻めてくるのだ。これを野蛮と言わずになんというのだ。
「そういやお前って十頭の一人だろ? 何してる奴なんだよ」
「何って、兵器開発とか。まー、開発系。船に積む武器とかも作ってるからさぁ、新造船とられるのって結構嫌なんだよね、僕からすれば」
「へぇ、態度が悪いだけの奴かと思ってた」
「へぇ、君は僕のことそんな風に思ってたんだぁ……」
アルベルトの悪意のない攻撃的な言葉に、ナッシュは目じりを引くつかせた。
十頭の一人だって言ってんだろ、何もしてないやつが成るか馬鹿野郎と口先まで出かかったが、辛うじて我慢する。
耳を澄ませて機会をうかがっていたのか、コリンがやってきてアルベルトの横に座る。
「そういえば、十頭の人ってそれぞれ何してるの? ナッシュさんも偉いんでしょ?」
契約が済んだとたん口調が崩れたコリンは、まぁ、ある意味さっきよりはずっと親しみやすい雰囲気だ。お客さんだし仲良くしようという気持ちが先行しているおかげだろう。
「聞いてたのかよ。僕は国の開発関係の責任者。アキニ将軍とズブロクの爺さんは南北の軍事担当」
「なんでアキニさんだけ将軍ってつけるんだ?」
ナッシュは一瞬首を伸ばして外の様子をうかがってから、頭を寄せて小声で「怖いからだよ、言わせんな」と答えた。アルベルトたちにはピンとこないが、ズブロクよりもアキニの方が怖がられるだけの何かがあるらしい。
「えーっと、アードベッグさんが船大工とか船乗りさんの代表でしょ? じゃ、ヒューダイさんはなんだっけ?」
「……あれは貿易担当。伯爵家との交易を担当してる。前は小人がやってたんだけど、同じ人の方が何かと都合がいいだろうってあいつに譲って引退したんだよね」
ナッシュとしては人族って時点でそこまで信用できていないのだが、そんなことはコリンとアルベルトを前にしては流石に口にしない。怪しいと思ってもそれを言葉にして、現場捜査の協力をしてもらえなくなっても困るからだ。
「ふーん、じゃ、犯人候補? 悪い人には見えなかったけど」
「……お前、同じ人族だろ? よく疑うな」
コリンがけろりと言うと、ナッシュは驚いて目を丸くする。
「人族だからとか関係ある?」
コリンからすれば、人族だろうが賊になるものはなるし、悪さをするものはする。
ハルカとずっと一緒にいるお陰か、種族による偏見などというものはとっくにどこかに捨ててしまっていた。
「……【ロギュルカニス】じゃ、人族の横のつながりは強いけどな」
「ふーん、そういうものなんだ。そんなことはともかく、他の人は?」
「肌の焼けた頑固そうなドワーフが鍛冶師の頭、女ドワーフが商会のまとめ役、初日にこなかった二人は木々や炭の管理と、農業関係の代表者。亡くなったのは知恵袋みたいな爺さんで、国の法的な部分を担当していた。僕は結構世話になったんだ。だから犯人は何とか見つけたいとこだね」
意図せずしんみりとしてしまった最後の言葉にハッと気づいたナッシュは、いつものようなにやけ顔をすぐに取り戻す。
「ま、殺さなくてもあと何年かで死んじゃってたと思うけどね! おいぼれのくせにすぐあちこち視察しに行くんだからさ」
「よし、ハルカが帰ってくるまでに犯人探すか」
へらへらと笑って言うナッシュを正面から見つめて、アルベルトは膝を叩いてそう言った。
コリンと、いつの間にか顔を上げていたモンタナも目配せをして頷き合う。
ハルカのお人好しが移った部分も多少はあるかもしれないが、結局のところアルベルトというのは目の前でこんな話をされて黙って見過ごせるようなたちではない。
自業自得だと思うようなことならともかく、少なくとも今回の話で殺された小人の老爺に関しては、嫌な理不尽さを感じ取っていた。
「お前、色々考えてるんだろ? 聞かせろよ、手伝ってやるから」
手伝ってやるからもなにも、契約をしたのだからもちろん護衛をしてもらうのだが、と思ったナッシュ。しかしもそもそと寄ってきて近くに座り直したモンタナと、なにも文句を言わないコリンの顔を見て、首をひねってしかめ面をした。
ひねくれ者で負けず嫌いのナッシュは、自分の本心みたいな部分を勝手に汲まれてしまって恥ずかしい感じがしたし、それに呼応してくれたことがわかってしまっての喜びを見せるのが嫌だった。
素直でまっすぐな感情はどうも相手にし辛い。
いつものようににやけ面で流せない時点で、動揺を隠しきれていないということにナッシュが気づくまでは、ほんの少しだけ時間がかかった。





