思っていたよりも
水をごくりと飲みほして、席を立とうと様子を窺っていた大門だったが、ノクトに酒を注がれたことでその機会を失った。
今日の夜の段階では、ハルカが説明をしてコリンたちが了承するまでしかできていないから、隣にいる少年のことも、カーミラに抱き着いている少女のこともよく知らない。
できたことといえば、全員のコップに酒が入っていることを確認して、まぁ、子供ではないのだろうと推測することぐらいである。【神龍国朧】には強者がごろごろと転がっており、そんなものたちが長寿で若作りであることは知っているから、一応納得できる。
「……師匠、お休みのところ引き留めすぎるのは」
「こんな時間に目を覚ますということは、心配事があって眠れなかったということだと思いますけどねぇ……?」
ハルカの師匠という呼びかけに応じたのは、当然大門の隣に座っている桃色の髪の少年である。どう見たってこの中では最も若い。
『ねぇ?』と視線を送られても、動揺してそれどころではなかった。
あの広い土地を治める大王の師匠である。どんな人物であるか想像もつかないし、下手なことも言えない。
ただ、言葉を否定する勇気もなかった。
「は、はぁ、そのような感じです」
「悩み事なら聞いてあげますよぅ」
「……あの、悩み事ではないのですが、まだまだ分からぬことが多く」
「ジャンジャン質問してくださぁい」
新しく来た人に対して優しいノクトの内心は、親切心と何か面白いことが起こるのではないかという気持ちで構成されている。どちらの比重が多いかはノクトのみが知るところだ。
「では、遠慮なく……。師匠というのは、なにかその、技術的なもののことの比喩だろうか?」
「あ、そうですよね……。こちらは私の師匠のノクトさんです。こう見えて百を超えていますので」
「ばらすのが早いですねぇ……。まぁ、ややこしいので構いませんが」
「そ、そうなのですか……。とても見えませんな。ではノクト殿がこの中では最年長となり……ますか?」
大門がうかがったのはハルカの顔だ。
エルフが長寿だという話くらいは知っているので、年齢を聞いていないとわからない。この調子だと数百歳だと言われてもおかしくないと考えたのだ。
「私が一番年上よ。ね、お姉様?」
一番年上がハルカに向かってお姉様と言っている意味が分からず、大門は再び混乱。ついでに抱き着いている子供もよくわからず、夢でも見ているんじゃないかと首をかしげる。
「ええと、カーミラは吸血鬼なので。一応私は年下ですから」
「そうですか、うーむ……それから、その……」
大門の目は背中を向けているエニシの方へ釘付けだ。
まぁ、見るからに【神龍国朧】っぽい美少女面であるし、気になるのも当然のことだろう。大門が気づいていないのは、ひとえに今のエニシがこちら風の格好をしているからだ。
「そちらの少女に見覚えがあるというか、なんというか……。名前を教えていただけないかと思うのですが……」
何でも聞いていいなんて言うから、とエニシは胸に顔をうずめながら心の中で恨み言を吐きだす。
一方で大門の方は最初こそ遠慮してジャブを放ってみたが、本当に聞いても答えてもらえそうなので、本筋に移った次第である。後姿だけ見ても、エニシ程見事な黒髪は大陸にはあまりいない。
嘘をつけないのはハルカ。
ノクトは笑い、イーストンは無言でコップを傾けている。
助け船がなかなか出てこないことにしびれを切らしたエニシは、そっと胸から顔をあげる。
「いいのかしら?」
「いい」
カーミラは確認の答えを聞くと、エニシのわきに手を入れて床へ降ろしてやった。
とことこと歩いて自分の席に戻ったエニシは、目の前のコップをもってちびりと唇を濡らしてから、目を細め、顎を少しだけ上げる。
「……まさか、いや……、しかし。こちらは……、いえ、その、エニシ様でいらっしゃいますか……?」
「いかにも。未来を見通す力を無くした哀れな巫女よ。此度の北城家の災難、我も感じるところがある。当時の我は、大変遺憾ではあるが、北城行連ならびにお主に、偽りの未来を伝えたことになる。お主の顔を一目見た時から、謝罪せねばならぬと思いながらも目を背けたのは我の臆病さゆえ。誠、面目ない」
「生きていらしたか……。殿は……行連様は、エニシ様がお隠れになったと聞いて、大層悲しんでおりました。これまでエニシ様程各国の大名のことを知りたがり、話をしてくれた方はいらっしゃらなかったと。神龍様の使いであるエニシ様にお褒めの言葉を頂いたおかげで、〈北禅国〉の貿易は常々好調でございました」
「しかし、我は……、我が役割を……」
立ち上がってテーブルに手を突いたエニシに対し、大門は首を横に振った。
「元々未来を見ることは巫女の総代の役割ではありませぬ。神龍様の使いとして【神龍国朧】の未来を憂い、何かできないものかと耳を傾ける姿は、それだけで尊いものでした。戦が多いゆえ、お心に沿えぬこともありました。ただ殿、いえ、先代は、エニシ様の姿を見て、他所へ侵攻をすることを控えるようになりました。国を守れなかったのはただただ拙者ら家臣が不甲斐なかった、それだけでございます。お辛いときに力になることもできず、今こうして偶然お会いできてなお、私にお助けする力がないことを恥じるばかりです」
髭面の男は椅子を引きながら話し、冷たい床にひざを折ると、そのまま額を擦りつける。
思い出してみれば確かに、北城行連は話を強請るエニシに対し、赤裸々に国情や周辺の情報を語る男であった。大名としてそれでいいのかと思わずにはいられなかったが、その情報は商人たちのもの同様、エニシが国政を理解するために大いに役立っていた。
鋭く冷たいように見える目つきをしている癖に、話すと目じりに皺を寄せて笑う男だった。油断してはならぬと気を引き締めなければならないくらいには、エニシはその笑顔が好きだった。
そんな男の臣下を警戒するようなふりをしていたエニシの本音は、知っている顔の死を認めたくなかっただけだ。自分の未来を読む力が、その男を死に追いやったのだと、言葉にしながらも認めたくなかっただけなのであった。
「すまぬ……。行連は死んだのだな……。あれは、良い男だった。すまぬ……」
「エニシ様の責ではございませぬ」
エニシがぽろぽろと涙を流すと、大門の目からこぼれた大粒も床を湿らせた。
立ち上がったカーミラは、泣いているエニシを後ろから抱き込んだ。
「や、やめよ。我は子供ではないのだ……。巫女の総代として、このような……」
ぐじぐじと涙しながら文句を言うエニシは振り返ってカーミラを押し返そうとする。
当然力でかなうはずのないエニシを抱きしめたカーミラは、そのまま椅子に座って、最初と変わらない体勢に戻ってエニシの背中を撫でてやった。漏れてくるのは唸るような泣き声だけだ。
やがてずびっと鼻をすすってから顔を上げた大門が呟く。
「……エニシ様に涙してもらうとは、行連様もあの世で喜んでいらっしゃるでしょう」
「し、死んで、喜ぶものか……」
エニシのくぐもった声による反論を聞いた大門は、くしゃりと顔に皺を寄せて笑いながら「そうでござるな……」と呟いた。





