戦略
ハルカから一通りの話を聞いたノクトは、ぷかりぷかりと浮いたまま考え事をしていた。
ディセント王国の立場としては、すでにマグナス公爵を反乱の首謀者として処刑したことになっているから、今更生きていると言われたって大っぴらに兵士を動かすわけにはいかない。
まして場所はあの【神龍国朧】だ。
ディセント王国からあの国に兵士を送ったことはかつて一度もない。
ただし一国だけ侵略戦争を試みた国があった。
それが、南方大陸の大国である【鵬】である。
一時期はグロッサ帝国をしのぐ勢いで領土拡張をしていたかの国が、今の形に落ち着いたのも、その戦がきっかけであった。
海外からの侵略に対して【神龍国朧】の南方の国は、一時的に手を組んだ。
それでも【鵬】が送り込んだ兵の数は圧倒的で、やがて一つの国の南方を占領。
十数年の統治によって安定した地盤を築き、時の皇帝が慰問のために渡海し、上陸した途端、一気呵成の反攻が始まった。
結果、【朧】の地を踏んでいた【鵬】の兵士は皆殺し。船をすべて壊され、皇帝は命を落とし、【鵬】の国は大混乱のまま勢力を衰退させたのである。
エリザヴェータは当然それを知っているし、同じ轍を踏むような真似はしないだろう。状況が違う、担ぐ御輿がいると言っても、あの老獪なマグナスがその故事を利用しないはずがない。
必ずや周囲の国に呼びかけてディセント王国の力を削ぎにかかるはずだ。
来れば喰いつき、来なければ勢力を広げる。
しぶとく野心を失わない面倒な男だ。
ではエリザヴェータが限られた条件の中どんな手を打つかと言えば『信頼できる個の武力に頼ることで、内密に事を収める』の一択になるだろう。ハルカが行成を送っていくのだとすれば、鴨がネギを背負っていくようなものである。
見える未来であるが、ノクトはそこに口を挟もうとも思わない。
ぷかりぷかりと浮いたまま、それもまた経験かと見守るだけである。
報告が終わったところで、主に意見を求められるのは今回留守番をしていたコリンとアルベルトである。ハルカは一応、あちら出身であるリョーガや、隣でおとなしく小さくなっているエニシに向けても話したつもりだったが、二人とも現状では沈黙を守ったままだった。
「ま、ハルカが手を貸すって決めたなら異論はないかな。聞きたいのは、上手くいったときのことかも。例えば……、貿易についてとか?」
「貿易、ですか? 確かに地図を見せていただいたところ、〈北禅国〉と〈ノーマーシー〉はそれほど遠くありませんから難しくありませんね」
「特産品とかあります?」
次期当主として他国の事情もある程度把握している行成は、コリンの言いたいことを敏感に察知すると、口元に手を当ててしばし考える。
「……干した貝が、大陸では高く売り買いされると聞きます。他には花からとれる油に、通気性のよい布などが名産とされています。また、北禅弓と呼ばれる強い弓を作る技術があります。製法まではお伝え出来ませんが、作って提供することくらいまでならできるでしょう。他には……こちらに来てからは見なかったものとしては、稲でしょうか。〈ノーマーシー〉は大麦小麦の栽培が盛んなようでしたが、水稲耕作をしている様子はありませんでした」
「すいとう?」
「お米ですね」
「ああ、あのつぶつぶしたやつかー。見かけるとハルカがよく買いに行くよね」
大陸で見かける油でいためたような米はあれはあれで美味しいのだが、ハルカが思い描いている米とはちょっとだけ違う。
【神龍国朧】の米は、ハルカにとってはスルー出来ない情報であった。
頭の中は白米と梅干しや沢庵、昆布の佃煮などでいっぱいだ。
「私たちの主食でもあります。乾燥した地域だと育ちにくいので、物珍しくはあるかと」
「ふむ。それを聞くと、久々に白米を梅干しでかっ食らいたくなるでござるな」
リョーガが少し生え始めた無精ひげをざりざりとこすりながら言うと、大門と行成の視線が集まる。
「ああ、失敬失敬。拙者、〈御豪泊〉が侍、リョーガ……、いや、土岐龍牙でござる。この度の〈北禅国〉の凶事、他国のことながら誠に遺憾。心中お察しいたす」
「ほう、かの〈御豪泊〉の……。それに土岐と言えば、かの【戦軍師】のお身内でござるか?」
「わが父のことをご存じとは、光栄でござる」
「いや、知らぬものなどおらんよ」
「世辞と言え嬉しいこと。しかし〈北禅国〉の海戦と強弓は国の外まで轟いているでござる。獅子身中の虫相手となると、中々それを発揮することもできずさぞや歯がゆい思いをされたことだろう」
「まさに……! まことにその通り……!」
どうやら盛り上がってしまっている様子で、大門の熱がこもり始めたところで、行成が軽く咳ばらいをして話を戻した。リョーガも話がうまいことである。
その間にぼそぼそとコリンがエニシに話しかけ、行成からの名産品関係の裏どりをしたようだ。確かにどれもが他ではなかなか手に入らないもので、うまく大陸に持ち込めば高値で売れることを確信したコリンは、しっかりと頷いてハルカを見てにっこりと笑った。
「かなりいいかも」
折角船を作れるかもしれないのだからそれを活用したい。
コリンの心の内は丸見えだ。
ただ、コリンは宿のお財布を一手に任されているから、仲間たちのためのお金稼ぎでもある。趣味と実益を兼ねていて実に結構なことだ。
「お気に召したようでよかったです」
大丈夫とは思っていたものの、笑顔で大賛成されるとほっとするハルカであった。





