口止め
ころころと丸まった地図を広げて、四隅に小石をのせる。
縮尺の大きい地図は北方大陸の全土が載っており、いざハルカの手の届く範囲を改めて確認してみると、かなり広いことがわかる。
「お話を進める前に、まず、お二人には理解していただかなければならない現状があります」
「なんでしょうか」
良くない話が飛び出てくると予測がつきそうな滑り出しであるのに、行成は真摯な顔で次を促した。大門はついに来たか、みたいな苦り切った表情をしているが、これから始まる話は、彼が想像している要求とはおそらく違う。
「まず確認ですが【神龍国朧】では、異種族に対する認識は、隣人程度のもので間違いないでしょうか? 例えば、天狗や鬼ですが」
「ええ、言葉が通じ、誇りあるものは隣人であり、そして国が分かたれていれば敵であったり味方であったりします。当たり前のことでは?」
「……では、コボルトのように大きく姿の異なる者や、人魚のように暮らす場所が異なる者はいかがですか?」
「同じく。私たちが人として認めていないのは、言葉を交わす価値もない外道くらいです。例えば戦場で人に成り代わりながら人を食らう屍鬼などがそれにあたります」
なるほど価値観が随分と違う。
隣人だろうが何だろうが殺し合いをする国ではあるが、そこに種族による分け隔てはないようだ。
「こちらの大陸では、人、獣人、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、小人以外の種族を、破壊者と呼び、討伐対象とする傾向にあります。つまり、私たちがここでニルさんや、他の皆さんと暮らしていることが各国に知れることは、非常に都合が悪いのです。どこかほかの勢力を頼ることがあったとしても、私がここでしていることに関しては他言無用で願います」
「もし知られればどうなるのだ?」
想像がついていながら尋ねたのだろう。
大門がごくりと唾をのむ。
「……私は人族の社会からはじき出されることになるでしょうね。場合によっては即時戦争になります。どうかご配慮願います。勝手な申し出ではありますが……」
「わかった。恩人の不利益になるようなことは絶対にしないと約束する。もし一人でも約束を破った場合は、そいつを殺し私も死ぬ」
「殿!?」
真剣な表情でのあまりに過激な発言にハルカが驚いていると、代わりに大門が声を上げてくれた。
「何を驚くことがある。恩知らずなどこの世に生きてる価値はない」
「……確かにそうですが」
それで納得してしまうのか、とハルカは思ったけれど、落ち着いて考えれば何一つ都合の悪いことはない。それだけ強い意志を持って約束してくれるのならば、それに越したことはないのだ。
「くれぐれもよろしくお願いいたします。……さて、説明に移りましょう。地図を見てください。こちらが【ディセント王国】。こちらが【神聖国レジオン】。そして【独立商業都市国家プレイヌ】と、【ドットハルト公国】ですね。私たちが今いる場所がここ。そしてこの半島全体が〈混沌領〉と呼ばれており、人はおらず、いわゆる破壊者たちが暮らしている地域です」
「ふむ、広いですね……。この〈混沌領〉のどのくらいがハルカ殿の勢力範囲なのです?」
勢力範囲と言われると微妙なところだが、協力関係まで含めるのならば八割方はハルカの目の届く範囲となる。さて、細かく説明しようかと手を動かそうとしたところで、ニルがさらりと答えた。
「ほぼ全土だな。この山を越えたところに儂の故郷があり、人の世界との境目になるこの辺りに、陛下の本来の拠点がある」
「……協力関係にある種族の勢力範囲を含めると、確かに七割から八割は目の届く範囲です」
「協力関係というのは?」
「陛下を王と仰ぐ種族が暮らす地域のことだ」
「ニルさん」
さっきからかましてくれるニルに困った顔を向けると、笑って返事をされる。
「陛下は自分のことを小さく話す癖がある。そんなことをしても何も得はないぞ」
私の心が少し安らかになります、とは王としては答えづらい。
「……少しよろしいか」
臣下とイチャイチャとしていると、顔を青ざめさせた大門が神妙な表情で手をあげる。
「はい、なんでしょうか」
「これは……何をされようとしているのだろうか。……つまりその、秘密裏に、他国と同じ程度の国土と、敵対する種族をまとめ上げているということでござろう? それも……、これはその、国土の広さで言うと【神龍国朧】全体の七割程度の大きさはありますぞ。ハルカ殿はいったい……、何を企んでおられるのだ?」
これまである程度気安い態度をとってきたが、今大門の目の前にいるのは、これまで仕えてきた北城家の領土の、数十、下手したら百倍はあろうかという領土を誇る大王である。
大事な主が、何かとてつもないことに巻き込まれようとしているのではないかと、震えと冷や汗が出てくるのも無理のない話である。
「大門」
しかし透き通った落ち着いた声に名前を呼ばれ、大門はハッとする。
隣では、大門よりも圧倒的に若く、経験も少ないはずの行成が苦笑していた。
「ハルカ殿がどんな方であろうと、私の命を救い、私たちに心尽くしの歓待をしてくれた事実は変わらぬ。これまで僅かに話しただけでも、素晴らしい仁君であることはわかるだろう。先ほどの犬の人たちが、人魚たちが、そちらのトカゲの御仁が、ハルカ殿を見る目を思い出せ。……ハルカ殿、大門が大変失礼な真似をした。探る意図はございませぬ。寄る辺なく彷徨ってきたせいで心が弱っているのだ。どうかご寛恕願いたい」
落ち着いた態度だった。
まさに主のあるべき姿勢であった。
「気にしていませんよ。ご心配でしょうから、その辺りの話もしておきましょう」
行成の態度を立派に思ったハルカも、穏やかに微笑んで答えた。
それに対して挙動不審になるあたり、行成はまだまだ年相応なのであろう。





