北禅国
十分な食事をとったあと、ハルカは侍たちに声をかける。
「お風呂とか、入れるなら入りたいですか?」
「あるのか!?」
声をそろえて身を乗り出した侍たちに気圧され、ハルカは思わず身を引いた。
文化として存在することは、クダンから聞いているので知っている。
長旅の疲れもあるだろうからどうかなという提案だったのだが、思った以上の反響であった。
「気持ちはわかるが身を引け。すまぬ、ハルカ殿」
「いえ、ちょっと驚いただけなので。私もお風呂は好きですから、気持ちはわかります」
「あ、いや、んん。そうか、それでその、あるのだろうか、風呂は」
「あ、作りますのでちょっと待ってくださいね」
「……作る?」
海沿いに障壁で箱を作り、海に湯が流れるように小さな排水溝を設ける。
魔法を使って四十度ちょっとの温度のお湯を生み出し、ドプリと浴槽を満たす。揺れた湯が跳ねて浴槽の外へこぼれたが、海の近くなので地面が濡れたところでさしたる問題はない。
海へ抜けていくお湯と同じくらいの湯を常に上から流し続ければ即席の露天風呂の完成だ。
一応茶色い浴槽にしてみたけれど、木の香りがなく、風情もあまりない。
自然物独特の文様を作り出すのは結構難しいのだ。
こんなものかとハルカが振り返ると、侍たちは目を輝かせてすでに服を脱ぎ始めていた。
「こら! ハルカ殿の前で服を脱ぐでない!」
行成は他にも女性がいるのにハルカだけを名指しして目の前に立ちはだかってくれる。十代半ば程度に見える行成の身長は丁度ハルカと同じくらいで、あまり目隠しの役割は果たしていない。
「あ、脱衣所も作るので、ちょっと待ってください」
一方でハルカは男性の裸を見たって大した動揺はない。
ひょっこりと体を傾けて、こちらからは見えないように壁を配置する。
「ごゆっくりどうぞ」
侍たちは声をあげながら続々と脱衣所に吸い込まれていき、やがて「あぁああ」という間抜けな声が聞こえてくる。ろくにかけ湯をするでもなく湯船に飛び込んだのだろう。
桶も作ってあげればよかったなと思うが、同時に湯が入れ替わるようにしたのは良い判断だったなとも思う。
「行成さんもどうぞ?」
「ありがとうございます。その、うちの者どもが汚いものをお見せして申し訳なく……」
「いえいえ、お気になさらず」
「そ、そうですか……」
ハルカは本当に何も気にしていなかったが、それは同時にハルカが男性の裸を見慣れていると取ることもできる。行成は自分でもよくわからないもやっとした感情を抱えながら、とぼとぼと湯船へと歩いていった。
「お気に召さなかったですかね。……ああ、若様用の別のものを用意しておいた方がよかったんでしょうか。どう思います?」
「わかんないです」
話を振られたモンタナは、なんとなくその理由を察しながらも答えを濁す。
ハルカが知ったところで、ハルカも行成も幸せにならない話だった。
いくら体をきれいに流しても、結局汚れた服に身を包むと、においを発することには変わりない。
ただ、十六人分の服はノーマーシーにはないから、ひとまず洗って着まわしてもらうしかなかった。あとで魔法でやってあげようと考えながら、ハルカたちと侍たちはたき火を囲む。
ここからは真面目な話の始まりだ。
大事な話が始まるにしては、のどかに活動をしているコボルトたちが周りをうろついているが、この国はいつもこんな感じなので誰も注意しない。
そもそもコボルトが話を聞いたところで、誰かにそれを漏らす機会もなければ、どこまで理解できているかも怪しいところだ。基本的にはウルメアが統括してくれているので、駄目と言えば口も割らないだろう。
「〈北禅国〉はそれほど大きな勢力ではありません。【神龍国朧】の最北端の島にあり、ここ数百年は私たち北城家が統治してきました。ほんの一年と少し程前に、僅かな手勢を連れてマグナス殿が船で島へやってきました。それは長い航海に耐えうるような船ではなく、今日の私たちのごとく、酷くやつれて疲れ切っていました。私たちは彼らを迎え入れて事情を聞くことにしました」
竜に乗っていた者は偽物。
地下からどこぞにしばらく隠れ、どこかで船を調達して逃げ出したのだろう。
しぶとい男である。
「マグナス殿……いや、マグナスは……、自分に都合の良いことを語り、私たちの同情を買いました。今考えれば私たちはその時点ですでに奴の術中にはまっていたのでしょう。助けられた礼にと、マグナスは〈北禅国〉のために様々な提案をもたらしました。弓よりも使いやすい弩の開発と、いざという時のための農民の兵士化策。実際に隣国より攻められた際は、狭間に敵をおびき寄せ、一斉に弓と弩で攻撃を仕掛けることによって、被害少なく撃退することができました。多くのものが彼を信じ、そして暗躍していることに気づかなかった。じわりじわりと遅効性の毒のように、奴の魔の手が広がっていることに、私たちは気づけなかった。かつて〈北禅国〉を治め、今では家臣の一人となっていた小上家の当主をそそのかし、マグナスは謀反を起こしました。北城家の兵は、隣国が戦準備をしているとの情報をつかまされ、沿岸へ派兵しておりました。……結果、父は討たれ、私は命からがら逃げのびて参りました」
仮にもディセント王国という大国を二分して大戦を仕掛けた男だ。
当時は王国の中にもマグナス派の数がそれなりに多く、もしエリザヴェータが凡庸であったり、準備にもっと時間がかかっていたならば、今頃マグナス王が誕生していてもおかしくなかったはずである。
小さな島国の複雑な人間関係を把握、そこへ毒をめぐらせるくらいは、それほど難しくなかったに違いない。
「……事情は分かりました」
「実際、マグナスはどんな人物なのでしょうか? 本人は濡れ衣を着せられて命からがら逃げだしてきたと言っていたのですが……」
真実に嘘を混ぜ込んだのだろう。
王国と交流のない〈北禅国〉では、この事実を調べることは難しい。
「……姪の王座転覆をはかった重罪人です。影武者をおとりに逃げ出したようですね」
行成は「やはりか……」と呟き肩を落とす。
「マグナスと接していた時では信じられなかったろうな……。今となってはそれが真実なのだろうとしか思えぬが。……なんと愚かだったのだろうか」
「申し訳ありませぬ、若……。我らがしっかりしておればこんなことには……」
「しかし許せぬ、裏切ったやつらめ、必ずやなます切りにしてくれる……」
侍たちの反応はそれぞれだったが、誰もが悔しがり、己を恥じていることには違いないようであった。





