クリフト
ヴィランテが足を止めたのは、やっぱりモンタナが気にしていたあの部屋の前だった。中にいるのは特別な存在なのか、それともハルカたちに見せることに障りがあるのか、ヴィランテは随分と緊張しているようだった。
「すみませんゼアン、先ほどお話ししたお客様がいらしてるのですが、中に入っても?」
ノックをしてかける言葉は、思ったよりも親しそうで、中のものとの関係が悪くないことをうかがわせる。
「おー、もちろんだとも。ここは君たちの住処で、私は居候さ。望むのなら裸踊りだって披露してみせるよ」
「では、失礼します」
ヴィランテが扉を開ける。
その部屋は光量が最低限に絞られており、部屋全体に大きなマットレスのようなものが敷き詰められた妙な部屋だった。その中でクッションに埋もれるようにして、誰かが寝そべっている。
長い水色の髪をだらしなくのばし、胸元のボタンを大胆に四つも開いているその人物は、中性的な顔立ちをしており、眠たそうな目をしている。その人物は全身を脱力させたまま、視線だけを動かしてハルカたちを見やると「おや」と口から言葉をこぼした。
「なんだか、同種族がいそうだね」
胸元の薄さと、見た目にそぐわない声の低さを持つ、おそらく男性のそれの目は、暗闇の中で赤々と輝いている。
「ゼアン=ステイン=ロードスター=クリフトだよ。えーっと……、なんかそっちの美人な子は、どこか、遥か彼方の記憶で見たことがあるような気がするんだけどなぁ……」
吸血鬼の特徴。
クリフトという一族の名前。
ハルカはウルメアの言っていた言葉を思い出す。
『ノワールは引きこもり、ハウツマンはお人好し、クリフトは誇りがなく、我らセルドこそ……』
居候宣言をするその男は優雅であったが、確かにどう見たって誇りがなかった。
「…………ゼアンおじさま?」
「…………あっ、思い出した。君、カーミラちゃんでしょ。ノワール家のカーミラちゃん。いやぁ偶然だなぁ。……ああ、でも君がこんなところに現れるということは、フラドもニーペンスももういないんだね」
「……はい」
「そうか、私は世情に疎いから。君たちの家に世話になっていた頃がつい昨日のようだよ」
「あれから千年は経ってます、おじさま」
「あの頃は私も若かった。今ほど居候も上手じゃなくて、フラドにはよく文句を言われたものだよ」
これはもう間違いなく本物だった。
なんとこれでハルカは、この世界の吸血鬼の王たる血筋を持つ全員と出会ったことになる。
「えーっと、そっちの黒髪の子も吸血鬼だよね? 名前は?」
「……イーストン=ヴェラ=テネブ=ハウツマン」
カーミラとは対照的に、かなり警戒した様子で答えるのはイーストンだ。
知り合いでない千年以上生きた吸血鬼なんて、脅威でしかないのだから当たり前の対応である。
「あれ、テネブの子? 結婚したんだね、おめでとうって言いに行こうかな」
「いえ、結構です」
結婚したのは百年以上前だし、ヴェラはすでに他界している。
おめでとうなんて言ったら父がどんな顔をするか、イーストンは容易に想像できた。
「懐かしいなぁ。昔テネブのところにも居候していたことがあるよ。気難しくて話しかけると怒るんだよね。彼の蔵書に折り目をつけて読んでたら激怒されてね。それで出ていくことになったんだけど」
「……一応父から言われていることを伝えておきます。『ゼアンという吸血鬼に会ってもあまり話さないように。悪い奴でないから殺す必要はないが、うちのシマには絶対に連れてこないように』とのことです」
「あ、まだ怒ってるんだ……」
「島で制度を作っている忙しい最中に、ごろごろうろうろして無駄飯を食べては無駄口を叩くだけの本当にどうしようもない奴だったと、滅多に愚痴を言わない父から一度だけ聞いたことがあります」
「事実だけに反論のしようがないな」
遥か昔からどうしようもない人物だったということがはっきりしてしまった。
イーストンの警戒は、危険人物に対するものではない。
ろくでもない人物に対する警戒であった。
「それからそっちの赤い目をした子は……、あ、いや、君はダークエルフか。いやいや、ごめんね。それで居候の私に何の御用だったのかな」
「…………いえ、特にご用はないかもしれません」
「えぇ? そうなの? なんだぁ」
「あの、経緯を説明しますね」
やる気なさげにごろりと転がったゼアンに、ヴィランテがハルカと会ってからの経緯を説明する。すべてを聞いたゼアンは胡坐をかいて座り直すと、頭の上で両手を叩いてみせた。見目が良くなければシンバルを叩くおもちゃみたいに見える動作だ。
「素晴らしい! ぜひとも私がのんべんだらりと暮らせるような国にしてほしいね! 全力で応援するよ」
「具体的には何をするです?」
「寝転がっていて、思い出したときにお祈りをしてあげよう」
「役立たないです、この人。ほっとくですよ」
害もなければ益もない。
本当にただだらだらと生を垂れ流し続けているというのがこのゼアンという吸血鬼の本質のようである。
呆れかえったモンタナが、ハルカに進言するくらいだからよっぽどだ。
「この人滞在させてなんかいいことあったの?」
「……どうしても男性が足りない時に私たちの相手をしてくれるので。滅多に子供ができることはないのですが」
「たまにはできるよ? ね、私のかわいいエターニャ?」
「そうねぇ。私以外いませんけどねぇ」
ずっとヴィランテについてきていたラミアの一人が、頬に手を当てながらぽやっとした様子で頷く。
「あの、エターニャさん? ちょっといいでしょうか?」
「はぁい、なんでしょうかぁ?」
「ええと、エターニャさんは、吸血鬼とラミアの混血ということになるんでしょうか?」
「そうですねぇ。私エターニャ=フィン=ゼアン=クリフトって言うんですよぉ」





