かつての悔恨
ハルカと同じくらいのタイミングで、ユーリが横合いからそろりと現れてノクトに忍び寄る。
顔を見合わせた二人は、何と声をかけていいかわからずに黙ってその場に座って、なんとなくノクトが話をはじめてくれるのを待った。自分のことをあまり話さないノクトに何を質問しても、話す気がなければはぐらかされてしまうだけだ。
それなら黙って待っているほうがお利巧というものである。
「そんなに気になりますか?」
ちらちらと様子を窺っている二人にノクトが微笑む。
機嫌は悪くなさそうだ。
ハルカとユーリは視線を交わして同時に頷く。
「ここにはですね、僕の古い友人が眠っているんですよ」
「……村があった頃のものですよね?」
「はい。そうですね……【プレイヌ】の建国よりも少し前ですから、もう百年以上前のことになります。僕もその頃は……、まだ王族らしく各地を訪問していました。治癒魔法が使えたのでね、色々と重宝されたんです。……その度、各地に散らばって暮らしている獣人たちのもとを訪ねて、その地を離れたいものは連れ帰っていました。……どうしても、そこで暮らしたいという人たちもいましたけれど」
ハルカは王国を巡る中で清高派と呼ばれる貴族たちが、人以外の種族を疎んでいた現実を知っている。かつて土地を取り戻す中で手を取り合ったはずの獣人族たちですら、王国の人の一部は蔑みの目で見ているのだ。
獣人族は人族よりも全体的に優れた身体能力を持っているものが多い。もしかしたら隣人として当たり前に獣人族が暮らしているのが怖かったのかもしれない。
理由はどうあれ、当時の差別は今よりもずいぶんと酷かった。
ノクトは王族として、それを何とかしたいと考えていた。
獣人族が人族の良き隣人であることを伝えるために、努力を惜しまなかった。
「ここも、そんな村の一つでした。特に今の【独立商業都市国家プレイヌ】のあたりには、獣人族と数少ない人族が協力し合って開発した土地もたくさんあるんですよ。大きな都市から離れた不便な土地でも、いつか人々が行き交うことを夢見て、そこに暮らす獣人族は少なくありませんでした。かつて時折海から半魚人がやってくることのあったここも、その一つです。それさえなければ良質な港になり得る場所ですから、どうにかして開発しようと思ったんでしょうね。今のあなたたちのように」
「狙いは非常にいいです」と言ってノクトは明るく手を叩いた。
それからふーっと長く息を吐いて、大岩を見上げる。
「いい村でした。屈強な戦士がいて、子供たちがはしゃぐことのできる、それなりに大きな村でした。陽気に余所者を歓迎してくれてしまうところだけは、少しばかり心配でしたが。……村が発展すると、近隣の領主も、ここが使い勝手の良い土地であることに気づきます。どうなったと思います?」
ノクトはハルカに視線を送る。
現状を思えば待っているのはろくでもない結末だ。
ハルカが唾をごくりと飲んで黙りこくっていると、ノクトはまた小さく笑った。
「意地悪でしたね。僕が四度目にここを訪れた時、村はなくなっていました。僅かながらの半魚人の死体と、村人全員の死体が一緒くたにここにまとめられていたんですよ。村をうろついている僅かばかりの半魚人を退治していたのは【神殿騎士】と侯爵領の兵士でした。なんと村は半魚人に滅ぼされていたんですよ。……これまで幾度も幾度もそれを跳ねのけてきた村人が、たった数十の半魚人に敗れたんだそうです。よほど隠密に長けているか、言葉巧みな半魚人がやってきたのでしょうね。幾人もの戦士が、剣で後ろから刺されて命を落としていました。矢を使うものもいたし、包囲する知恵もあったのでしょう。友人たちの死にざまが僕に教えてくれました。誰一人生き残りが出ないように周到に殺されたのだと」
ノクトは置いた花を手に取って、額に寄せて目を閉じる。
「僕はそれ以来王族であることをやめました。どうしても許せないものがたくさんありました。僕は、スワムさんの目の前でその上司をすり潰したことがあります。だからあんな態度をされるのは当たり前です。そこに関しては巻き込んでしまい申し訳ないと思っていますが、今でも間違ったことをしたとは思っていません」
静かな語り口に、言葉を挟むことができない。
時折思い出すように言葉を止めるノクトの表情に笑顔はない。
いつの間にか周りにはコリンやカーミラも佇んでおり、皆一様に目を伏せている。
「いつだかここに成果を報告しに来た時、人質を連れた兵士たちに囲まれました。頭の中が真っ白に……、いえ、真っ黒に染まって、気付けば僕は大けがをして一人その場に倒れていました。もうろうとする意識の中で出会った人と何かを話しました。荒れていた時期でしたので、動けもしないくせに八つ当たりを随分とした気がします。次に目が覚めた時、僕の体には傷がありませんでした。代わりになぜか少しだけ背が縮み、魔素を以前よりも自在に操れるようになっていたんです」
花を置いて立ち上がったノクトは、岩を一撫でして続ける。
「守りたいものがあるのなら、時に非情な決断が必要になります。一人だけで頑張っていると、どんな選択をしても酷く後悔することが増えていきます。ハルカさん、僕はあなたに、同じような目には遭ってほしくありません。僕程度ならまだしも、あなたが本気で怒ると大変そうですからね。だからあなたたちのことはのんびりと見守っていてあげます。僕はあなたの甘い生き方が、実は結構気に入っているので」
ノクトは振り返るとにっこりと笑いながら海辺に向けて歩き出す。
「いいですね、港町。誰かがここに街を作ろうとするたび邪魔をしてきましたが、弟子がやるというのならいいでしょう。もう、百年も経ちますからね……」
数歩尻尾を引きずりながら歩いたノクトは、すぐに障壁の上に乗ってすいーっと移動を始める。そのまま空高く上がっていったノクトのバツの悪そうな顔を見る者は誰もいなかった。





