お酒の味
「そういう交渉はなかなか難しいものがあるよね。よくやったんじゃないかな」
丸テーブルには小さなランタンと酒瓶。
グラスには氷と琥珀色の液体が注がれている。
ハルカと共に夜の時間を過ごしているのは、目が怪しく光る美形が二人と、竜の尻尾と角を持つ年齢詐欺の獣人だ。
イーストンはたびたび反省の入るハルカの説明を最後まで聞いて、素直に褒めの言葉を口にした。ハルカにしては本当によく頑張ったのではないかと思いつつ、少しばかり汗をかいたグラスに手を伸ばす。
「ある意味助かりましたねぇ、あそこで攻撃を仕掛けてくれたのは」
両手でグラスを持っているノクトは、ちびりちびりと酒を舐める。
一口は少ないのだが、ペースは速く、すでに二度ほどお代わりをしている。
他よりもやや氷が溶けるのも早いようで、グラスが空になると、口に小さな丸氷を含んでハルカの方へ差し出してくる。
魔法で大きめの丸氷を中に入れてやれば、ノクトは上半身を乗り出して手酌で酒を継ぎ足した。
「どういうことかしら?」
ノクトの言葉の意図がわからず質問をするのは、グラスを揺らして氷の当たる音を楽しんでいたカーミラだ。吸血鬼の血を引く二人は、万が一看破されては困るからと神殿騎士たちの前へは出さなかった。
そのために今、改めて詳しく話をしているのだ。
単純に落ち着いた面々とのんびりお酒を飲む時間を楽しんでいる面もあるけれど。
いつもは他の酒飲みたちにも声をかけるのだが、今日は真面目な話も多くなりそうだったので最低限の人数に絞っている。
カーミラの質問の答えには、ハルカとしてもいくつか思い当たる節がある。
しかし、ノクトが話してくれるのならばと耳を傾けた。
自分の考えの裏付けにもなるし、他にも理由があるのなら聞いておきたい。
「まず、相手側の過失を増やすことができました。あの人はユエルさんが一時期連れて歩いていたのを知ってましたから、放っておけばそのうち何かするんじゃないかと思ってたんですけどねぇ。案の定でした」
「あ、やっぱりそうなんですね?」
「はい。レジーナさんに近い出生だったと思います。あの時期、南方大陸の小国群は随分荒れていたんですよ。そこから助け出された子のうちの一人だったかと」
レジーナも南方の見世物集団で無理やり戦わされていた子供の一人だったが、助け出された後、一時期〈オラクル教〉へ預けられている。
「……助けた子って、もしかしてほとんど〈オラクル教〉に預けられてます?」
「はい。あそこが一番、将来の選択肢を増やすことができる場所なので」
今でこそこうして衝突寸前の状態であるが、〈オラクル教〉は確かに善性寄りの団体なのだ。貧しいものは救おうとするし、困っている者は助けようとする。人の発展のためには努力を惜しまないものも多い。
ハルカたちにとって問題であるのは、その人の中に破壊者が含まれていないどころか、破壊者は敵であるという、はっきりとした教えがあることなのだが。
「ユエルさんは勝手についてこようとする彼を何年か連れ歩いてたみたいですね。その末に『邪魔』ということで、結局〈オラクル教〉の施設へ押し付けたようですが」
「なんで数年も連れ歩いたのかしら?」
「連れ歩くより、〈オラクル教〉へ頼みごとをしに行く方が面倒くさかったんじゃないですかねぇ? でもそれを上回るほど『邪魔』になったのでしょう。ちょっと普通とは基準がずれているので、あの人」
ユエルこと【致命的自己】は、そういう人だからと言われると納得してしまうくらいには変な人物である。ここにいる全員が一度以上遭遇しているからこそ伝わる感覚だろう。
「他の理由は?」
「仕掛けてこなかった場合、もう少し話を詰められていたかもしれません。スワムさんは、あれで交渉事が下手ではありませんから。どんなに前に出たとしても、ハルカさんが限界を超えて無茶苦茶なことはしてこないだろうと考えていた節があります」
「限界を超えてというのはどういうことでしょう?」
「例えばそうですね……」
ノクトは少しだけ考えてから、笑顔で人差し指を立ててフリフリとしながら解説を始める。
「折角名前が出たのでユエルさんで例えましょうか。あの人にあんな交渉を仕掛けた場合、拠点近くに姿を現した時点で魔法が飛んできますし、それをしのいだところで〈ヴィスタ〉に帰る頃には、神殿騎士の本拠地が焼き払われて、関係者の枢機卿の一人や二人、あるいは教皇が死んでいる可能性がありますね」
「……まあ……、確かに私はしませんけど……」
忠告だ云々という話ではないのだ。
約束を守りそうにない相手に容赦をする理由がない、という感じだろうか。
「師匠なら、どうなりますか? 例えば……獣人の国や【月の道標】に近付くなと言ったのに、近寄ってきた場合です」
「えー、言わないとダメですかぁ?」
「一応、参考までにお願いします」
少し渋ったノクトにハルカが頭を下げて頼む。
酒で少しばかり頬が赤くなっているノクトは「仕方ないですねぇ」と言って語り出す。
「舐められていて、さらに踏み込んできそうな気配を感じた場合ですよね?」
「まぁ……、そうなるんでしょうか」
「そもそもそんな状況にならないようにすることが大前提なんですが……。もしそうなった場合ですよ? まず大規模な魔法を使うことができるスワムさんを、考え得る限り素早く殺します。それからその場にいる全員を戦闘不能にして、そのままそれを運んで〈ヴィスタ〉へ向かい、枢機卿の前まで行ってお話ですかねぇ……」
「一人だけ……その、殺すのはなぜなのかしら?」
恐る恐る尋ねるカーミラに、変わらぬ笑顔のノクトが答える。
「大規模殲滅魔法が得意だからです。生きていたら感情の爆発により、僕の守れない範囲まで魔法の被害を及ぼす可能性があります。現状で僕に付け込む隙があると考えて交渉を仕掛けてくるようなのであれば、おそらく耄碌しているので、今後も同じことをしかねません。結論、殺さない理由がないからですね」
「…………それが、正解なんでしょうか」
より具体的になっただけで、やっていることはユエルと大差ない。
つばをごくりと飲み込んだハルカが尋ねると、ノクトは首を横に振った。
「いいえ? 正解なんてありませんよ。ハルカさんが何をしたいかであり、そのためにどんな手段を選ぶかです。ぎりぎりまで対話を望み、安易に人を殺したくないハルカさんは、僕たちのような手段を取ることはできません。そうですねぇ……これまでもあれくらい厳しめの対応ができていたなら、そもそもスワムさんはここに様子を見に来たりしなかったかもしれません、というくらいで」
「……難しいです、本当に」
「難しいですよ。守るものが増えるほど、瞬間的な決断力が必要になります。切り捨てなければいけないものも増えていきます」
ぐっと酒を飲んだノクトは、ふーっと息を吐いて優しい目でハルカを見た。
「でもねぇ、僕はあなたには、多くのものを守りながら前へ進める力があると思っています。安易に答えを出す必要はありません。これからもあなたらしく、慎重に、よく考えて、でも委縮せずにのびのびとやるといいでしょうね」
また手酌で酒を注いだノクトは、ふへへと笑う。
「僕はあなたの師匠ですから、失敗することがあれば少しくらい手を貸してあげます。今日はよく頑張りました。気分のいい日は、お酒もおいしいものですねぇ」
そういえばこれほどペース早く、ご機嫌に酔っぱらっているノクトは珍しい。
ハルカは幾度か瞬きをしてから、少し薄まった酒をグイッと飲み干して呟く。
「今日、悪くなかったですか」
「悪くなかった。悪くなかったですねぇ」
ノクトの楽しそうな返答に、ハルカはほおを緩めて静かに微笑んだ。





