ぷんぷん
褐色の肌をした男、【異剣】ラクトの手がひらめくと、ジャリリと音がした。
どこからともなくその手に収まっていたのは、鉄を薄く薄く延ばすことで作られた、鞭のような剣であった。
「この馬鹿者が!」
騎士たちが叫んだスワムの前に盾になるように立ちはだかり、スワム自身は杖を空に向けた。
それよりもわずかに早く、レジーナが、タゴスが、アルベルトが、モンタナが、武器を抜いた。コリンの手甲は下ろされ、リョーガの刀の柄には手がかかっている。
悠々と笑っているのはノクトで、頬をひきつらせながらもすでに障壁の展開を終えているのはハルカだ。
少し遅れて、今まで黙っていたデクトが両陣営の間に飛び出してくる。
「……なに?」
「余計な争いを起こさないでいただきたい」
「効率のいい提案をしているのに、話を聞かないのは向こうだ。そこの……老婆の提案は正しい」
「老婆!? 今私のこと老婆って言ったかい!?」
「事実老婆ですもんねぇ」
「このくそ若作りがぁ! あたしが老婆ならあんたも爺さね!」
「そうですけどぉ?」
「この……腹の立つ!」
額に青筋を浮かべてダンと地面を踏みつけて叫ぶスワムと、老婆という言葉に素早く反応してさらに煽りを入れるノクト。興奮して口が悪くなったスワムは、どうどうと連れてきた騎士たちに宥められている。
「はぁ……というか、誰?」
「……巡礼騎士団長のデクトと申します。神殿騎士の第二十四席でもあります」
「そうなんだ。どいて?」
「いいえ、お話を聞いていただくまではどくわけにいきません」
にらみ合いのさなか、モンタナがピクリと耳を小さく動かす。
〈黄昏の森〉の方から、妙な音が聞こえてくるのだ。まるで大きな獣が全力疾走しているような音だ。
「何か来てるです」
仲間たちに聞こえるようにぼそりと声を発したモンタナだったが、ハルカたちはそれを頭にいれながらも、まだ存在を察知できていない。
ぴりり、と空気が張り詰める。
高まる緊張のなか、それでも剣を抜かないデクトの背中を見て、アルベルトが低い声を出した。
「ハルカ、障壁出してるんだろ。消してくれよ。あいつやる気だ」
「やる気だから出してるんです」
「デクトさん、攻撃されるぞ」
「まさか仲間に……」
ヒュン、と音がした。
僅かに手首を返しただけのような動きだった。
デクトがはっとして足を動かすが、時すでに遅く。足首に巻き付いた柔らかな剣は、デクトの体を宙へと放り投げていた。
「誰だか知らないから、どいて」
名乗らせておいてこの仕打ちである。
「とんでもないの連れて来てくれましたねぇ」
「元はと言えばあんたの知人の関係者さね! ラクトも、やめろと言ったらやめるんさね!!」
ノクトの軽口に応じて、スワムは杖を持つ手にぐっと力を籠める。
するとラクトの足元から炎の渦が立ち上り、その全身を覆い尽くした。
足音がますます近づき、モンタナ以外もそれを耳にとらえた。
しかし今はそれどころではない。意識を割きながらも目の前のことに対処を続ける必要があった。
スワムが放った、相手の身動きを封じる檻のような魔法は、しかしラクトの自由を奪うのには十分なものではなかった。
すぐさま肌と服を焦がしながら飛び出してきたラクトは、腕を振るい、障壁に剣を叩きつけた。
途中でリボンのようにいくつもの線に分かれたそれは、大した重量もないくせにその一本ずつが確実に障壁の表面を削り、罅を入れていく。
「ハルカ!」
「消します!」
直前まで話していたおかげで、アルベルトの声掛けにすぐさま呼応することができた。
障壁を消してアルベルトたちが武器を振るおうとした瞬間、森の中から巨大な鋼の塊が飛び出してきて、ラクトを轢き飛ばした。
酷い回転をして地面をはねたラクトは傷だらけになりながらも、随分と離れた場所で体勢を立て直して自らに衝突した鋼の塊を睨みつける。
「すまぬ、遅れた」
飛び出してきたのは、フルアーマーを纏った偉丈夫。
【鉄心】テロドスであった。
レジーナに文句を言われてからは出会う度、ヘルムだけは必ず外している辺り、非常に律義な人物である。
「……仲間割れなら身内だけでやれよな」
「申し開きもない。スワム殿、この状況は如何なることだろうか?」
「知らんさね。ラクトのやつが勝手に暴れて私だって困っていたさね」
「連れてくればそうなることは想像できたろう。しばしハルカ殿たちに任せて様子を見ようという話し合いをもうお忘れか?」
「忘れちゃいないさ。たまたま〈黄昏の森〉の調査をしていたら、たまたま東の空から竜たちが飛んできて、たまたまここに拠点があることを知り、近くへ来たから挨拶しただけさね」
仲間内で問答をはじめている間も、ハルカたちは当然ラクトへの警戒を解いていなかった。テロドスがラクトを跳ね飛ばした方向は、屋敷がある方だ。
あちらには戦わない仲間たちや、吸血鬼のカーミラがいる。
先ほどまでだったら自分たちが壁となり、そちらへ向かうことが阻止できたので、まだ余裕があったのだが、こうなってしまえば話は別だ。
人の住む場所で勝手な行動と話ばかりをする〈オラクル教〉の面々に、本当に珍しいことに、ハルカは少々腹を立てていた。
遠くで警戒して立っているラクトの周囲を、察せられないように広く障壁で囲い、内側にどんどん障壁の数を増やしていく。風が吹かなくなったことや、僅かに視界が歪むことに気づいたラクトが動き出したときには、すでに周囲には幾重にもわたって障壁の壁が張り巡らされた後だった。
最後に足もとにも障壁を張り巡らせ、それをまとめて空に浮かせたハルカは、ラクトを言い争っている神殿騎士二人の下へと運ぶ。何事か言っているようであるラクトだったが、その声はいくつもの壁にさえぎられて聞こえてこなかった。
壁を破壊しようという挑戦も、破壊する傍から追加される障壁の前では無意味である。
スワムと騎士たち、それからテロドスとデクトの下に、閉じ込められたラクトの姿が見えた時、ぴたりと会話が止んだ。
仲間たちは、ハルカのことを見て、どうも様子が変だぞと思っていたのだが、神殿騎士たちはまだ気づいていないようだった。モンタナはハルカの側によって、その顔をそーっと下からのぞき込み、スーッと身を引いた。
「こんなことするつもりはなかったさね。こればっかりは私も悪いと……」
「スワムさん」
年長者の言葉を遮るなんてことをしたハルカに、コリンとアルベルトがぎょっとした顔をした。普段ではありえない行動だ。
「本当にそう思っていらっしゃいますか? 確かに私たちはあなたたちにとって不愉快な提案をしているのでしょう。人々を守るためというのは、素晴らしい理念です。尊重するべきでしょう。しかし、ここは私たちの場所です。私には優先して守るべき人がいます。今の行動は、あまりに目に余ります」
「私が気づくのに遅れたせいだ、申し訳ない」
「いいえ、テロドスさんのせいではありません。少しお控えいただけますか?」
せめてまともな交流のある自分がと矢面に立とうとしたテロドスを、ハルカはきっぱりと拒絶する。お前には言ってない、ともとれるような言葉だった。
「私は争いごとが嫌いです。話し合って、できる限り避けて通りたいと願っています。譲歩できることは譲歩いたします。しかし、譲れない場所まで踏み込まれたらそれなりの対処はいたします。それだけは、よくよくご承知おきいただきたいのです、スワムさん。ご理解いただけますか?」
ここが限界。
これ以上踏み込めば許さないという、ハルカにしてはかなりはっきりとした警告であった。





