忍び寄るもの
まだまだ全身が見えてこないエノテラのために、ハルカたちはその場で夜を明かすことになった。
レジーナとコリンを先に寝かせて、アルベルトとモンタナが周囲の警戒。
ハルカはエノテラの様子が気になったので、うとうととしながらぼんやりとそちらを眺めていた。
特に会話もないまま時間は過ぎて、時折誰かが呟いたことに、ぽつりぽつりと返事をする。出会って間もない関係だったら気まずい空気かもしれないけれど、ハルカたちにとっては肩の力を抜ける時間だ。
ちなみにナギたちはいい感じの広場を見つけてそちらで休んでいる。
ちょっと距離があるけれど、人が竜の心配をするなんて馬鹿げた話だろう。そんなことを考えているのはハルカくらいなものである。
意外と小さく丸まって眠るレジーナと、意外でもなくのびのびと眠るコリンの寝息が聞こえてきて暫く、ハルカはふと思い出したことがあって呟く。
「そういえば、大きな動物が少なかったって言ってましたね」
やや間があってから串焼きに使うために、木の棒を削って尖らせていたアルベルトが手を止めて顔を上げる。
「……そうなんだよな。なんかきめぇ死体は落ちてたんだけど」
話しながら思い出したのか、アルベルトは眉を顰める。
「なんですか、それ?」
「骨と皮だけになった鹿の死体あったですよ」
「……飢え死にしたってことでしょうか?」
「いや、それにしては毛皮とか綺麗だったんだよな」
ホラーじみた話になってきてハルカは周囲に目を走らせる。
そういえば旅に出た当初はそんなことも気にしていたけれど、最近はすっかりお化けやら幽霊やらを気にしなくなっていた。他に実害のあるものが多すぎてすっかり忘れていたのだった。
「なんか、怖い話しようとしてますか? やめてくださいね?」
「落ちてたんだからしょうがねぇじゃん」
「……アラクネじゃない?」
イーストンが話の間に呟く。
ハルカはアラクネの姿を頭に思い浮かべる。
文献によれば巨大な蜘蛛の下半身に、人のような上半身を持った破壊者だということなのだが、なにぶん人の生存領域には住んでいないので、その記述は曖昧だ。
全長が人くらいだとか、三メートルあるとか、蜘蛛だけで全長が五メートルあるとか、まあまあ、色々な話があってよくわからない。
いずれにせよ、かなり強い破壊者であるらしいということだけはたしかだ。
それに加えて、ハルカは元の世界での図鑑で見た知識を脳内の隅から手繰り寄せる。
「……そういえば蜘蛛って、獲物に消化液を流し込んで中身を溶かして吸うんでしたっけ」
「うわ、なんだそれ怖ぇ」
大げさに反応したアルベルトにハルカは苦笑する。
「生き物が体内でやっていることを外でやっているだけですよ。確かにちょっと不気味かもしれませんけど」
「へぇ……、そうなのか……。詳しいな」
アルベルトは自分のお腹を見下ろしながら撫でている。
この世界では外科医療などがあまり発達していない。
その上、本や教育によってまんべんなく知識を得るという機会も少ないため、どうしても知っていることは偏ってしまう。
「蜘蛛ってすごいんですよ。細い糸がありますが、あれも実はとても丈夫で……」
ハルカがアルベルトに自分の持っている知識を披露しようとしたところで、モンタナが最初に、続いてイーストン。そしてアルベルトが空を見上げた。
これは何かあるぞ、とハルカは早々に自分たちの周囲に障壁を張る。
「……大きな蜘蛛、です。多分さっきので当たりです」
モンタナがまだ見えていない相手の姿を呟いたところで、ハルカも障壁のことを仲間へ伝える。
「障壁はりました」
緊張して空を見上げていると、空を歩くようにして先のとがった足がぬっと頭上に現れ、やがてその巨体が露わになる。
蜘蛛の腹。
八つの赤い目玉がじろりとハルカたちを見下ろしたが、すぐに自らも見上げられていることに気づいたのか後ずさりで去っていった。その動きには最後まで音がなく、身を潜められていたら、近くに寄られても気づくことがなかっただろう。
モンタナが気づいたのはその巨体から洩れる魔素。
イーストンとアルベルトは、周囲の生き物の動きで初めて接近に気が付いた。
「……追った方がいいでしょうか?」
「何らかの方法でこっちの居場所を把握してたみたいだね。……空だと僕たちは追えないから、ハルカさんに任せるよ」
「偵察だけしてきます」
障壁を解いて空へ飛び立つと、体に何か絡みつく。
手で払おうとすると、更にぺたりとくっついてしまい、巣に引っ掛かったかと慌てるハルカだったが、肝心の蜘蛛の姿はすでに随分と離れた場所にいる。
蜘蛛は振り返ってハルカの姿を確認したようだが、戻ってくる様子はなかった。
魔法を発動して無理やりに断ち切った頃には、蜘蛛はさらに遠くへと離れている。
追うか止めるか。少しばかり考えてから、ハルカはゆっくりと地上へ降りた。
間違いなくあの蜘蛛、アラクネはかなり賢い破壊者だ。追いかければ今のように何らかの罠がはってあってもおかしくない。
それに積極的に攻撃を仕掛けてくるわけでもなかった。
今無理に追いかけて、戦闘が発生するのも嫌だ。
どうせならば堂々と正面から訪ねて、話し合いからの関係をスタートさせたい。
「どうだった?」
「上空に糸が仕掛けられていて引っかかりました。粘着質で丈夫です。魔法で断ち切りましたが、複雑に絡まった場合は動きにくくなる程度の強度はあったのではないかと」
ハルカの場合はあまり関係ないが、アルベルトたちにとってはかなり危険な相手だ。
「モンタナ、仕掛けられたやつってみえねぇの?」
「……切れて初めて見えたです。多分芯に魔素が通ってるですけど、普段は僕でも見えないように覆われてるですよ。隠密に特化してるです」
「……縄張り、入らないように気を付けたほうがいいね。かなり厄介な相手になるよ」
四人ともで腕を組んで、ああでもないこうでもないと、推定アラクネに対する作戦を立てているうちに、休んでいた二人も起きてくる。二人を交えての話し合いは朝まで続き、食事をとってから男連中は昼寝をすることになった。
ようやくエノテラの根っこが穴にすっぽりと収まり出発準備が整ったのは昼頃のこと。
アラクネのこともあり、ようやくここを離れられることにハルカはほっと胸をなでおろすのであった。





