半魚人たちの暮らし
昼も過ぎて暫く。
〈混沌領〉との境目である山脈より手前辺りから、湿った苔のような色をした点の蠢きを観察できるようになった。
あれが半魚人なのだろうと思いながらも、更に進んでいくと、やがて〈混沌領〉へと入ることになる。
海岸線は長く続く砂浜になっているようで、進めば進むほど、半魚人の数が増えてきた。
そろそろじっくり観察をしてみようと、少しずつ高度を落としていって気付いたのは、それらが手に武器を持っているということだ。
身長は一メートルに届かず、頭部から背中にかけて長い背びれのようなものがある。手足の指の間には水かきがついており、伸びた尻尾の先についた尾びれを引きずって、砂浜に跡を残していた。
海の中で魚をかじっている者もいれば、陸の奥まで入り込んで、オークなどをむさぼっている者もいる。食べ物がある場所にはあとからあとからやってきて、食事風景はまさに弱肉強食の奪い合いだ。
返り討ちになった仲間の死体までも口に運んでいるのは、飢えているからなのか、それともそういった性質なのか。
そのうち一匹が、ハルカたちが空にいることに気づくと、奇声を上げて石の槍を投げつけてきた。それに気づいた他の個体がさらに奇声を上げ、次々と砂浜にいる半魚人たちが手に持った武器を空へ投擲する。
ハルカたちまで届くことなく自然落下した武器は、下にいた別の個体に突き刺さりその命を奪う。
ただ、それを見てもなお、半魚人たちは投擲をやめることがなかった。仲間の死を悼むどころかそれにむさぼりつくようなありさまだ。
まさに地獄の餓鬼のような姿に、ハルカの背にはぞぞっとおぞけが走る。
小鬼の方がまだずるがしこく、意志の統一がなされていた。
「話通じねぇだろ、あれ」
呆れたように吐き出されたアルベルトの言葉に、ハルカは思わず同意して頷く。
しかしそれにしても、ものすごい数である。
もともとどれくらいの数が適正なのかわからないけれど、共食いをしているくらいだから相当に増え過ぎであるはずだ。
この調子で海岸線沿い全体に生息しているのだとすれば、海の中にいるものも合わせれば数万は下らない数がいることだろう。
山脈よりも人族側の領土にもちらほらと姿が見えているから、数が増え続ければいずれは問題が起こるはずだ。陸上をどれだけ長いこと移動できるかわからないが、水辺の多いリザードマンの里付近まではたどり着くことができるかもしれない。
この時点で放置してもいい存在ではない。
半魚人は浅瀬に暮らし、陸にも上がることのできる種族だ。
海では人魚の泳ぎに及ばず、陸では他の多くの生き物よりも足が遅い。
一体ずつ相手するのならばそれほど怖い種族ではないが、問題は数である。
たとえ鍛えられたリザードマンの戦士であっても、数十体から食いつかれてはたまったものではないだろう。
人魚たちが半魚人が近づいてこない場所を住処にしていたのも納得である。
不毛な投擲を眺めながらしばらく砂浜の上空を飛び続けるが、半魚人が見えなくなることはなかった。海では半魚人を捕食しようとやってきた魔物が、数匹を食べて離脱を繰り返しているが、時折まとわりつかれて命を落とす者もいるようだ。
ああして命を落とした魔物の一部や、陸から引きずってきた獲物の一部が、食べ残しとして流されてくる場所があの海なのだろう。
「……一度帰りましょうか」
このまま進み続けると、最終的には混沌領のかなり奥地まで入っていかなければならなそうだ。今戻っても、日が落ちるまでに戻れるか怪しい。
「そですね」
「弱そうだし、相手しても面白くなさそうだしな」
二人の同意と、一人の沈黙。
レジーナが何も言わないのは肯定なので満場一致だ。
「半魚人がどこまで陸地に入り込んでいるかだけ確認しながら帰ります」
そう言ってハルカは、進行方向を南へ向けた。
木々の隙間から覗くようにして半魚人がいるかいないかをチェックしていく。十分もした頃、上空からは半魚人を見つけることが難しくなった。
陸上には長いこと暮らせないのかもしれないと判断して、進路を西へ。
少しばかり速度を上げてまっすぐに仲間たちのもとへ向かって、また数十分。
眼下から奇声が聞こえてきて、ハルカは速度を緩めた。
見下ろすと、縦三メートル、横に一メートルほどあろうかという、巨大な植物の蕾のようなものがあった。
ハエトリグサのような蔓が地面から延びており、どうやらそれに捕食されている半魚人が奇声を上げていたようだ。
近くには泉があり、数十体の半魚人がその大きな蕾を囲んで、お手製の槍でぶすぶすと突き刺していた。
「……なんでしょうか、あれ」
「わかんないです。でも蔦動いてるですよ」
「魔物だろ」
「強そうじゃね?」
魔物と断じて武器を握ったのはレジーナで、ワクワクした声で見下ろしているのがアルベルトだ。
そのとき、蕾の天辺が僅かに開き、そこから声が聞こえてきた。
「あ、誰だか知らないけど手を貸して! きりがないのよこいつら!!」
高い、女性のような声だった。
半魚人も破壊者、そして植物の中にいる謎の生き物も、当然破壊者である可能性が高いだろう。
しかし、少なくとも半魚人よりも話が通じそうな相手である。
「……助けましょうか」
「そですね」
ハルカが高度を落とすと、途中で三人がぴょんと飛び降りて戦闘へ突入していく。
半魚人たちも急に降りてきた三人に驚きながらも、植物よりも食べやすそうだと判断したのか、すぐに蕾をつつくのをやめて三人に襲い掛かった。
上空から見ていたハルカは、泉の中から続々と這い上がってくる半魚人の姿を確認すると、すぐさま魔法を放ち、泉の表面を分厚い氷で覆い尽くした。
次々と増援が現れても面白くない。
特に何も起こらず戻る予定だったハルカたちは、こうして巨大な蕾を助けるために戦うことになってしまったのであった。
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