海岸調査
海に近付くほど濃くなる臭気は、もはや潮風に乗って漂うなんてものではなかった。明確に海面から漂ってきているのがわかる。
あまり見たくないなと思いつつも、仕方なく魔法の光量を上げると、真っ暗で何かが漂っていることしかわからなかった海面が露わになる。
そこでハルカたちは思わずうっ、となって一歩足を引いた。
海面に浮かぶのは様々な生き物の腐乱死体。
それも完全な形のものはほとんど存在せず、内臓部分が食い散らかされているものが多い。
波の動きとはまた別に、不規則に揺れているのは、海中にいる魚たちが下からつついているからだろう。中にはオークやゴブリン、それにおそらく半魚人と思われるものの死体も混じっている。
コリアの言っていた通り、流れが変わった結果こうして死体が流れ着いてきたのだろうけれど、それにしたってあまりにも数が多すぎる。死体の内訳からして、混沌領の北側から流れてきたものであることは間違いない。
「……人魚たちが、半魚人が増えて住処を追いやられたという話をしていましたね」
「そういやそんな話してたっけ」
「〈混沌領〉の北部、もしかしてかなり多くの半魚人が住んでいるんじゃありませんか?」
「明日見に行ってみる?」
イーストンにはハルカの懸念がなんとなくわかった。
気が進まないまでも水を向けてみると、ハルカは頷いて答える。
「半魚人は、小鬼に近い性質と聞きました。いずれは〈ノーマーシー〉までやってくるかもしれない、と考えるのなら、一度確認しておきたいところです」
「殺すんだな?」
「よし、殺すか!」
確認を取ったのがレジーナ。
腕をぶんぶんと回したのがアルベルトだ。
確認を取るようになっただけましである。
「戦うかどうかは、ちょっと会話を試みて……、それから考えますからね?」
戦うことを可能性から外さないだけ進歩である。
ハルカは小鬼が雪崩のようにハーピー達に襲い掛かったことを知っているから、この光景を見て安楽に構えてはいられない。
半魚人は海の方が機敏であるけれど、だからと言って陸上で活動できないわけではないのだ。両生類のような生態を持つ彼らは、沿岸の都市に容易に襲い掛かる。
それぞれが死体の種類を確認したり、半魚人について考えたりしていると、沖合に小山のようなものが流れてきた。
最初に気づいたのは夜目のきくイーストンで、指をさしてハルカたちの注目を集める。
「あれ、何だろう」
「……見に行きますか」
手前の方は死体でつまっていて、こちらまで流れてきそうにもない。
ハルカが障壁を出して、四人でそれに乗り込み、小山の正体を探るために沖へと向かう。
臭気はますますひどくなっていた。
光の球と共にたどり着いたその小山は、十数メートルはあろう巨大な海洋生物の死体だった。
体のあちこちに石の槍が突き刺さっていることから、半魚人には武器を自前で用意するという文化はあるようだ。
その生物はクジラのようでもあったけれど、腐って露出した歯茎には、まるで人の歯のようなものが並んでいて、かなり不気味であった。
ひれは片方取れて無くなっていたが、残存するものを見ると、陸上でも這いまわれそうなしっかりとしたものがついている。例えるのならば、トドやオットセイのような作りになっているようだ。
まず間違いなく魔物である。
周囲には半魚人の死体がたくさん浮かんでおり、かなりの数が魔物に蹴散らされたことがうかがえる。
しかし、この魔物が死体で流れてくるというのは、半魚人の集団が、これだけの大きな生き物を撃退することができる程度の武力を持っているということの証左であった。
戻って状況を報告したハルカたちは、念のため交代で眠りにつくことにする。
ハルカがショックだったのは、戻ってきた途端モンタナがすすすっと一定の距離を取るようになったことだ。
どうやら臭いが衣服についてしまったらしく、モンタナの鼻には少々厳しかったようだった。
ハルカは夜の見張りの間に、ローブを水球の中に放り込みぐるぐると回して洗濯を始める。
「僕のもいい?」
と言ってきたのはイーストンで、ハルカはどうせならとアルベルトたちの上着も全部回収して水の中で回しておく。しばらくやれば後は障壁に引っ掛けて温風で乾かすだけだ。
旅の途中にもたまにやっていることなので慣れたものである。
ハルカたちがどこにいても比較的清潔でいられるのは、この魔法のお陰だ。
普通の魔法使いが見たら、目を剥いて自分の正気を疑うような光景だが、ハルカたちにとってはいつものことであった。
やろうと思えば野外で風呂に入ることもできるのだが、流石に無防備に入浴してリラックスというわけにもいかないので、いつも自重しているハルカである。
翌朝、相変わらず調査を継続しているドワーフたちを置いて、ハルカたちは海岸沿いに混沌領側へ向かうことにした。
一緒に行くのはここから離れたいモンタナと、アルベルト、レジーナである。四人向かうとなると残りは留守番だ。
ナギがいる場所にわざわざ近づいてくるような猛者はまず存在しないだろうけれど、だからと言ってドワーフたちを放置して全員で出発というわけにもいかない。
地上を離れ上へ上へと上がっていくと、それにつれてだんだんとモンタナの耳が立ち上がってくる。本人はあまり文句を言わなかったが、かなりあの場所に留まるのは嫌だったようだ。
アンデッド討伐と始末の時も、耳や尻尾がヘタレていたことが多かったのをハルカは思い出し、同情しながらもふふっと笑ってしまう。
とにかく、ハルカはこれから何が起こるのかわからないのに、意外なほど心に余裕をもって出発をしていた。
なんだか笑っているハルカを見て、仲間たちはおっと思ったが、なかなか度胸がついてきたのに気づいていないのは、本人ばかりである。
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