異変と胃痛
二人は北の街へ差し掛かっても、メインストリートから外れることなく、散歩をするように歩みを進める。
もし隠密するとしても、ここら一帯すべてが【悪党の宝】の縄張りであるから、下手にこそこそしたところで無駄である。
今回の場合はズークとジェフの情報を探っているという態度を見せることにこそ意味があるので、隠れる必要もないのだけれど。
北の街の大通りにも普通に店は開いており、立ち寄るついでに雑談をすることくらいはできる。歩く人の柄が他よりも少し悪いことをのぞけば、オランズの他の場所と雰囲気はそう変わらない。
ただもしハルカが一般人であるのなら、裏通りには入らないことだろう。
他よりも浮浪者や孤児らしき姿が多い上に、時折たむろしている輩の姿も見える。
「ついでに北門の方まで行ってみますか。騎士団の拠点がどうなっているか少し気になりますし」
どうせ第七席以外の重要人物とはすでに邂逅してしまった後だ。
下手に避けるよりも堂々と様子を見に行くくらいの方が、余計な疑いもかけられないだろう。
今ならばあれこれ聞かれても、デクトに会いに来たと言い訳することもできる。
門へ向かって進んでも、どうやらハルカ本人に何かを仕掛けてくるような者は誰もいなかった。この街をうろつくダークエルフはハルカしかいないから、間違えたも通用しない。直接何かをするにはリスクが高すぎる。
先日フラッドが揉めていたバーにたどり着くと、今日も店主が店前の掃除をしていた。ハルカたちの姿を見ると一瞬嫌そうな顔をしたけれど、まっすぐ近づいてくるのを確認して、観念したように薄ら笑いを浮かべた。
「どうされたので? 普段はこちらにあまりいらっしゃらないのに」
「いえ、ちょっとごたごたがあって聞きたいことがあったんですが、知り合いが少ないもので困っていたんです」
「はぁ、そうですか。この間は騒ぎを治めてもらいましたし、俺に答えられることなら何なりと」
言葉の割に気が進まなさそうなのは、店主もここが【悪党の宝】の縄張りであるという認識があるからだろう。他の勢力にあまり深入りして嫌がらせなどされたくない。
「ズークさんとジェフさんって方はご存じですか?」
「両方知ってますけど……、ジェフさんは、ほら【悪党の宝】のお偉方です。主に私たちみたいな嗜好品を扱うような店をやってる者たちによく顔のきく方ですな」
「オウティさんとかと近しい方ですか?」
「あー、いや、オウティさんはほら、冒険者の方々をまとめてますから」
「仲が良くない、とか?」
「いやぁ、私はそこまでは……」
ちらりとモンタナを見ると、首が小さく振られている。
それだけで、おそらく仲が悪いのであろうことはわかったので十分だ。
あまり情報を漏らしても問題があるのはわかるから、ハルカもそれ以上には追及しない。
「それから……ズークさんならつい昨日亡くなったとか……」
「亡くなった? なぜです? お年を召した方ではないと聞いていますが」
「ええ、まぁ……」
確認のために問い返すと、店主からは歯切れの悪い返事が戻ってくる。
「……殺されたんですか?」
この辺の情報は手にしておきたいハルカがストレートに尋ねると、店主は慌てて手と首を振ってそれを否定した。
「いやいや、そんな物騒な。なんか酒の飲み過ぎでぶっ倒れて死んじまったって聞いてますよ」
女誑しの話によればズークは、女性を商売とする男であるはずだ。
普段から酒はたしなんでいるはずの男が、四十過ぎにもなって加減がわからないはずがない。
「……元から健康を損ねていましたか?」
「いや、どうなんですかね、私はよく知りませんけど……」
「……あなたの見た限りでは?」
「……体が丈夫そうで、健康には見えましたけどね。私はほら、薬師でもないですから、あてになんかなりませんよ?」
店主は持っているほうきの柄を両手で挟み、忙しなく動かしている。
落ち着かず、額にはたらりと汗が垂れていた。
知りたいことは知れたし、あまり追い詰めてもかわいそうだと判断したハルカは、頭を下げてその場を後にする。
「ありがとうございます。最後に、ジェフさんにはどこへ行けば会えますか?」
「いやぁ、それがここ数日街でも見かけないんですよ。いつもだったらそろそろ顔を出してもいい頃なんですが……」
「そうですか、分かりました。このお店は夜やっているんですか?」
「ええ、夕方くらいに開店しますよ」
「お料理とかでおすすめはあります?」
「ええ、まあ、私の手料理でお恥ずかしいですが、ミルクを入れた煮込みが評判でして、ええ」
店主の表情が少しばかり明るくなる。
ようやく話が終わったことに加え、本業のことに触れてもらったのが嬉しかったのだろう。
「ではそのうち食べに来ます」
「それなら、ええ、歓迎しますとも」
言外に今日みたいなことはやめてほしいと言っているけれども、おそらく無意識でのことだろう。かわいそうに、ハルカは気づいていないが背中にびっしょりと汗をかいている。
「拠点見るですよね」
「あ、そうですね、では」
店主がずっときりきりと胃を痛めていたことに気づいていたモンタナが促し、ハルカは店を後にして北門へ向かう。
ほっと息を吐いた店主は、手早く残りの掃除を終わらせると店へ引っ込んで水を用意して呟く。
「あんな酒に強い人が飲み過ぎで死ぬわけねぇもんなぁ……。何が起こってるんだか……。こういう時こそいつも偉そうにしてるジェフさんが顔を出して安心させてくれるといいんだけどなぁ。あ、いてて」
胃のあたりを手のひらでさすった店主は、棚から取り出した丸薬を三つ口に放り込み、水でグイッと飲み干すのであった。





