真夜中と言えば
「帰ってこないわねぇ」
「……うん」
玄関にある小さな燭台に火をつけて、備え付けられた長椅子に座っているのはカーミラとユーリだ。ちゃんとクッションをいくつか持ってきてあって、快適性は確保してある。
夜中に目覚めたカーミラが、一人退屈に屋敷内をうろついていたところを、トイレに起きてきたユーリが見つけたのだ。そういえばリョーガが帰ってきてないという話をしていたところ、なら玄関で迎えてあげようかしらとカーミラがいそいそと準備を始めた。
寝ている間に帰ってきているかもしれないけれど、ユーリはその考えをカーミラには伝えず、一緒に夜の時間を過ごすことにした。カーミラは一人に慣れているけれど、寂しがり屋であることをユーリは知っている。
一緒に待つことを告げた時は、ちゃんと眠った方がいいと言われたけれど、何度か申し出ると、カーミラは嬉しそうに長椅子の環境をより快適なものに整え始めた。聞いたことのない鼻歌交じりでとてもご機嫌だった。
ユーリの位置は、ふかふかの長椅子の上の、カーミラの膝の上だ。お腹の前で手が組まれ、シートベルトのようにされている。
ユーリのために長椅子の環境を整えたのだとしたら、あまり意味はなかった。
体もだんだん大きくなってきているユーリだから、それなりに重たくて、こうして乗っていると普通ならば少し辛くなるはずだ。しかしカーミラをはじめこの宿にいる面々の多くが、それを苦にしないだけの体を持っている。
比較的背の小さいコリンですら、片手でひょいっとユーリを持ち上げるから、心配するだけ無駄というやつだ。
ユーリとしても膝に乗るのは慣れたものである。
早く大きくなりたいと思う反面、いつかこうしてみんなに甘えるのが難しくなるだろうと思うと、少しだけ寂しいと思ってしまう。
とんとんと優しく、リズムよくお腹を叩かれると、少しだけ眠たくなってきた。
別にカーミラはおしゃべり相手を求めているわけではない。
たとえ寝てしまったとしても、一緒にいるというだけで、満足しているのはわかっている。
それでも、少しばかり話をしようとユーリは目をこすった。
「カーミラは、なんで強いのに戦うの嫌いなの?」
「うーん……、私が強いのは、強いから強いだけだからかしら」
「……どういうこと?」
「ええと、皆のように強くなりたくて強くなったわけじゃないってこと。誰かと戦うくらいなら、私、逃げたいわ」
ユーリには少しだけその言葉が理解できた。
今はもうはるか昔のことのように思える、この世界に来る前の話。
ユーリはずっと逃げ出したいと思っていた。
ここではないどこかへ。
誰かが助けて、守ってくれるところへ行きたいと思っていた。
やがてそんな気持ちも萎えてしまったけれど、おぼえている限りユーリが最も強く持っていた気持ちがそれだったと思う。
「でも、カーミラは最初ママと戦ったよ?」
「そうね……。寂しかったの。長く一人でいて、甘い言葉にフラフラって騙されたのね。騙されているんじゃないかって薄々思いながら、私のことを頼ってくれる子のために戦わなきゃ、とも思ったわ。……それで、やっぱり私は戦いに向いてないって思い知ったのだけど」
性格の問題なのだろう。
根本的に優しいのだ。
ハルカも同じようなものだけれど、ハルカは心の奥底にカーミラがもっていないものを持っている。それは例えば、未知の物への好奇心であったり、ひそかに抱え込んでいる少年のような心だったりだ。
カーミラは生まれも育ちもお嬢様で、自分はそういうものだと思っている。
そのあたりの違いだろう。
「強くなって、僕もカーミラのこと守るね」
「あら、ありがとう。私もユーリが困ってたらその時は頑張ってみるわ」
ユーリの黒い髪に頬ずりをして、カーミラは目を閉じる。
長く森の中で一人生きてきたカーミラにとって、ハルカたちと一緒に過ごすようになってからの時間は夢のようだった。
これまで何人か共に暮らし見送ってきた犬たちの顔をまぶたに映す。
思い出はたくさんある。
だからこそ、一人の時間は寂しい。
カーミラは今の時間が長く長く続くよう願っている。
戦いは嫌いだけれど、ハルカたちの助けになるのなら、何かあった時は戦ってもいいかもしれないとカーミラはぼんやりとだけれど覚悟をしていた。
「…………こっちじゃないですか」
いつもよりも少し低く、のぺっとしたモンタナの声が急に聞こえ、二人は驚いて体を跳ねさせる。
気配をまるで感じなかった。
見ればほぼ眠っているような状態のモンタナが、しょぼしょぼと目をこすりながら立っている。
「なんか……、変な気配あったですけど、寝ちゃったですよ……。見回りしてるだけ、です。そこいて、いいです……」
そのままゆらりゆらりと左右に振れながら、モンタナは暗い廊下の先に消えていく。
「……びっくりした」
「……びっくりしたわね」
すっかり目が覚めてしまった二人は、ほとんど同時に同じ反応をして、笑い合った。
◆
怯える女誑しを連れて街を歩くのは実に面倒くさかった。
窓の揺れる音に、葉のこすれる音にいちいち怯えるのだからたちが悪い。
そんなに恐ろしいのなら、初めから夜の街になど出なければいいのだ。
おかげで拠点の近くまで来た時には、朝の方が近いような時間になってしまった。
【竜の庭】の拠点へ連れていってほしいと言われた時は、てっきりハルカたちの知り合いなのかと思って聞き返したが、どうも曖昧に誤魔化すばかりで要領を得ない。
胡散臭いし、あの宿には似つかわしくないと思いつつも、事情を話さないので判断も難しい。
途中でハルカたちから聞いた話を思い出し、ははーん、あの関係者かと気づいたのだが、ならばどうして外をほっつき歩いているのかがわからない。ハルカたちであれば、外に出すのならば間違いなく護衛をつけるはずだ。
余計な拾いものであったかと、反省しながらも、金を貰ってしまったので一応は宿まで案内してきた次第である。
「案内したでござる」
「ありがとう、助かった……」
朝まで眠って時間を潰そうと、リョーガが庭の方へ足先を向けると、なぜかその後ろから女誑しもついてくる。
「……なんでござる?」
「いや、俺もこっちに用事が。というか、リョーガさんこそ、勝手に庭に入っていいのか? 怖い竜がいるぞ」
「拙者【竜の庭】の食客でござる。庭で野宿するくらい許されるでござろう」
女誑しの反応は顕著だった。
動揺が目の動きに出て、リョーガは何かやましいことがあるのだと察する。
「いやいや、行かないほうが……」
リョーガが無言でずんずんと突き進むと、真っ先に目についたのは二階の窓からたらされ、風に揺れているシーツだった。
ナギが鼻先でそれをつつき、その上の開いた窓からは、ゆらゆらと揺れるモンタナが薄く目を開いたままリョーガたちの方をじっと見ている。
「な、なんか怖いでござるな……」
無言で身をひるがえした男の襟をつかみ、その場にねじ伏せたリョーガの一言に、モンタナがかっと目を見開く。聞こえるほど大きな声で話したつもりがなかったので余計に怖い。
リョーガはどうやら自分がモンタナの五感の鋭さを見誤っていたらしいことを、変なところで気づかされたのであった。





