対等な関係
何度やっても上手に殴るイメージは作れなかった。いつまでも練習をしていても仕方がないと思う、きちんと宣言して、指定された通りの場所を狙って腕を振るう。オクタイの肩が上がってきて、思っていたタイミングでは拳が当たりそうになかった。これも防御の技術の一つなのだろう。それと同時にオクタイが拳と同じ方向へ地面をけって飛んでいこうとするのが見えた。
何故こんなに相手の動きがはっきり見えるのだろう、と疑問に感じた瞬間景色が加速し、目の前からオクタイの姿が消えた。
およそ人間が立てそうにない鈍い音が左で響き、そちらへ目を向けると、石造りの壁を背にして吐血していた。
アルベルト達はじーっと見ていたからわかったが、オクタイは拳が当たる瞬間に、自分で地面をけって少し体を浮かせていた。そのせいで手裏剣のように三回転ほどしながら吹き飛んだ。空中でなんとか体勢を立て直そうとしたのか、背中から壁にたたきつけられすさまじい音を立てた。
左腕はひしゃげ、内臓が明らかにダメージを受けている。オクタイはそれでも右手を動かし、うわごとのように何かつぶやいたが、その直後に体が弛緩した。
顔を真っ青にして弾かれるようにオクタイへ駆け寄ったのはハルカである。頭の中は真っ白だったが、治癒魔法という言葉だけが頭に浮かび、治れ死ぬなと願うばかりだ。到着して手を翳すと魔法を詠唱するまでもなく、時間がまき戻るようにオクタイの傷が消えていく。
全て治っただろうと思ったが、オクタイは安らかな顔でピクリとも動こうとしない。
ハルカは焦りに焦り、普段なら絶対にやらないであろう行動に出た。
オクタイの両肩を持ち揺さぶりながら声をかけたのだ。
「オクタイさん! オクタイさん! 死なないでください!!」
がっくんがっくんとゆさぶられたオクタイは、夢から覚めるように目を覚ました。揺さぶられたせいで後頭部ががつがつと壁にぶつかり、新しいケガが出来始める。その揺さぶるのをやめてくれ、とオクタイが言おうとした瞬間に、ハルカがオクタイの頬を叩いた。
「起きてください、おねがいします! けがは全部治したはずです!」
ハルカにしてみればぺちぺちと覚醒を促すつもりでやった行為だったが、混乱状態で力の加減が出てきておらず、その平手はオクタイの脳を激しく揺さぶり、意識を奪い取った。
「ハルカ、やめて、ちょっと止まって! 一回手を放して!!」
コリンが駆け付けたときにはオクタイは後頭部を強打したうえ脳震盪を起こしていた。ハルカは、ぎぎぎ音が鳴るように首を動かし振り返る。目元がひきつり、痙攣し、今にも泣きそうな顔でコリンに語り掛ける。
「ど、どうしましょう、こ、殺してしまいました……」
モンタナがオクタイの顔のそばに手をやってから、耳をピクリと動かし、ハルカの背を優しくポンポンと叩く。
「生きてるですよ? とどめ刺すですか?」
「そ、そう、とどめ……。……生きてるんですか?」
「生きてるです、えい」
気の抜けた掛け声とともにモンタナがオクタイの顎をこつんと殴る。うめくような小さな声がして、ゆっくりとオクタイが目をあけた。
「ぐ……、なんだ、俺は生きてるのか? てっきり止めを刺されたんだと思ってたぜ……」
「ね、生きてるです」
ハルカは後ろに倒れ込むようにして地面に座って大きく息を吐いた。今更になって冷汗があふれでて、頭がくらくらしてくる。極度に緊張していたせいか、呼吸もろくにできていなかった。
「なぁ、なんかめちゃくちゃ顔痛いししゃべりにくいんだが、俺の顔はいったいどうなっちまってんだ?」
左の頬だけが二倍ぐらいに腫れあがったオクタイを見て、アルベルトが笑う。
「結局お前左の頬殴られたみたいになってんな!」
「笑い事じゃないんですよ……」
明るい声の直後に、ハルカの低い低い地を這うような声が聞こえて、アルベルトはピンと背筋を伸ばした。
「生きていたからよかったです。力加減が下手だったのも、ちゃんと嫌だと言わなかったのも私が悪いです。喧嘩をしようなんて言い出したオクタイさんも悪いです。でも、アル、あなたも悪いんですからね」
「もしかして、お、怒ってるのか……?」
アルベルトが恐る恐る尋ねると、ハルカは大きく横に首を振った。それを見たアルベルトはほっとした表情を浮かべるが、その後に続くハルカの言葉を聞いて、再び体を緊張させる。
「わかりません。私きちんと覚えている記憶の中ではちゃんと怒ったことがないんです。もしこれが怒りの感情だというのなれば、たぶん私は怒っています。アル、私は怒っていると思いますか?」
「怒って……るかも」
「なんでそう思うんですか?」
「……なんか怖いから」
「なんで怖いんですか?」
「…………俺が、ハルカのしたくないことを、無理やりさせて、俺のことを怒ってるような気がする……から?」
「……怒ってもいいと思いますか?」
「怒らないでほしい……です」
淡々と話し続けるハルカにアルベルトの姿はどんどん小さくなっていく。ハルカもアルベルトをいじめる気で言っているわけではなかったが、自分のあふれ出る気持ちを止めることができず、どんどん言葉を続けてしまう。これでは嫌な奴だ、と思うのに止められない。
一度無理やり口を開くのをやめて、ぐっと奥歯をかみしめてアルベルトの姿を見る。随分自信なさげに小さくなってしまった。こんなアルベルトが見たいわけではない。きちんと断らなかった自分が一番悪い。ダメなことはダメと言ってやらないといけない。彼らは本当にまだ十代で、自分は大人なのだから。
頼りになるからと言って、彼らに判断を委ねすぎていたことを反省する。あまりに自分の意思が薄弱すぎたのだ。後からこうして怒るくらいなら、やってしまう前に衝突するほうがまだましなはずだった。
ハルカが深呼吸を数度繰り返すと、そのたびにアルベルトが体を小さくしていく。
子供が親に怒られているときそのものだった。
「……よく考えたら、きちんと断らなかった私の方が悪いです。自分の力もわかっていないのに振るうべきではありませんでした。あまりに衝撃的な結果だったので、我を忘れて人のせいにしてしまったみたいです。アル、すみません」
「……いや、俺が余計なことをしたのが悪い、と思います」
「では、お互いに悪かったと思っておくことにしましょう。次からはもっとちゃんと私も意見を通します。譲れない部分は譲れないと言います。チームの仲間なんですから、それが対等、ですよね?」
「……そうだな、そうする」
ハルカは下を向いてぎゅっと唇を結んだアルベルトの前に立って、肩にポンと手を置いた。
「多分私はアルの期待に応えたくなって、無茶しちゃっただけなんです。仲間が信じてくれたら証明したくなるじゃないですか。ちょっと上手くいきませんでしたけど」
「や! 強かった、ハルカはやっぱり強かったぞ。ほらな、オクタイ、この野郎、負けましたくらい言えないのかよ!」
「や、そんなぁことより、この怪我治してくんねぇかな」
二人のやり取りを、その場で座り込んだままジトっと眺めていたオクタイは、立ち直ったアルベルトの言葉を受けて、ようやく自分の言いたいことを言えた。慌てて動き出そうとしたハルカを制して、コリンが満面の笑みでオクタイの前に手を差し出す。
「治療費、2回分」
この中で一番性格が厳しいのは、どうやらコリンのようだった。